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フォレストリップ! 日本全国、いちおしの森を集めました

僕の趣味は森歩きです。特に、太古の時代の日本の自然が未だ息づいているような、原生的な森が好き。
………こう書くと、テントに泊まりながら、人里離れた深山の中を何日もかけて歩き回る…みたいな旅のスタイルを思い浮かべられるかもしれませんが、僕はテント泊は大の苦手。それほど体力があるわけでもないので、何十kmも歩くようなロングトレッキングも好きではありません。

しかし日本の自然というのは懐が深くて、僕のような軟弱者にも、原生的な自然を堪能する機会を与えてくれるのです。

なんせ私たちは、国土の70%が森に覆われた、世界有数の森林大国に住んでいるのです。車でアクセス可能なエリアにも、原生的な森は案外たくさん残っています。
コレ、ヨーロッパやニュージーランドじゃあり得ないこと。「原生的な森が文明圏のすぐそばで息づいている」というのは、日本の自然が持つ大きな価値の一つだと思うのです。

今回は、そんなお手軽森歩きスポットをご紹介しようと思います。

予定がない休日に、ちょっと遠出して、原生的な森を訪ねてみる。そして、普段見ている景色と比べて明らかに異質な、純度の高い自然を堪能する…。週末のお出かけが、ちょっとした冒険に様変わりすること間違いなし。
そんな楽しみ方ができる森を集めました。お住まいの地域の近くで、お気に入りの森があれば、ぜひ訪ねてみてください〜。
・フォレストリップ!は、過去にも何本か記事を投稿しています。もしよろしければ、ご覧ください。




1.室戸岬の森(高知県)

四国南東端に突き出す室戸岬は、日本屈指の秘境。
古来から人の流れの中心であった畿内・瀬戸内から見ると、室戸岬は海を渡った先の四国から、さらに険しい山岳地帯を超えた向こう側。徳島市からは車で3時間弱かかります。
他の地域から隔絶された僻地であるため、室戸のあたりは日本有数の人口希薄地帯となっています。なんせ、岬の先には、4000キロ先のニューギニア島まで何も無い、広大な太平洋が広がっているのです。大地の端っこ、どん詰まりの土地。今も昔も、行こうと思わなければ決して辿り着けない、孤立した一帯……。

室戸岬沖は天候が急変しやすく、古くから海の難所として知られていた。1899年に建造された室戸岬灯台は、約50km先まで照らすことができる、日本で最も高性能な灯台のひとつ。

1200年前の平安時代、そんな秘境じみた土地柄に魅せられ、この地に滞在した旅人がいました。高野山の開山で有名な、弘法大師(空海)です。当時20代だった弘法大師は、岬の背後にある「御厨人窟(みくろど)」という洞窟にこもって修行を行い、悟りを開いたんだとか。
室戸には、そんな彼に関する面白い伝承が伝わっています。

”あるとき弘法大師が室戸の村落を通りかかると、村人が芋を食べていた。弘法大師は、ちょうどそのときお腹が空いていたので、その芋を分けてくれないかと村人に頼んだ。
しかし村人はケチだったのか、「この芋には毒があるから食べられないよ」と見え透いた嘘をついた。これに憤慨した空海は呪いの術を使って、周囲一帯の芋を本当に食べられない芋に変えてしまった。それ以降、室戸の地には、毒ありの”食わず芋”という芋しか生えないようになった…”

よくよく考えると、見知らぬ人に芋を分けてあげるような義理は村人には無いわけで、弘法大師の行動は昨今のSNSを騒がす迷惑観光客と一緒な気がしますが、植物マニアとして読むとこの伝承は非常に興味深い。

「食わず芋」は、サトイモ科のAlocasia odoraという実在の植物で、和名はそのまま「クワズイモ」。実際に根茎部には毒があり、誤食すると口内の麻痺や嘔吐、皮膚炎などの洒落にならない中毒症状が現れます。

クワズイモは、世界中の亜熱帯・熱帯地域で庭木として利用されている。
また日本でも、観葉植物として人気。写真はニュージーランド北部で植栽されていたクワズイモ。

クワズイモは本来、熱帯の植物で、自然分布の中心はインドからインドシナ半島、中国南部、台湾、そして日本の琉球奄美にかけて。日本最大のどんぐりを探しに石垣島の森に行った時には、そこかしこでクワズイモの鬱蒼とした茂みを見かけました。
そんな植物が、熱帯からみるとだいぶ北にある四国の伝承に登場する。なんとも奇妙な話ですが、このカラクリは室戸の独特な地形に隠されています。

