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月に1冊ディックを読む➁「火星のタイムスリップ」

年初に今年決めたことは、今年もほとんどないですが、1つだけ。月に1冊、ディックの本を読むこと。ディックは高校から大学にかけて読みふけったSF作家の1人です。凄く自分の価値観に影響を与えているのか、価値観が近いから読みふけったのか…。「ユービック」の次に選んだのはコレです。

【この作品が書かれた年】1962年(発行年は1964年)

【この作品の舞台】1994年

【この作品の世界に存在する未来】火星移住、宇宙船、水利労働者組合、ティーチングマシンによる個別指導システム、ブリ―クマン(火星の原住民)、予知能力を持つ分裂病患者、自家用ヘリコプター

【原題】「MARTIAN TIME-SLIP」

【読んだ邦訳本】ハヤカワ文庫SF396  小尾芙佐訳

「自分は現実の世界にいるんじゃない。分裂病患者の空想の世界にいるんだ」と思い込んで命を失っていった水利労働組合の独占者アーニイ・コット。そこには目覚める現実はもうなかったのです。

とてもチープなタイトルに、たくさんのSF的ガジェト。でも、本当に多面的に読める作品です。舞台は火星。火星の運河を流れる赤茶けた水。その先には広大な砂漠。そこに住む原住民としての火星人。砂漠の果てには時間軸の歪む聖所。10歳の自閉症の少年の力で過去を取り戻し、奪われた利権を奪回しようとするアーニイ。その思いはかなえられたかに思ったが…、ガブル、ガブル。

ざっと書くと、こういうお話です。結構、複線やサブストーリーがあるのがらしいというか、らしくないというか。未来の火星で、希少食品の訪問販売員や、機器の修理員という職業が成り立っている面白さ。絶対に新しいことのおこらない、番狂わせのない世界を目指すスクール。分裂症と内部的時間感覚の狂い。夫婦それぞれの不倫。ガビッシュ化していく世界の恐怖。未来が見える恐怖。結構、左右に振られながら、読み続けることができます。スクールの目指す世界と分裂病患者の見る世界のどちらが果たして魅力的なのか。

「精神分裂病は、ほとんどあらゆる家庭をおそかれ早かれ襲う主な病気である。それにかかるのはつまり社会によって植え付けられた衝動に耐えていくことができない人間ということだ。分裂病患者が見放した~あるいははじめから決してとけこめなかった~現実とは、個人間の生活の現実、お仕着せの価値をもつお仕着せの文化の中の生活である。これは生物学的にいう生活でもなく、伝承された生活の一様式でもない、学ばされる生活である。それは一般に両親とか先生とか権威者とかいう周囲の人々…成長期に接触したあらゆる人々から、少しずつ学びとらなければならない。」

このような社会システムは悪ではないが、行き過ぎると私たちは個人を失います。この作品でいう分裂病というのは、別に病理のことではなく、1つのスタンスのようにも思えます。

ハヤカワSF文庫のディックの作品の装丁は今では統一されたイメージでデザインされていますが、私はこの頃の版の表紙絵がとても好きです。


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