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第4回 おみやげは桜餅

春を代表するイベントである桜の花見は、江戸時代に庶民に広まりました。
お洒落をして郊外へと足を伸ばし、桜並木の下で散歩や弁当を楽しむ1日がかりのイベントです。そんな江戸の花見の成り立ちや、当時の名所を調べてみました。

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音曲の師匠と弟子たちが身につけているおそろいの着物は、浮世絵に描かれているものを参考にしています。桜色と格子柄がかわいいですね。
桜並木が生まれて花見のスポットが拡大するにつれ、こうした「お花見ご一行」といった団体行動が多く見られるようになります。また、周辺には花見客をターゲットにした茶店や土産店が立ち並びました。特に隅田堤で売られた桜餅は大ヒット。1日700個以上を売り上げたそうです。

ちなみにこの頃は、桜の名所以外にも、寺社仏閣や広小路(火事が広がらないように作られた防火用の広場)など、たくさんの人が集まる“遊びスポット”が現れた時代でもありました。幕府も、庶民の息抜きの場としてこうした場所があることはある程度容認していたようです(あまり派手になると禁止令が出ることも…)。
制限があるとはいえ、庶民が自分の町を出て気軽に遊びに繰り出せるくらい,
人々の生活が豊かになったのですね。

余談ですが、幕末の混乱期になると、砲台を築くため、桜の名所のひとつである御殿山は大きく切り崩されました。浮世絵師の歌川広重は、変わり果てた御殿山の、土がむき出しになった斜面を淡々と描き残しています。桜の咲く場所は、そうした変わりゆく江戸の姿を象徴するものでもありました。

(笹井さゆり)

【参考文献】
青木宏一郎『江戸の園芸-自然と行楽文化』ちくま新書
竹内誠 編『江戸文化の見方』角川選書
日野原健司 平野恵『浮世絵でめぐる江戸の花』誠文堂新光社

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