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樹木図鑑 その③ クヌギ ~人類の特権をバックアップしてくれる樹~


1960年代に燃料革命が起こるまで、日本では長らく薪が主要エネルギー源として用いられてきました。

火は、ヒトという生物の繁栄の土台です。そして、樹は一番身近で、しかも大量にある有機物。日本人のみならず、人類全体の文明生活は、数千年にわたって樹によって下支えされてきたのです。

植生豊かな日本列島には、数多の樹種が生育していますが、その中でも特に人々の日常生活への貢献度が高かった樹は何か?となると、クヌギが最有力候補になると思います。
クヌギは、一言で言い表すならば「キングオブ薪」。彼は、超優秀な薪炭材として、長年人々から頼りにされてきたのです。

明るさと温度を、自らの手で調節できる。人類しか持ち得ない特権を長年バックアップし続けてくれたクヌギ。今回の記事では、感謝の気持ちをこめて、彼の素顔に迫っていきたいと思います。

薪炭材としてのクヌギ

クヌギは、関東以西の暖温帯でよく見かける高木。原生的な森に生えることはまず無く、人里近くの二次林によく出没します。

昆虫が集まってくる樹として有名で、虫採り少年のあいだでは彼の名前が知れ渡っています。細長いギザギザの葉っぱ、コルク質が発達した柔らかい幹、でっかいドングリ……等々、割と識別しやすい特徴を備えているため、小学生でも簡単に見つけられる。
クヌギという名前を聞くと、虫採りに勤しんだ夏休みを思い出すんだよね…という方も少なくないはず。行きやすいところで、見つけやすい格好で待ってくれている。クヌギは子供達の良き遊び相手なのです。

クヌギの葉。「ノコギリの歯」という英名にも納得してしまうフォルム。
クヌギの大木。2020年5月6日、兵庫県神戸市にて。

「原生的な森には少なく、人里近くに多い」という分布を示す樹種は、人間の手によって植林・育成されてきた過去を持つケースが多いです。クヌギは、その最たる例のひとつです。(他には、クリ、ヤマグワなど)

前述の通り、クヌギは超優秀な薪炭材を産出する樹。

クヌギの薪は火持ちが良く、一度火を起こせば一晩中火種として用いることができます。それゆえ、薪をくべたり、集めたりする手間が大幅に軽くなります。

また、クヌギは非常に成長が早い樹種。僕は昔、クヌギとコナラ、ミズナラをドングリから発芽させたことがあるのですが、この3種の中でずば抜けて成長が早かったのはクヌギの苗でした。概ね、クヌギの苗木は他の樹種の3倍ほどのスピードで樹高を伸ばしていったのです。空へ向かって猪突猛進する苗木たちをみて、「せっかちな樹だなあ〜」と感心したのを覚えています。

クヌギのドングリと殻斗(ぼうし)。大量の栄養を充填させた、
でっかいドングリが、苗木の成長スピードを加速させるのだと思う。

クヌギのせっかちさは、成木になっても変わりません。コナラは、薪が採れる大きさに育つまでに20年ほどかかるのですが、クヌギは最短8年ほど。
一般的に、薪炭林では「樹を伐採する」→「切り株から萌芽」→「萌芽した枝を長期間放置」→「萌芽枝が育ったらまた伐採」というサイクルで薪を採っていくのですが、クヌギの場合はこのサイクルの回転率を大幅に高めることができるのです。

薪炭林の伐採サイクル。

火持ちが良い薪を、迅速かつ安定的に提供してくれる。主要エネルギー源としてこれ以上ないぐらい優秀です。
頼りがいのあるクヌギは、人の手によって日本中の農村に植えられました。そしていつしか、クヌギは日本の田園風景のエッセンスとして、各地の自然に溶け込んでいったのです。彼が生み出した薪は、いったいどれほどの人数の生活を暖めてきたんだろう…。
古来の日本人の日常生活は、クヌギによって下支えされてきたと言っても過言ではありません。

明治時代の製炭事業の第一人者、田中長嶺は、日本各地でクヌギの植林を奨励した。 「散木利用編」という本には、クヌギの育成方法が記録されている(https://www.ffpri.affrc.go.jp/snap/2012/2-kunugi.htmlより引用)
田んぼの脇で紅葉していた、クヌギの群落。かつて薪炭林として利用されていたのだろう。
2020年11月8日 奈良県宇陀市

