見出し画像

2021/07/24 「報われる」となんなのだろう

音楽を作る、トークを配信する、本を書く、プログラムを書く、たくさんのことをしているけど、僕は「何かを始めること」が大好きでそこにどうしてもフォーカスしてしまうので「何かを達成する」ということが得意ではないように思う。

永遠の未完、を楽しむような、ちょっと偏った性格。

ただ、自己承認欲求はあるから、何かしら「報われたい」とも思っている。

この「報われる」とはなんなのだろう?


物事には「きっかけ」と「過程」と「結果」がある。では報われるとは「結果」のことなのだろうか。

結果が出た時にそれが報われた!と感じるかどうかは別。じゃあ「報われる」とは「結果」の向こう側にあるのか。

これは個人的な感覚だけど、「結果が出ること」と「成功すること」と「報われること」が全部ごっちゃになってしまうタイミングが多い気がする。

実は結果は目の前にあるんだけど成功していないから結果が出てないことにしてしまうとか、実は成功しているのだけど報われていないから成功していないことにしてしまうとか、実は報われているのだけど結果が出ていないから報われないと嘆くとか。

その3つを一緒に考えて過ぎてしまい3すくみの状態でなんだか自分のやっていることに実感が湧かない、そんな日々を過ごしてしまう。


自分の「結果」「成功」「報酬」を因数分解できるかどうかで捉え方が変わってくるのだと思う。

全てが揃っている状態になるケースはかなり少ない。だからこそ一緒にしてしまうとどうしても「できていない自分」を他人と比較してしまい、しんどくなってしまう自分がいる。

もちろん最終的には掛け算だから、どれかのレベルが足りていなければ全体として満足できるものにはなってこない。でも、因数分解できていないくて闇雲に全て求めようとすると今度は自分の能力が足りない。だから自分は今何が足りていなくて、何を求めているのかその把握が必要。

もしかしたらどれか一つに対して自分の期待値が高すぎるだけかもしれない。成功のイメージが高過ぎて結果が見えなくなるとか、報酬への欲が強過ぎて本質的な成功を見逃しているかもしれない。


ちょっと寄り道しちゃったけど僕にとっての「報われる」ってこういう結果が欲しいとかこう成功したいとかを除いて考えると、

「新しいことを始める時に声をかけてもらえる」

だなぁってぼんやり思っている。やっぱり新しいことに挑戦できるのは大好きだし、そこが僕自身の価値な気がしている。

だからそのための結果や成功の水準を決めたり達成するためのロードマップを引いてみよう。きっといつもとは違う目線で作ることができる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?