室戸岬の森。人口が極端に少なく、訪れる人も少ない地であるうえ、山の山頂部に最御崎寺という寺院があることから、人間による改変を殆ど受けてこなかった。

四国を含む西南日本の沖合には、南方から暖かな海水を運んでくる黒潮海流が流れています。室戸岬は、四国の本体から大きく南に突き出し、この黒潮に接近しているため、周囲と比べて格段に温暖な気候を帯びるのです。
弘法大師の伝承に登場したクワズイモは、そうして形成された局地的な亜熱帯気候に依存して生育していたのでしょう。

室戸岬のアオギリ(Firmiana simplex)。関東以西の日本の都市部では、よく街路樹として植栽されているのをみかけるが、本来の分布域は琉球奄美〜中国南部、東南アジアにかけて。
れっきとした熱帯の植物なのである。室戸岬は、アオギリの自生の北限のひとつ。

黒潮によって育まれた室戸の特異的な自然は、弘法大師の時代から1100年以上経った明治時代、今度は修行僧とは全く別のタイプの旅人を虜にしました。
植物学者です。

当時は日本植物学の黎明期で、欧米から輸入された近代的な手法をもとに、日本全土の植生が踏査されつつありました。その過程で、他に類を見ない室戸の植生は大きな注目を集めたのです。
近代日本を代表する林学者・本多静六は、1900年に出版した「日本森林植生帯論」で、「四国の南端部には、亜熱帯性の樹木が生い茂った特殊な森がいくつか存在する…」という旨の記述を残しています。そのうちの一つが、ここ室戸の森でした。

ヤナギ科のクスドイゲ(Xylosma congestum)。西日本の温暖な地域の海岸線に生育する樹。
若木〜壮齢木には鋭いトゲがある。

1920年には、同地の学術的な価値が認められ、”室戸岬亜熱帯性樹林及び海岸植物群落”の天然記念物指定が行われました。それ以降現在に至るまで、室戸の森は自然のままの状態を維持しています。

そもそも室戸岬というのは、古来から人の往来が希薄な土地。人間による大きな撹乱が起こるような場所ではありません。おそらく天然記念物指定が行われる前、明治の植物学者たちが調査に訪れる前から、この地には純度の濃い自然が残されていたのでしょう。
こういう土地は、植生オタクとして放っておくわけにはいきません。2022年10月、未知なる亜熱帯の植生を求めて、神戸から車を走らせました。

室戸岬の岩が多い地表の上には、アコウの巨木が多数生育する。

……室戸の森に入って、まず最初に目につくのはアコウ(Ficus superba)の大木。クワ科イチジク属の半落葉広葉樹(気象条件によって、落葉性にも常緑性にもなる樹)で、アグレッシブな支柱根を伸ばすのが特徴。
持ち前の支柱根を近隣の樹に絡ませて窒息させ、日照を奪って成長する、という誠にお行儀の悪い習性の持ち主で、性格の悪さがヤンチャな樹姿に滲み出ています。

太い枝を、ぶっきらぼうに四方八方に伸ばす姿は、さながら阿修羅観音のよう。

僕は以前、和歌山県日高の社寺林でもアコウに会ったことがあります。あそこの森は不良アコウの溜まり場で、ビャクシンやタブノキ、ヤブニッケイ等々、数多の樹がアコウによる日常的な暴行を受けていました。彼らの傲慢な態度を目の当たりにして、樹木の社会の”腹黒さ”を実感したのを覚えていますが、室戸の森のアコウは一体どんなヤツらなのか。
室戸は日高よりも温暖だし、きっと大勢の被害者が泣きを見ているんだろうなあ…そう思っていたら、事情は全然違いました。

