いつかは、終わるときがくるから。
一年経った。早かったのか、それとも緩やかな時間だったのか。
オランダに行った。アメリカにも行った。沢山の出会いもあった。そうやって重ねた時は、いつも大学院というその場所に通じていた。
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多くの友人が3年ほど前に感じたかもしれない気持ちを今、抱えながら、後輩にあたる修士の学生を見送った。見送ったのだから、僕はまだ学生だった。けれども、そのときは、確実に近づいている。
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はじめに断っておきたい。僕は今、酔っている。飲み過ぎた。楽しかったから。
そしてその楽しさが、今僕にこのnoteを書かせている。その楽しさが、僕にこんな、切ない思いをさせてもいる。
通じるだろうか。
通じなくても良い。いつもと文体が違うのは、きっと酔っているからなのだ。酔いに任せて、キーボードを叩いているからなのだ。
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居心地の良い場所には、長居しすぎないほうが良いのかもしれない。離れ難くなるから。そう思いながらも、ついつい長居を試みてしまうのは、僕の意志が弱いのだろうか。
学生という、ある種守られた立場から一人で巣立って行こうとするとき、これほどにも多くの思いが胸に去来しようとは、大学を卒業するときの僕には想像もつかなかったのだった。
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なぜ僕は、大学院から離れ難く感じるのだろうか。
それはきっと、心から安心することができる場所だからなのだと思う。自分のことを理解してくれる、友と呼べる人たちがいるからというだけではない。存在を否定されないこと、語りを否定されないこと。そもそも語ることができるということ。それがまさしく、居心地の良さにつながっているのだと、そう思っている。
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だから、名残惜しくないわけではない。
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今日、一足先に巣立っていった仲間を見送りながら、4月を迎えるまでに残された日数を数えた。昨年度巣立っていった僕の同期が、なぜ学生を辞めてもこの学び舎に足繁く通おうとするのか、考えたりもした。
それらの問いの答えは、やはり「居心地が良い」という一点に帰結するのだと、そんな気がしている。
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だからきっと、僕は4月から、多くのことに戸惑うだろう。
大学院で当たり前であったことが当たり前ではない、そんな状況に多分に直面することになるだろう。
ひょっとすると、言語や文化の異なる国に飛び込んだような、そんな感覚に陥るかもしれない。
けれども、もしかするとこの大学院のような、そんな場所こそが稀有な存在なのかもしれない。こんなにもあたたかく、優しさに溢れる場所は、他にはそう見つからないのかもしれない。だからこそ僕はこの場所を心から居心地が良いと感じ、離れ難く思うのかもしれない。
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だから。辛くなったら帰ってきても良い。
何かを諦めても、諦めたくない場所や人があるとすれば、その一つは、確実にこの、大学院という場所なのだと、胸を張っていうことができる。
そしてそのときには、きっとあたたかく迎えてくれる人たちがいるのだと、そう信じてもいる。
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全てのことに終わりがあるのだから、僕の学生という立場にも終わりはくる。終わるまでのときを数えながら、そのときは今、ここで良かったのだろうかと振り返ったりして。
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名残惜しくない、わけじゃない。
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それでも、歩いていかなければならないのだ。進んでいかなければならないのだ。いつかは、終わるときが来るから。
いつかは、この居心地の良い世界から離れなければならないときが来るから。
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二度とは戻ることができない今、この瞬間を噛み締めながら、沢山の学友への感謝を胸に込めつつ、その終わるときを迎えようと、そう思っている。
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