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東京都市景観と作品

皆さんおはこんばんにちは!
(4603文字/約6分で読めると思います)

今年の頭から毎週続けてきたnoteですが、先週はなかなかに忙しく初めて更新できない週になってしまい、「くそぉ。。noteから〇〇週連続!すごいです!ってもう褒められることはないのか涙」とそれなりに落ち込んでいたものの、noteから褒められることも大事だけど、それよりも続けることの方が重要だよなと勝手に嘆いて勝手に腑に落ちた今日この頃です。(ゆるりゆるりと続けていきます笑)

そんな忙しいアピールをしているものの、最近、「水の波紋」と「パビリオン・トウキョウ」という2つの展示に行ってきまして、2つとも美術館に展示されている作品を見て回るという一般的な形式とは異なり、都内各所に作品が点在し、それらを巡るという鑑賞スタイルが新鮮で面白かったです。

都市の中に作品が置かれることでどういう見え方、解釈になるか、という視点から見れば、都市景観やランドスケープなども関わってくると思うんですが、ぶっちゃけ全然分からない分野なので、前段階として、今回の記憶の中から印象的な作品などをピックアップしつつ記録的な意味で書き起こせたらなと思います!

水の波紋

パビリオントウキョウ 2021


1995年以来再びの波紋

今回の「水の波紋展2021」の源流はというと、1995年に開かれた「水の波紋95」展に遡り、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件などがあった年で展示自体が困難を極める中、都内40箇所に現代美術の作品を設置するという、かなり挑戦的な催しだったようです。

水の波紋と題された企画名としては、水面に落ちた一粒の水滴が波紋となりゆっくりと広がっていくように、街に設置したアート作品が多くの人たちの心に届くようにという願いが込められているようで、そんな水の波紋95展を再び呼び覚まそうという意図で企画されたのが今年の2月から6月まで開催されていた「まちへ出よう展」であり、これが自分に取って初めてワタリウム美術館に訪れたタイミングでした。

キースヘリング氏が当時の壁に書き残したグラフィティ、ジェイソン・ローズ氏によるBMWのショールームを使った前衛的な作品、カールステン・ニコライ氏の聴覚に訴えかける作品から、現代に通ずるSIDE COREの作品など、アートはこういうものだよねという固定概念をぶっ壊しにかかる作品ばかりでとても刺激的だったのを覚えています。

そんな町へ出ようからおよそ半年後に再び開かれた「水の波紋展2021」の知らせを聞き、これは行くっきゃないということで再びのワタリウム美術館へと足を運びました。

普段は歩かない都市の裏側の魅力をみてもらうことを意識してキュレーションされた1995年とは打って変わって、2021年verでは、変わりゆく新旧の街並みの狭間を意識して作品が配置されたとのことで、普段は入らないであろう路地や、建物などに入っていくのが新鮮でしたね。。

「地球 神宮前 空き地」 @SIDE CORE 
ワタリウム美術館から少し歩いた路地にある空き地に、突如として現れる駐車場でお馴染みのTimesの看板が衝撃的だったが、ストリートカルチャーをベースとした現代美術集団、SIDE COREが制作したものと言われれば納得の空間でした笑

この空き地も東京オリンピックに伴う再開発で何かしらの建築予定があった土地であったものの、コロナの影響か次の目的が定まらないまま今に至っており、そんな循環の中継ぎ的な位置として現実にも存在するコインパーキングに着目し制作されたのが「TIME TUNNEL」とのことでして。

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制作したのは、SIDE COREと共に活動する匿名アーティストグループ、EVERYDAY HOLIDAY SQUADで、古い建物が壊され、コインパーキングになり、そして新しい建物が建つというう都市の循環に「あいだの時間」としての意味を見出し、新しい時代へと移り変わる「次世代への入り口」という意味も内包されているとのことで、個人的にはタイムズ24公認なところも含めて、都市を作っていく過程で意義のあるインスタレーションのような感じがしました。

ミッシング・サン @トモトシ
今回の展示で一際異彩を放っていたのが、現代アーティスト?という括りに収まるのか分かりませんが、トモトシさんの作品で、国立競技場前に掲げられて白旗、「ミッシング・サン」がとても印象的でした。

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この白旗、実は全てトモトシさんご自身が路上を回って収集したマスクを縫い合わせてできており、緊急事態宣言延長が決まった2021年3月に掲げられた白旗の再演だそうで。

オリンピックもゴタゴタあり、コロナも収束の兆しが見えない混乱の世の中で、「せめて負けを認めることくらい許して欲しい」という想いが込められているらしく、そんなマスクでできた降伏白旗が国立競技場前で高々と掲げられているのがなんともディストピア感というか、禍々しさすら感じられました。


トモトシさんご自身は、「都市空間や公共ルールに歪みを生むアクションを行い、人の動きが変容する瞬間を記録する」をコンセプトにされているそうで、建築や都市の不完全なデザインをどう使っていくかを軸に記録された映像作品の数々も面白かったです。(コロナの影響で仕事を失ったため、独力で引っ越す「イフアイムーブミー」は側から見ると異端児すぎて好き笑)

これ以外にも多くの作品が展示されており、無観客で開催されているオリンピックの虚しさと、やりきれなかった再開発の遺産のようなものも垣間見えて、鑑賞しながら感じる切なさありましたが、それらを題材にしてアートへと昇華し、問いを投げかける作品と作家さん達の力強さを分けて頂いた感じがしたので、自分もこんな時だからこそどう行動する?という問いを立てて進んでいこうと思えたそんな展示でした。