今にも歩き出しそうなアコウ。液体のような滑らかな見た目の質感で表現される、
支柱根のアート作品…。なんとも魅力的。

意外にも、室戸岬のアコウの素行は、それほど悪くないのです。少なくとも、他の樹に取り憑いて暴虐の限りを尽くす、凶悪アコウは殆ど見かけませんでした。

斑れい岩の上に支柱根を張るアコウ。

室戸岬の突端には、常時強い海風が吹き付けるため、森の樹の高さは低く抑えられます。それゆえ、日照をめぐる競争は穏やかで、わざわざ他の樹を殺害してまで林冠のスペースを獲る必要はないのでしょう。
壮齢のアコウたちは皆、室戸特有の斑れい岩に支柱根を絡ませ、自らの力で樹幹を維持しています。支柱根を凶器として悪用せず、正しく使う、礼儀正しい樹姿…。なんか好感度上がっちゃった。

斑れい岩の上に支柱根を張り、アーチを形作るアコウの巨木たち。

室戸岬は、アコウが育つ土地としては最も北に位置します。彼らの分布は、ここから黒潮海流を逆に辿るようにして南下してゆき、琉球奄美、台湾、中国南部、果ては東南アジアにまで達するのです。支柱根によって作り出された怪しげな森景色を眺めていると、「ここは熱帯の入り口なんだなあ」と実感してしまいます。

バクチノキ。日本に生育するバラ科サクラ属樹種の中では唯一、常緑。
サクラ属特有の蜜腺も見られる。関東以西の、温暖な土地に生育する。
特に、黒潮海流が当たる太平洋側、対馬海流があたる九州北部〜山陰西部に多い。

アコウ以外にも、興味深い樹種はたくさん。上の写真(↑)に写っている葉は、暖かい海流に接する土地が好きなバクチノキ(Prunus zippeliana)。昨今のメディアを騒がす某通訳を思い出させる名前ですが、桜の仲間です。幹を太らせる際、身に纏っていた樹皮を完璧に脱ぎ捨ててしまう、という特殊な性癖の持ち主で、これを傍から見ると「ギャンブルで身ぐるみを剥がされた人」に見える……というのが樹種名の由来。
彼自身は、ただ単に大きくなっているだけなのに、とんでもない名前をつけられたものです。

室戸岬の森の外観。トベラ、ウバメガシなど、典型的な海岸の樹木も多い。
海風のせいで、樹高は低く抑えられている。
岩陰で風を凌ぐウバメガシ。室戸岬のウバメガシは、強風の影響をうけて幹枝が
異様にグネッている。この樹形の美しさも、天然記念物指定の際に注目された。
もちろん、クワズイモもちゃんといました。室戸の森の温暖さがよくわかる。

前述の通り、クワズイモやアコウ、バクチノキをはじめ、室戸岬に茂る亜熱帯植物の多くは、海流が運んでくる暖気に依存して生育しています。室戸の森の植生は、黒潮を通じて、遥か彼方の熱帯の風土と繋がっているのです。

日本の本土の端っこは、海を超えて南へ広がる、熱帯性の植生の玄関口。亜熱帯の植物と温帯の植物が混じりあった、室戸の独特な林相を眺めていると、「地球の植生は、海を跨いで繋がっているんだなあ…」と実感できます。
弘法大師の訪問から約1220年、明治時代の植物学者の訪問からは約130年、今度は令和時代のしがない樹木オタクが、室戸岬の虜になりました。


海岸植物の定番、トベラ。海から飛んできた塩の結晶が、葉の裏の気孔に付着すると葉の水分が奪われ、樹全体の生存が危うくなる。これを防ぐために、葉裏が内側を向くように、葉全体を丸めるのである(写真1枚目)。悪臭を放つ実は、魔除けとして家の扉にかけておく風習があった。
これが「トベラ(”扉”が訛ったもの)」という樹種名の由来(写真2枚目)。

<室戸岬亜熱帯生樹林及び海岸植生群落>

所在地 高知県室戸市
車でのアクセス 
・徳島方面からの場合、徳島道徳島ICから、国道55号をひたすら南下するだけ。130km、3時間
・高知方面からの場合、高知市内から高知東部自動車道(断続的な無料の高速)、国道55号をひたすら進む。84km、2時間        
公共交通機関でのアクセス 
・阿佐海岸鉄道甲浦駅、土佐くろしお鉄道奈半利駅からバスが出ているが、本数は少ない。
遊歩道の整備度 良好に整備されている。運動靴で問題なし
遊歩道の体力度 
急な勾配や危険な箇所、難所はない。海岸の森を歩くだけなら、長い距離を歩く必要はない。おおむね1時間あれば、岬周辺の森や、海辺の景色を見て回ることができる。
その他
室戸は、自販機のお茶やスポーツドリンクに用いられる”海洋深層水”の取水地として有名。海洋深層水は、北大西洋の北極圏から、2000年以上かけて世界中の海底を循環し、室戸の沖合にやってくる水で、有機物に乏しい深海の環境(光合成が行われておらず、微生物の繁殖が少ない)の影響で栄養塩を多く含んでいる。室戸沖には、深層水が海面付近まで湧き上がってくる”湧昇流”があり、これが取水を可能にしているんだとか。
お土産店で入手可能なので、ご興味がある方はぜひ。