日本一の里山のクヌギ

時代は変わって現代。エネルギー源が石油に変わり、薪クリエイターとしてのクヌギの任期はあっけなく終わりを迎えてしまいました。農村近くの風景を形作るクヌギ群落は、そのままお役御免に。しまいには、環境省の偉い人に「放置里山林」という切ない名前をつけられる始末……。

クヌギが日本の歴史の中で果たしてきた役割の大きさを考えると、この扱いは悲しすぎます。しかし、これもまた時代の流れなのかな…。関西の丘陵地では、放置されてみずぼらしい雰囲気が漂うクヌギ林をよく見かけるのですが、そういった光景を見るたびに寂しさが込み上げてきます。

神戸市街の裏山には、なかなかの規模のクヌギ林が広がる。かつて薪炭林として、神戸市民を支え続けてきた森なのだろうけれど、いまは放置され、常緑樹林に遷移しつつある。
2017年11月12日 兵庫県神戸市

しかし、兵庫県川西市には、クヌギが往時の繁栄を保ったまま、里山の風景を形作っている場所が存在します。その場所というのは、北摂山地の谷間の「黒川集落」。
同地では、いまでもクヌギが薪クリエイターとして現役で働き続けており、ほとんどの地域で失われてしまった里山の生態系・文化が良好な状態のまま残っているとのこと。このことから、黒川地区はしばしば「日本一の里山」と表現されます。

黒川地区の風景。

黒川地区のクヌギの外見は、普通の立ち木とはちょっと違っています。ゴツゴツと骨ばった元株から多数の萌芽枝が伸びた「あがりこ型樹形」。前述の、伐採と萌芽の繰り返しによって生まれた樹姿です。
このようなあがりこ樹形を見せるクヌギは、「台場クヌギ」と呼ばれます。

黒川の台場クヌギ。太い元株から、多数の萌芽枝が伸び、それが樹体を構築している。
薪の伐採→萌芽→伐採の繰り返しによって生まれた樹姿。

黒川地区では、クヌギの薪を採る際、少し高い位置(1.5m〜)に斧を入れていました。台場クヌギは、この独特な施業の賜物なのです。
高い位置での伐採が行われた理由は、「柴刈りの際に誤って萌芽枝を切らないようにするため」「樹の下に人が通れるスペースを空けておくため」「萌芽枝の成長を良くするため」などなど、いくつもあると考えられています。
里山の自然を知り尽くした先人たちの試行錯誤が、独特な樹形を生み出したのです。

台場クヌギ群落。”森”というより”畑”に近い雰囲気。

台場クヌギが育む生態系

台場クヌギの元株は、何回も萌芽を繰り返しているため、非常に凹凸が激しい。ウロや、腐朽した箇所、樹液の染み出しも生じます。
こういった樹肌のササクレは、多くの昆虫の貴重な住処・餌場になります。
みなさんご存知オオクワガタやオオムラサキは、樹液を舐めに毎日のようにクヌギの幹に登ってきますし、オオオミドリシジミはクヌギの葉を主な餌としています。クヌギは、まさしく「いのちのゆりかご」と言える樹種なのです。

クヌギの樹液の染み出し。発酵して、スライム状の液体になっている。見た目は気持ち悪いが、
虫たちにとっては大切な餌場。写真のようなスライムは、滲み出た樹液で赤カビ(酵母)が繁殖
して、樹液そのものが発酵することによって生じる。「樹液酵母」と呼ばれる現象で、クヌギのように糖度が高い樹液を精製する樹の幹でよく観察できる。

台場クヌギの森は、山梨県、滋賀県、九州等々、日本各地にポツポツと分布しているのですが、まとまった規模で残っているのは全国で黒川だけだと言われています。
クヌギのあがりこ樹形は、「伐採」という、実利的な里山管理が現在進行形で行われていないと出来上がりません。
クヌギと人とのささやかな二人三脚が現在も続いていることの証。それが台場クヌギなのです。

凹凸が激しい台場クヌギの元株。昆虫の多様性を高める。

文化としての炭焼き

ではなぜ、黒川地区では燃料革命後もクヌギの薪炭林管理が続けられているのか。その理由は、同地の台場クヌギが産出する炭が文化的に価値が高い、という点にあります。

台場クヌギ群落②。黒川地区のクヌギ群落は、天然記念物に指定されている。

黒川地区をはじめとする北摂地方は、昔から良質な炭の産地として有名でした。同地で採れる炭は「池田炭」と呼ばれており、その火持ちの良さ、香りの良さ、そして切り口の美しい紋様(炭の断面にスジが入り、菊のような模様が出来上がる)は、多くの文化人から好評を得ていたのです。

