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企業の「良さ」を翻訳する(阿部)2023/12/12
Webサイト構築の仕事をしていることもあり、クライアント企業の「良さ」をインターネット上で表せるように日々格闘しています。
企業が持っている「良さ」をWebサイト上に表出させるプロセスとして「観察」「解釈」「創作」の3つを意識しています。
「観察」では、担当者との対話や顧客インタビュー、市場調査、実際に会社や現場を訪問し、プロダクトも使うなど、色んな角度から対象となる企業を知る。次に「解釈」では集めた情報や感じたことを咀嚼し、理解していく。
最後に「創作」では観察と解釈を通じた一連の流れの中でサイトの構造やデザイン、コンテンツをつくりだしていく。
「観察」「解釈」「創作」によって表出したものは、客観的なロジックで積み上げていく部分だけではなく、かなり直感的で感覚的なものの間にありますが、これに時折悩んでしまいます。
この直感的、感覚的なものが果たして良い影響を与えているのか……。感覚に頼ってしまってもいいのだろうか…….。
先日、翻訳家・柴田元幸さんの「ぼくは翻訳についてこう考えています」を読み光明が差しました。
いくら正確でも
世の中では「誤訳」ということをよく問題にし、正しい翻訳と誤った翻訳があると考えられがちだが、極論すればあらゆる翻訳は誤訳である。
すべてを伝えた、正しい翻訳などありえないことはすでに述べたことから明らかだろう。いわゆる英文和訳レベルでの正確さもむろん翻訳における重要な要素だが、決して最優先事項ではない。
役者が原文を読んだときに感じたような快感が伝わるような訳文になっていなければ、いくら正確でも意味はない。
たとえばその快感は、ユーモアから生まれていたり、恐怖から生まれていたり、厳密な論理性から生まれていたりするかもしれない。そのような「快感の源」がうまく伝わっていなければ、その訳文は一見正確でも、本当の意味で正確ではないというべきだろう。
ここで語られている「快楽」、つまり自分が感じた企業の「良さ」をWebサイトにのせることで血が通いリアリティのあるサイトになるのではないか。
ぱっと見た時にこのサイトは信用できるかどうか、ということにも影響しているのかもしれない。
自分が感じた「良さ」「快楽」も素直に取り入れてみてもいいのだと思えたてきました。
ちなみに、柴田さんはこんなことも仰っています。
理想の翻訳
合っている間違っているかでいえば、翻訳なんて、全部、間違っているんですよ。何もかも全部を伝えるなんて、原理的に無理なんですから。ただ、「どう間違うのがいちばんいいのか」を細かく考えるしつこさがあるといい、とはいえるかもしれませんね。…(中略)...
翻訳で伝わっていないことというのは、いくらでも挙げることができます。その中で「ここでは、何が伝わるのがいちばん望ましいのか」ということを見極める。そうやって大体を伝えていけば、小説の場合、総体として「よさ」は伝わるんじゃないかと思います。
そうだなぁ、と深く頷きます。企業のサイトである以上、細かく正確な情報は大切ですが、同じように企業への信頼を感じることができるような感覚的な「良さ」も大事ですよね。
柴田元幸さんの本はこちら。他にも何かをつくる人にとって共感できる言葉がたくさんありました。ぜひ。
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