2.田長谷(和歌山県)

過疎化が進む現在、日本の田舎を車で走っていて見えるものといえば、ひたすら森、森、森。限界集落に近いところでは、田んぼや集落が放棄され、そのまま森に還ってしまったんだろうなあ…と思わしき景観もよく見かけます。今や日本の奥地では、人間よりも樹木のほうが勢いづいているのです。
そんな景色の中をドライブしていると、時折、樹木の目線でしか見えない”植生の結界”の存在を感じることがあります。

廃林道に生育していた、サワグルミの若木たち。人間が作った道路敷は、
大量の砂礫が堆積した土地を好む河畔林系の樹種の棲家となる。青森県五所川原市にて。

距離にして数百m、標高差にしても数十m、時速60kmで流れる現在の人間の道路交通にとっては、全く取るに足らないような峠や坂。でも、それを超えると道路脇の植生がガラッと変わる。樹木にしか知覚できない、見えない”境界線”があるとしか考えられない。そんな不思議な場所が、日本には何箇所か存在するのです。

京都の奥座敷・鞍馬の森は、僕が感じた”植生の結界”のひとつ。
鞍馬山の遊歩道周辺では、冷温帯系の樹種(トチノキ、ホオノキ)、中間温帯系の樹種(モミ、ツガ、イヌシデ)、暖温帯系の樹種(ヤブニッケイ、エノキ)が入り混じった森を見ることができるのだが、鞍馬山から貴船川沿いの府道を1kmほど遡ると、周囲の植生は冷温帯系の樹種一色(ヤマハンノキ、カツラなど)になり、森の様相がガラッと変わる。貴船川が屈曲を数回繰り返しているあいだに、森の景色が完全に入れ替わる。何が起こっているのやら。

私たちは、たった1日で南半球まで到達できる程に、長距離移動に長けた生き物。どこまでも行けちゃうからこそ、今自分が暮らす土地に対しての感性は非常に鈍いのです。ましてや、たった1kmにも満たない距離の間で起こる変化なんて、気づきようがない。
でも、樹木たちは違います。たとえ数百m先でも、生涯動けない彼らにとっては、決して到達し得ない碧落の地。まさしく”土地に縛られる”生き物なので、風土の違いに対して非常に敏感なのです。人間には感じられない何かを、樹木たちが鋭敏に察知し、森の景色を入れ替える。ドライブ中にそんな現象に遭遇すると、「彼らは一体、この場所で何を感じているんだろう…」と不思議で仕方がなくなるのです。

原生的な森の奥深くは、環境が変化しにくいので、植生が時間的に”止まって”しまう。
それゆえ、出会える樹木の種類はそう多くない。しかし、道路脇は、人間による地形改変、
大木の伐採など、環境の変化が多い場所であるため、出会える樹種の数は格段に多い。
「この樹、なんだろう…」で悩むのも、たいてい道路脇。

西日本には、そんな”結界”が500km以上にわたって伸びている地帯があります。奈良県の吉野川のあたりから、海を2つ超えて九州中央部まで伸びる中央構造線の周辺地域です(地質学的には、中央構造線は奈良よりも東にも続いており、伊勢湾と中央高地を横切って霞ヶ浦まで伸びる)。

中央構造線は、約7000万年前、はるか南方からやってきた揚子大陸(現在の中国南部)の断片の陸塊と、元来形成されていた日本列島の原型が衝突してできた大断層。つまり中央構造線の北側と南側は、もともと全く別の陸地だったのです。これが植生にも大きな影響を及ぼしていて、断層を超えて南北を行き来すると、森の様相はガラッと変わります。

