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"記念日"という自然な建前と言い訳

皆さんおはこんばんちは!
(4021文字/約6分で読めると思います)

来る6/20は父の日ということで姉とプレゼントの相談をしていたんですが、この前も母の日のプレゼント探しに行ってたし、なんかギフトにかける時間とお金って結構多くない、、?と思った今日この頃です(贈り物という文化はとても好きです。)

法律ではなく、雰囲気で定められていて、なんとくな記念日というのは日本に多い印象がありまして、究極の話、普段から感謝や有り難いという気持ちを伝えていればそれに越したことはないんですが、言葉で日々ありがとうと伝えるのは、少し恥じらいもあるので、そうやってフォーマット化した方が都合がよかったのではと思ったりもします。

例えばバレンタインデーはその最たるもので、別に法で定められてもいないのに、好きな人にチョコを渡すという文化は当たり前のように染み付いていますし、チョコ業界にとっては一番の稼ぎ時でもあります。

そもそも、バレンタインデー = チョコをあげるというのは1960年頃から始まった日本独自の文化らしく、デパートでバレンタインにはチョコでしょ的な広告を打ち出し始めて、以来バレンタインといえばチョコをあげることになったという究極の企業戦略記念日だと言えそうです。

そんなこんなで色々考えてみたらこんな記念日的なものって一年に数えるだけかなと思ったら、ライフイベント的な節目も数えると結構な数になるのではと思い、しかも自分向けに買うよりも、自分以外の人に贈るときの方が人は時間がとお金を投下するよな。。と思いまして、そこら辺をぷらぷらと考えていきたいと思います。

日本の記念日

まず第一に、日本における贈り物が発生したり、特別なイベントがあるような記念日は、公式・非公式にせよどれくらいあるのかざっと振り返ってみましょう。

1月
・ 正月(お年玉・新年のご挨拶贈り物)
2月
・節分(豆まき、恵方巻き)
・バレンタインデー(チョコレート・お菓子系)
3月
・雛祭り(ひな人形、女子への贈り物)
・ホワイトデー(男性のお財布事情による)
・卒業式系(お疲れ様系贈り物)
4月
・エイプリルフール(イベント。。?)
・入学式(新たな門出系贈り物)
5月
・こどもの日(鯉のぼり、男子への贈り物)
・GW(山の日とかでアウトドア系?)
・母の日(母上、ありがとう)
6月
・父の日(父上、ありがとう)
・暑中見舞い(暑いですね、、元気にしてますか?的な贈り物)
7月
・七夕(短冊なり、飾りなり)
・お中元(夏のご挨拶的な贈り物)
8月
・残暑見舞い(まだまだ暑さが残りますね、、元気にしてますか?的な贈り物)
・お盆(祖先の霊を祀る系)
・ハロウィン
9月
・敬老の日(おじいちゃん・おばあちゃんありがとう)
10月
・特にないかもしれない。
11月
・七五三(3,5,7歳の人のお祝い事)
12月
・お歳暮(1年間お世話になりました)
・クリスマス(イエス・キリストさんの誕生日)

こうしてみるといかがでしょうか?
10月はみた感じ特にイベントや記念日的な日はありませんでしたが、それ以外の月ではコンスタントに2回近く贈り物や、お金を掛けて何かするということが発生しそうです。

かつそこに、彼氏彼女や家族の誕生日、結婚記念日などパーソナルな記念日が入ってくるとほぼ毎月何かしら、ギフト系でお金を使うきっかけが存在するということになり、個人的には自分がイメージしていた回数よりも頻度が高く感じました。

旅行など、準備に時間がかかるようなイベントは年に数えるだけかもしれませんが、誰かに向けて贈り物を買って届けるという作業自体はそれほど大変なことではないですし、感謝もされやすい行為なので、それほど意識せずに毎月お金と時間を投下しているのかもしれません。

参考値として、昨今のギフト市場希望を調べてみると、2020年の国内ギフト市場規模は、前年比92.4%の9兆8,840億円の見込みとされています。

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9兆というと数字が大きすぎてピンときませんが、業界別の規模ランキンで見ると、家電(約8兆)や広告(約7兆)よりも大きい市場規模であることがわかります。
https://gyokai-search.com/2nd-ranking.htm

日常的に使用する家電や、目にする広告と同じくらい人は贈り物にお金を掛けているのは驚きですが、それでも一つ一つに特別感を持たせるきっかけとなるような記念日というのは凄まじい力ですし、ここを抑えた商品やサービスというのはなかなかに強いなと感じました。

自然発生しないギフト形式

これは結構有名な話かもしれませんが、クリスマスのサンタクロースといえば「赤い格好」をしているのはコカコーラの広告戦略の影響と言われています。"Where I go"というキャッチコピーでコカコーラの色とサンタクロースの色を重ね合わせて打ち出した広告によって、サンタって赤いし、クリスマスといえば赤だからそれにちなんでコカコーラ買おうよ!という有無を言わさず淘汰感満載の戦略です。

