見出し画像

2021/03/25 何かに選ばれる

みなさんこんにちは。ヒデです。

人生仕事や自分頑張っていることで、コンペティションなどの賞レースでの入賞、新人賞やMVP、何かの登壇など

「何かに選ばれる」

という機会があると思います。今日はそんなお話。

「選ばれる」に恵まれない

僕はあまり何かに選ばれたり、賞を取ったりすることに恵まれておらず、昔はなんでこんなに努力してあそこにいけないんだろうとか、そこに行くためにはどれだけ努力すればいいのだろうとか思っていた。

嫉妬とひねくれた感情がたくさん湧き上がって、自分で自分が嫌いになるくらい。

誰かと比較しなくていい、オンリーワンでいい、自分は自分らしくってみんな言うのです。でも、

「じゃあなんで賞をつくるんだ?わざわざ比較する仕組みをつくって『自分らしく』ってなんだよ」

って正直思ってました。「みんな違ってみんないい」なら優劣なんてつけるなよと。

自分でもひねくれてるなって思うんですが、確かにそう感じていたのです。

優劣の必要性

教育分野で働いているとき、たくさんのお子さんの話を聞くことができた。義務教育ではなくむしろその場で困難を感じるお子さんが多かったのもあって、お子さんそれぞれが持つ個性が尊重されることがとても大事な環境。

だからできる限り比較しない仕組みをそこでは目指してました。何かで表彰するときも必ずポイントを絞ってそれぞれが良かったということをしっかり伝えたり。「良い」の定義が明確にないからこそみんなフラットに評価していく。それが「正しい」と盲目的に思ってました。

僕自身がその「正しさ」を持って接しているある日。ちょっとした違和感を感じることがあった。

それはみんなが無邪気にものづくりをしている空間に流れるちょっとした停滞感。おそらく本人たちは自覚していない「作業」と化しているものづくりの雰囲気。

気になってみんなに声をかけてみたけど、いつもと比べてすごく様子がおかしいわけではない。ただ、普段から楽しんでいるお子さんを何百人もみていれば、変化には敏感に気づきます。

その子たちはその教室の中ではむしろできる方で、問題を抱えているようには見えなかったのも違和感につながっていたのでしょう。気になって指導記録を見返すと数週間あんまりチャレンジがない。話しても勢いがない。好きなことを黙々とやっているので、機嫌が悪いわけじゃない。

そんな中曜日の振替で別のクラスから来た子のつくっているものの話を聞いて急にスイッチが入った。「それくらい俺にもできる。むしろもっとすごいものがつくれる」と。実際その子はその数週間分のアウトプットをはるかに超える勢いでものづくりを進めてました。

(なるほど。この子は比較や評価をエネルギーにしているのか。)

知らぬ間に「比較しないことが正義」という偏見と先入観で人を見ていた自分を恥じました。誰だって承認欲求はあるし、比較されることで刺激になって、そこから自分自身を見つけることだってできる。

自分自身でいることというのは、0から何かを生み出すことを意識しなければいけない。僕自身もそこには自信がなくて、ずっとアウトプットできないでいた。だから「全くの比較のない世界」はそれはそれで地獄だと感じる人間もいるのだ。

なのに「評価や比較するなよ」とか何を勘違いしていたのだろう。

自分らしさと相対比較のバランス

結局のところ自分らしくあることはもちろん大事だが、その中には「他人との相対比較が行われることで自分らしくいられる」ということが包含される。

要は比較されることもそうでないことも「自分らしく評価される」ことの一部でしかないし、そうあるべき。

僕がフラストレーションを昔感じていたのは、自分でコントロールできない部分が大きいからだと思う。そして比較されること=評価されることというように区別がついていなかった。

「比較される世界だけ見たら自分は置いていかれるから比較されない世界が欲しい」というだけで、比較されない世界でどう評価されるかはちゃんと考えていなかったように思う。だから比較されることもされないにかかわらず誰かを評価することに向き合うようになった今、その設計やバランスの難しさに恐れ慄く自分がいる。

評価は自分のためじゃない

僕自身が昔感じていた疑問「なんでこんなに頑張ったのに評価されないのか?」に対して自分で回答すると、

①賞などの評価はその本人のためじゃない。そこに関わる人たちの士気を維持したり、その先でその人やプロジェクトに更なる期待値を込めるために行うもの。頑張ったことの労いだけじゃない。

②賞をあげてそれを踏み台に頑張って欲しい人と、そうではない人がいる。0から生み出すことに期待したいやつは相対比較で評価などしない。シンプルにアウトプット先のお客さんやユーザに評価されるべき。「生み出す」ではなく「よくできる」に期待したい人には相対評価で輝かせたい。

結局自分本位で自分の評価のために比較して欲しい/比較して欲しくないというところにフォーカスがいっている時点で評価するには難しいし、そこが昔はわかっていなかったんだろうな。


自分らしく評価されて、それで自分の周りが幸せになる、そんな環境をたくさんつくっていけたらいいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?