中央構造線よりも南側の土地では、他のどの地域の植生にも似ていない、独特な森が出現するのです。

1930年代、このことに気づいた小泉源一という植物学者は、中央構造線以南で出現する森に対して”ソハヤキ(襲速起)植生帯”という特別な名称を与えました。その範囲は、おおむね九州南部、四国南部、紀伊半島(文献により差あり)。西南日本の太平洋側、黒潮海流が当たる地域です。

ソハヤキ植生の分布図と中央構造線。

しかし僕は当初、ソハヤキ植生という言葉にいまいちピンと来ていませんでした。
阪神大震災の震源に近い地元の神戸にも、東西方向の断層がたくさん走っていますが、それらの多くは地中に埋まっていて、地表からその存在を感じ取ることはできません。地震でも起きないかぎり、断層の真上でも都市の営みはいつも通り進んでいくのです。
地中で息を潜める断層に、地上の樹木たちの分布をいじくり回す能力があるものなのか…?そう思って、「中央構造線とソハヤキ植生」という言葉の並びを咀嚼することができなかったのです。

ソハヤキ植生帯に属する、高知県魚梁瀬のスギ巨木林。

しかし2022年の秋、実際にソハヤキ植生が展開された森に足を踏み入れると、僕の考えは大きく変わりました。
そのとき訪れたのは、四国山地の奥深く、高知県千本山の魚梁瀬杉(やなせすぎ)巨木林。森に入った瞬間、目に飛び込んできたのは、ヤハズアジサイ、ヒメシャラ、クロバイ、ハイノキ、コウヤマキ、オンツツジなどなど、神戸では殆ど見られない樹木たち。樹種の多様性はめちゃ高く、森の奥へ進むほどに、未知の樹木が出現します。

……なんやここ、神戸の森の植生と全く違うやないか。中央構造線は、確かに日本の森を分断していたのです。

ヤハズアジサイ(Hydranger sikokiana Maxim.)。
ソハヤキ植生が展開された土地にのみ生育するアジサイの一種。

それ以来、僕はソハヤキ植生の虜になってしまいました。

あのとき見た魚梁瀬杉巨木林は、数百年前に何者かによって植栽された人工林。低木層から高木層まで揃った、原生的なソハヤキ植生が鑑賞できる森はないのだろうか?
そう思って、西南日本の地図を眺めたり、植物愛好家のブログを読み漁ったりする日々を過ごすようになりました。

ヒメシャラの大木。ソハヤキ植生特有の樹種。奈良県の紀伊山地にて。

そんな中で見つけたのが、和歌山県新宮市の田長谷(たなごたに)の森。日本有数の森深き土地、熊野川流域の急峻な山肌に抱かれた天然林です。過去数百年のあいだに、大きな撹乱は一度もなかったらしく、山全体が巨木の森で覆われています。

熊野川。紀伊半島の最南部の山岳地帯を縫うように流れる一級河川。

いざ森に入ってみると、樹齢200年はゆうに超えていると思われるツガやモミの巨木がたくさん。恰幅のある幹をさかんにぐねらせながら、何層にもわたって枝葉を茂らせ、林冠を密閉しています。
森の断面を埋めるのは、イヌガシやバリバリノキ、シキミ、クロバイなどの常緑樹。西南日本の森特有の、むせかえるような濃い緑。杉や檜の人工林が造成される前の熊野の山は、こんな原生林で覆われていたんだろうなあ。

ツガの巨木。ツガは、西日本の深山を代表する針葉樹で、秋篠宮さまのお印にもなっている。

森の奥へ進むと、ウンゼンツツジ、トガサワラ、コウヤマキなど、ソハヤキ植生特有の樹種が続々と出現。神戸の森とは全く趣が違う、なんとも複雑で、豊穣な植生。ここが憧れの”原生的なソハヤキの森”だと確信しました。

田長谷の森の断面。多種多様な樹種が入り混じる。ウンゼンツツジ、トガサワラ、
コウヤマキ、ヒメシャラなど、ソハヤキ植生特有の樹種も多く見られる。

ソハヤキ植生帯は、日本本土ではトップクラスに樹種の多様性が高い森。田長谷も例外ではなく、森の1点に立って辺りを見回すと、それだけで十数種類の樹が目に入ります。これは僕からしたら感激モノ。地元の神戸では、乾燥した瀬戸内気候のせいで単調な植生しか見られないのですから……。