ここで大事なのは、元々サンタさんも赤がメインカラーで、たまたま自社製品も赤だったから合わせにいったというわけではなく、自社製品赤いし、クリスマスでみんなが時間とお金を投下するイベントで視聴率が高いアイコンのカラーを自社製品のカラーに合わせて取りに行く極めて能動的な戦略であったことだと思います。

今となってはごく自然にサンタさんは赤いよねとなっていますが、その起点は自然発生などではなく、意図的に仕組まれたということはかなり面白いことだと思っていて、いわゆる企業キャンペーン的な取り組みにも拘らず、一度記念日的なアイコンを取ってしまえば、過程が企業的戦略であったとしても、ごく自然に嫌味なく受け入れられやすいということだと思います。

日本のハロウィンも、元々は古代ケルト民族の儀式からきたものであり、全く別の文化ですが、(11月1日を新年としていた古代ケルト民族が、大晦日である10月31日の夜に先祖のれいが家族に会いに戻ってくると信じており、そこで一緒に悪霊やってきて悪さをすることから、魔除けのために仮装をしたことが始まりらしいです。)今となっては日本のコスプレ文化も相まって、仮装して渋谷に集まる日本独自のイベントへと変貌しています。

これにちなんでディズニーでは、毎年大々的にハロウィンシーズン限定のショーや催しを当てに来たり、コスプレ業界が盛り上がったりとビジネス色満載の案件を目にすることが増えますが、どれもこれもケルト民族の魔除けの儀式にたまたま通ずるビジネスモデルだったからというわけではなく、魔除けの一環である「仮装という非日常的行為」に着目しイベント化したという極めて戦略的なものなのではないでしょうか。

西野さんもVoicyで「サービスをギフト化するのは、サービス提供者の仕事」と話されていましたが、まさにであり、なんとなく合いそうだからといって消費者側が商品やサービスを贈り物として購入するのではなく、提供者側が贈り物や、イベント道具として使えるよということを演出して結果、消費者がそれを選ぶという構図であることは盲点でした。

日本の伝統的な贈り物文化であったとしてもその側面は強くあると思っていて、例えばお中元の時期は猛暑であることが多いのでビールやソフトドリンクが人気らしく、そうめんや、すいかなども定番であることが多いそうです。これも夏の風物詩といえば、というのを企業側が丹念にイメージとして刷り込むことによって「夏といえば爽やかなそうめんだよね」と自然と思わせていると言えます。

お歳暮でいえば、年末年始で家族で囲んでいただくハムなども人気らしいですが、伊藤ハムのHPをみてみるとトップページに「伝統の贈り物」という文言がいきなり出てくるように、伝統的な贈り物といえば伊藤ハムですよという演出を自然に織り交ぜていることが分かります。

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他にも、コロナによって人の移動が制限されることによって、リアルな体験の価値が相対的に上がっている現代だからこそ、体験そのものがギフトとして成立する流れもますます強くなるのではと思ったりします。

SOW Experienceという会社では、体験ギフトを多く扱っていますが、2人で楽しむをコンセプトのアクティビティや、有名ホテルでアフタヌーンティーを楽しむというくつろぎ時間、男性向けのシャツのオーダー体験など、これまではギフトになり得なかっただろう体験を贈り物として提供しています。


面白いのは、オーダーシャツを作って、それ自体を贈るのではなく、オーダーシャツ作ってみなよという体験のきっかけそのものもギフトにななり得ますよ演出であって、こういったものは今後増えていくのではないかと思ったりしています。

自然な建前(言い訳)を演出する

日本において、贈り物が発生しやすい日はそもそも多いし、ギフト市場も結構な規模あるよねというところから、とはいえ自然発生的なものではなく、企業の戦略的な演出が重要だということが分かりましたが、これは自分のサービスや、商品にも置き換えられることで、何を以て贈り物となりうるのかは消費者ではなく、提供側が気付かせてあげる必要があるという視点は大切にしないとなぁと思いました。

日頃から面と向かって感謝や想いなどを伝えることが日常ではないからこそ、その想いをモノや体験に変換して伝えてみては?という提案は一種の優しさであると思いますし、「ハロウィンだから仮装して楽しむ」だったり、「母の日だから、日頃の感謝を伝える」というように、自分の意志ではなくそんな雰囲気だからやってるだけだよという言い訳が成立するのが記念日を通じたギフトやイベントの強みかもしれません。

人の好意につけ込んだ戦略だ!という見方もできるかもしれませんが、結果的に贈り主と、貰った側が喜ぶのであればその過程が戦略であろうが、自然の成り行きであるかはどっちでもいいと思っています。むしろ、自然発生する確率というのは極めて低く、往々にして戦略であることが多いので、そこはしたたかに、物質的なもの、体験的なもの関係なく、これはギフトになりうるのか、言い訳が通用するものなのかという視点は持っていると色々と面白そうだなと思いました!ではまた!



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