【小説】タシカユカシタ #1
天井の文字
ゲームにあきた浩太は、リビングに大の字に寝そべった。
「ちょっと、そんなとこに寝転ばないでよ。邪魔でしょ。ゲームしないのなら、自分の部屋で寝なさい」
たたんだ洗濯物をかかえた母の美幸が、足で浩太をこづきながらそう言った。
浩太は、それには答えず天井をじっとみつめていた。
「ゆか」
通り過ぎようとしていた美幸は、浩太のつぶやきを聞きとがめた。
「ゆかってだれよ?どこの子?恋の悩みなら相談にのるわよ」
浩太は、体をおこして、うざったそうに美幸を見ると天井を指差した。
「ちがうよ。あそこにそう書いてあるんだ」
「どこよ」
「あそこだよ。照明の横のところ」
眉根をよせて浩太を見てから、傍らに洗濯物をおいて手をかざして天井を仰ぎ見た。
ゆか
確かにそう書いてある
照明から十センチぐらいのところに、鉛筆かなにかで書かれていて注意して見ないとわからないような小さな字だ。あまりうまい字じゃない。
「ほんとだ。浩太が書いたの?」
「書くわけないじゃん。ママじゃないの?」
「なんで私があんなとこに字を書かなきゃいけないのよ」
にらみつけられた浩太は、視線をそらして、天井の文字を見た。
「じゃあ、とくちゃんかな?」
浩太は、二年前に美幸と離婚した父親、徳次郎のことをそう呼んでいた。
「ううむん?」
美幸は、浩太をにらみつけていた顔をよけいに近づけた。
「あ、ああ」
そう言って美幸は、天井の落書きを見直した。
「あのひとのやりそうなことね」
急に興味をなくしたように、すっと床に置いた洗濯物を手に取ると、もうおそいから寝なさいと浩太に言って部屋から出て行った。
(ああ、またやっちゃった)
美幸は、浩太が徳次郎の名前を出すと、とたんに口数が少なくなる。
(まだとくちゃんのこと、許せないんだな)
徳次郎は浩太の父親で、二年前、美幸と離婚して家から出ていった。
徳次郎の浮気が離婚の原因だ。
浩太は、もう一度天井の落書きを見た。徳次郎は、二年前にこの家を出て行ったきり一度も来ていない。あの落書きが、徳次郎の書いたものだとしたら、徳次郎がこの家を出っていった二年前以前に書かれた物、ということになる。
ゆか
(ゆか‥‥長瀬由香)
浩太が、ゆかと言う言葉で最初に思いあたったのが、同じクラスの長瀬由香だ。
「駒田君、ちょっと話があるんだけど…」
由香が浩太にそう言い出したのは、今日の昼休みのことだ。
「渡り廊下のところで待ってるから来て」
そう言うと由香は、教室を出て行った。
「おい、なんだよ、こまだぁ、愛の告白かあ?」
「由香ちゃんが、待ってるぞ、はやく行ってやれよ」
六年生ともなれば、誰と誰が付き合ってるなんて話が、ちらほらでてくる。クラスメイトにひやかされて、居づらくなった浩太は教室をでた。
仕方がないので教室のある二階から階段で降りて、本校舎との連絡通路になっている渡り廊下まで行ってみた。
ちょうど本校舎と浩太たち六年生の教室がある北校舎の中間辺りに由香はいて、中庭を眺めていた。
浩太たちの小学校の中庭には、樹齢二百年を越える大楠がある。もともと本校舎の裏庭にそびえたっていた大楠を、団塊ジュニアたちで児童数がピークのとき建て増しされた北校舎が、囲むかたちになった。
その大楠を、由香は見上げていた。
「なんか用?」
由香は大楠を見上げたままだ。
「浩太と由香ちゃん、あっちっちいぃぃ」
浩太は教室のほうを見上げ、うっぜぇなとつぶやいた。
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