熊野の深山は、専らツガに覆われているらしい…。

前述の通り、田長谷をはじめとする西南日本の太平洋側は、1億3000万年前まで、現在の中国南部と繋がっていました。そこから長い年月をかけて、大陸の植生を載せた陸塊が2000km以上北上し、現在の日本列島に接近したのです。
やがてその陸塊は、黒潮海流が当たる西日本の南岸とくっつき、後に紀伊山地・四国山地となる深い深い山岳地帯を形成しました。そして、黒潮が産んだ雨雲がその峰々にぶつかり、膨大な降水をもたらしたのです。

岩が多い急傾斜で踏ん張るようにして根を張る、ツガの巨木。
緑濃い田長谷の森。

陸地の移動によって日本に連れてこられた大陸由来の植物たちは、豊富な降水のもとですくすく育ち、独特な植生を形成しました。そうして出来上がったのが、現在の田長谷に広がっている、ソハヤキ植生の森。
長い長い植物進化の歴史を溜め込んだ大陸の植生が、そのまま”コピー”され、日本有数の多雨地帯で森を創り上げたこと。これが、ソハヤキ植生帯で樹種の多様性が爆発している理由です。

田長谷の深い森は、数千万年前の日本列島形成の歴史を、未だに記憶しているのです。

トガサワラの巨木。「生きた化石」と呼ばれる日本固有の針葉樹。

人間の短い寿命では、大地の移動や形成を体感することなんて到底不可能です。そもそも、文明の発達によって世界が随分と小さくなり、あらゆる物事が高速で進んでいく今の時代、そんなことに気を留める必要もないでしょう。私たちの社会の時間軸と、地質学的な時間軸は全く違うのです。

しかし森では、同じ土地に何百年と根を下ろす樹木たちがひしめき合っています。それゆえすべての物事が、人間の寿命を遥かに超えたスケールで、ゆっくりと進んでいきます。森の時間軸は、その基盤の大地の時間軸と、ある程度連動しているのです。

地上ではとっくに風化してしまった大地の歴史が、”森”という形でふいに地表に浮き出てくる…。ソハヤキの森は、そういう場所なのでしょう。

撮りすぎたので載せちゃいます、ツガの巨木。

日本の田舎を旅していると、ふと感じる”植生の結界”。その正体は、日本列島の大地に刻み込まれた、遠い遠い過去の記憶なのではないか。田長谷の鬱蒼とした天然林を歩いていると、そんな想像が膨らみました。

<田長谷森林自然公園>
所在地 和歌山県新宮市
車でのアクセス 新宮市内から国道168号を13km内陸に行ったところ(新宮市熊野川町田長)で左折し、山側に伸びる細い林道に入る。そこから約6.2km、20分で遊歩道の入り口。国道から遊歩道入り口までの林道は狭く、ところどころ離合困難な箇所がある。国道から林道に入る際の目印は、国道脇のガードレールに取り付けられた「鼻白の滝」という看板
公共交通機関でのアクセス ー
遊歩道の整備度 トレッキングシューズ必須
遊歩道の体力度 遊歩道を1周するには、おおむね90分ほどかかかる。急な上り・階段の連続

参考文献


室戸市(2019.)名勝室戸岬、天然記念物室戸岬亜熱帯性樹林および海岸植物群落保存活用計画pbf20190329182753.pdf
https://www.city.muroto.kochi.jp/pbfile/m000606/pbf20190329191653.pdf

中澤保(1994)”室戸岬の植物相と植生
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2030550414.pdf

清水, 善和(2014)”日本列島における森林の成立過程と捉え方”
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33916/kci027-02-shimizu.pdf

静岡県(n.d.) “生物多様性の現状と課題”
https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/017/698/2-2shou.pdf

室戸ユネスコ世界ジオパーク(2020)”室戸における系統学的位置付けと地史との関係
https://www.muroto-geo.jp/wp-content/uploads/2020/07/368c89c431e34371bab825554a9810c3.pdf

西田進のホームページ(2003)”長野県大鹿村の大断層「中央構造線」
http://www.nishida-s.com/main/categ3/mtl-nagano/

和歌山県(2020)”白見山和田川峡県立自然公園 指定書および公園計画書
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/032500/shizen/park/shiramisan_d/fil/keikaku.pdf


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