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言葉が先を走り、信頼が追いついていない(金子)2023/08/25

少し前に「何を言うかよりも、誰が言うか」という言葉は呪いにもなりかねないみたいな話をした(気がする)

この言葉を「誰か(例えば多くの人から認められた自分)になってからでないと、何も言ってはいけない」と捉えてしまう人が少なくない。初学者や業界歴の浅い人がよく言っている「自分なんか何も発信することない」という言葉の裏には、この呪いがあるのかもしれない。
でも実はそんなことなくて、どんな人でも誰かの役に立てるから発信を躊躇う必要はなくないかな?みたいな話。


一方で「何を言うかよりも、誰が言うか」ある側面では言い得て妙だと思う。
それは、自分たちが掲げる正義や属する業界の習わしのようなものをクライアントに伝えるときだ。

Webサイト制作や活用には、確からしいさまざまなメソッドや考え方がある。簡単な例だと「Webサイトはコンテンツが大事だー」とか。
それらは実際にその通りだし、役に立つことも多い。

ただ、そのメソッドをクライアントに向けて声高々に唱えたとき、相手が聞く耳を持ってもらえるかどうかは"言う人による"ケースがある。
「誰が言うか」だ。

要はクライアントから「キミは何者なんだ?」「コイツは話を聞くに値する人間なのか?」と疑いの目で見られてしまっている状態では、どんなに正しかろうことを言っても、届かないどころかそもそも聞いてすらもらえないという話である。

この場合、まずは基本から抑えにいく必要がある。例えば

  • 社会人としてのマナーを守る

  • 約束を破らない

  • 間違えたら謝る

  • 身だしなみを整える

  • わかりやすい実績や経験を示す

こういった基本となるベースが築かれて、初めて人に話を聞いてもらえる。
何を当たり前のことを…と思うかもしれないが、実はできていない人は少なくない。そう、私のことである。

「〇〇をお願いしたい」と言われたことに対して「〇〇はやめた方がいいですよ。△△にしましょう」と突っぱねる。ろくな関係性もないのに。
これをやると「なんだコイツ」となりかねない。

突っぱねることも時には大事だが、突っぱねて相手から賛同や感謝を聞ける自分でいられるかどうかは別軸で考えなければならない。

話をまとめると、私はもっと徳と経験と実績を積まなければならないのです。

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