池田炭の特徴は、燃料としてだけでなく「茶の湯炭(茶道で使う炭)」としても盛んに用いられた、という点。
室町時代にわび茶を大成した千利休は、池田炭を大変気に入っていたらしく、自身のお茶会でよく使っていました。彼が仕えていた豊臣秀吉も、久安寺(現在の大阪府池田市)で開かれたお茶会で池田炭を絶賛していたと記録されています。

兵庫県川西市の県立一庫森林公園には、炭焼窯の跡地が残されている。

茶道の第一人者からお墨付きをもらっただけあって、長らく池田炭は”最高級の炭”としてお茶の席で珍重されてきました。池田炭の記述はさまざまな古書でみられ、江戸時代には30以上の書籍でその素晴らしさが讃えられていたそうです。里山の林産物が、数百年にわたってその価値を持続させてきた例は、ほとんどありません。

歴史の深さと、炭そのものの品質の高さから、現在でも池田炭は文化的に高い価値を持つと評価されているのです。それゆえ、茶道の場では池田炭はまだまだ現役。

”燃料”としての日常的な需要は衰えても、文化芸術に関する需要は簡単には衰えません。池田炭には、そういった時代に流されない需要を満たすだけのポテンシャルが秘められていたのです。

ミステリアスな出自

さて、日本の自然・文化に深く溶け込んでいるクヌギですが、意外にも彼の出自は詳しく分かっていません。
黒川地区には、いまでこそ大規模なクヌギ群落が広がっていますが、同地にはもともとクヌギは自生していないとされています。台場クヌギの森は、すべて植林由来なのです。

調べてみると、黒川に限らず、関西で生育しているクヌギは、ほとんどが古い時代に人の手によって持ち込まれたものらしい。関西圏は、本来クヌギの天然分布域ではないのです。

春のクヌギ。ぼさっとした芽と花が開き、独特な外見。
2021年3月18日大阪府柏原市

このことを知った時は、チョット驚きました。なんせ、彼は丘陵地帯や低地であればどこでも見かけることができる普通種。あれ、超オールド外来種だったのか……。でも確かに、人の手が入っていそうな森でしか会ったことがないから、納得もできる。
となると、原生状態でのクヌギの分布域はどこなのか?と知りたくなるのですが、今のところそれはハッキリ分かっていません。

植林をしたのなら、どこかから苗や種子を運んできたはずなのですが、植林された時代があまりにも古すぎて、その追跡ができないのです。縄文時代中期の遺跡からクヌギの材が出土しているそうなので、その時代にはすでにクヌギ育林が行われていたのかもしれません。

クヌギの花。コナラよりも少し早めに咲く印象。
2020年3月31日兵庫県神戸市

あまりにも長い間日本人と付き合ってきたために、どこから来たのか正確にわからなくなってしまった。なんともミステリアスなヤツです。
でも、どこからともなく現れ、日々の燃料を提供し、ついでに生態系も豊かにしていく、という生き様は癖の強いヒーローみたいで好き。かっこええやん。
人間が樹を利用すればするほど、生態系も豊かになっていく。クヌギと日本人とのしなやかな関わり合いは、「自然と人の共生」の理想型である気がします。日本の”文化遺産”として、これからも残していきたいものです。


<クヌギ 基本データ>

学名 Quercus acutissima
ブナ科コナラ属
落葉広葉樹
分布 本州(関東以西)、四国、九州
樹高 20m
漢字表記 椚、櫟、●(木偏に象)
別名 ツルバミ
英名 Sawtooth oak

<参考文献>
・里地里山と生物多様性
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010690529.pdf
・里山環境の歴史性を追う
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010751958.pdf
・森林総合研究所ホームページ
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010751958.pdf
・里地里山の現状と課題について
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010751958.pdf
・日本におけるブナ科のすみわけ 〜遷移理論と実際の研究例にも言及して〜 広末詔三著
・林業遺産紀行 猪名川上流域の里山について
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsk/74/0/74_26/_pdf
・日本一の里山林
https://web.pref.hyogo.lg.jp/hnk02/documents/satoyama.pdf


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