パビリオン・トウキョウ

こちらは、水の波紋2021と同時期開催された催しで、新国立競技場を中心とする複数の場所に、建物やオブジェが設置され、自由で新しい都市のランドスケープを提案する世界初の試みと題されていました。

「生きている東京」がテーマの本企画でしたが、考えてみると、東京オリンピックに向けた再開発が都市の至る所で進んでおり、渋谷なんてまずどの出口から出れば自分の目的地に近いのか分からないレベルで、出れたとしてもそこから見れる景観が数年前と違いすぎて、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまいます。

都内を行き来し鑑賞しながら、どこでも便利で、クリーンな都市景観というのは有難い一方、どこか生っぽさに欠けるというか、人の手が行き届いてない生々しいシーンが減って寂しいような気もしてしまいました。そんな都市の新たな物語を作るという意味でも、印象的な作品が多かったです。

「東京城」@会田誠さん
バブル経済崩壊後の不況真っ只中であった1995年、ホームレスが急増し、簡素なダンボールハウスが溢れかえった新宿地下広場で、制作された段ボールの城、「新宿城」を異なる形で復活させようという試みから制作された「東京城」

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ダンボールとブルーシートという、廉価でありながら、堅牢さと仮設性を兼ね備えた柔軟な素材で作られた2つの城は、容易に挫けない人間のしなやかな強さを表現されているということで、目の前にすると想像以上に大きく逞しい作品でした。

ご本人は、高価で頑丈な素材で作られた彫刻やモニュメントに懐疑的だったそうで、今回主張するのは、恒久性とは真逆の仮設性、頼りなさ、へなちょこさ、しかしそれに頑張って耐えている健気な姿である、とありましたが、まさに人間そのものだなと感じました。

ダンボールの天守閣部分は連日の台風と大雨でふやけているのかやや傾いてしまってはいるものの、威風堂々たる姿で鎮座していて、コロナで鬱々としている自分に対して「どんな見てくれだろうと、最後まで立っていられればそれでいいんだ」と言われているようで心なしか勇気を貰えたような気も。

会田さんのメッセージからも、嘆きは感じるものの、それでも前に進んでやろうじゃないかという気概を感じ、これもまた勇気を貰えました。

「そして東京にいつかまたくるだろう、決定的なカタストロフィ(悲劇的な結末、破滅)。しかし仕方ない。ポジティブとネガティブの往還にしか「力」は生まれないのだから」

「水明」@妹島和世さん
展示場所であって浜離宮恩賜庭園は、江戸幕府の歴代将軍によって造園、改修が繰り返された江戸時代を代表する大名庭園だそうで、そんな大庭園に流れる一筋の小川のような本作は、背景にある高層ビルとのコントラストも相まってとても、趣深い印象を受けました。

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水は生命にとって欠かせないものであり、着物にも使われる流水文様には「苦難や災厄をさらりと流す」「流れる水は腐らず常に清らか」「お浄めや火難除」といった意味が込められているそうで、そんな水の流れが芝生の上に一筆書きのように描かれていました。

水の流れは、遠くから一見すると留まっているように見えますが、近くで見ると静かであるが確かに流れていることに気づくことができ、常に新しく変わっていきながらも大局としての姿は留めるという状態を再現しているようで、普段から接している水も表現次第でこうも解釈が変わるものなのかと驚きました。。

形状は、平安時代の庭園の中を曲がりくねりながら流れる水路、「曲水」をイメージとした設計だそうで、方丈記の冒頭を想起させるような表現ができたらと説明があるように、実際に水の流れがこうやって見えていたのかもしれないし、そんな水に対する美意識を持っている日本人って素敵だなとも思えました。

水の波紋とは対照的な、建築的で青山通りを中心とした都市部に配置された作品を見て回っていると、庭があったり、高層ビルがあったり、都市部の中にも色々な表情があって、それらは色々な立場の人の思惑が互いに無意識的に影響しあって作られているんだなぁと感じ、人一人では決して作ることのできない大きなダイナミズムを感じた、そんな体験でした。

足を動かして学ぶ楽しさ

という感じでほぼ感想文みたいになってしまいましたが、東京オリンピックという生きているうちにまた来るのかどうか分からないタイミングで、こうやって作品を巡れたのは貴重な機会だったなぁと改めて感じました。

無観客開催のため、都市部を回っていても「本当に今オリンピックやってるの?」と疑ってしまうくらい静かなものでしたし、違いとしては、いつもより警備の数が多いなくらいだったのが面白く、メディアはそれでも観覧に来る人が止まらないみたいな切り取り方をしますが、本当はごく一部の話なのではということも実際に足を使って回ってみて感じました。

今までの鑑賞は、一箇所に集まった作品を順々に見にいくというのがほとんどでしたが、こうやって自分の足を動かして巡るというのは視野も新しく、空間的な感覚の移ろいも多かったので、足を動かすことで学べることの多さ、楽しさという新たな発見もあり、、

何より、作品を通じた都市の見え方というのも面白く、普段は気にも留めない路地や、意識しない都市景観など、いわゆるランドスケープみたいな領域への関心も強くなりました。ランドスケープとは?みたいな話はまた今度するにしても、コトバンクで調べてみると、「都市における広場や公園などの公共空間のデザインのこと」とあるので、今回の経験を糧に、足を使いながら景観などの分野も学んでいければと思いました!ではまた!

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