ブルーノートの壁にもたれて
ジャズを聞き始めたのは確か15歳だったと思う。
当時僕は南半球のある都市に住んでいて、周りがよく聞くハードなロックに馴染めずに、ある週末、シティのHMVへ20ドル札を握って、なにか新しいジャンルのアルバムを一枚買おうと思ったのがきっかけだった。買ったのは確かジョー・ヘンダーソンのボサノヴァのDouble Rainbowというアルバムだった(いまでもいいアルバムだと思う)。
まだインターネットが登場した頃の話。
大学入学に伴い東京に戻ってきて、東京は実はニューヨークに次いでライブハウスが多い街だと気付いた。あのCDでしか聞くことができないと思っていたレジェンドが普通に来日するんだと。
そしてブルーノート東京に出会うことになる。
19歳の春。オスカー・ピーターソンが公演を行うと知った僕はもう何も考えずに、買ったばかりの携帯電話で予約を入れた。ギリギリ一席とれた。チケットは13,000円だったが行かなかったら絶対後悔すると思った。
当時のブルーノートは現在の場所ではなく、骨董通りの入口に近い方にあった。今のようにゆったりした作りではなく、狭いスペースに席がすし詰めになっている。ステージも客席から見てほぼフラットで、運良く最前列に座れたら、簡単にピアニストの足に触れることもできそうだった。禁煙のステージもまだまばらだったと記憶している。
当日。一時間前に行けばそこそこいい席がとれるだろうと思っていたが甘かった。もう最後の方だったのだが、運良く壁側の席が1席空いていてそこを取ることができた。
未成年だけどハイネケンを頼んで(老け顔だったのだ)、そのグラスが到着することにはステージが始まりそうだった。
編成はカルテット。ピアノトリオにギターと、後期のオスカーでは多くの録音が残っている。ステージに一人づつ呼ばれ、演奏しながらオスカーを待っている。
そしてレジェンドが登場する。体がでかい。相当足が悪いのかゆっくりとステージに向かっていく。
やっとピアノに座り軽く会釈。聴衆からは溢れんばかりの歓声。
そして弾き始めたのは「不思議の国のアリス」だった。
そのファーストタッチが耳に届いた時は、人生で最も幸福な瞬間だったと思う。全身の毛穴が開くという感覚を初めて知った。涙さえながしていたかもしれない。
気づいていたら立っていた。壁際の特権。もっとはっきりとオスカーの揺れる体を、なめらかな指先を見ていたかった。
正直その後の曲が何だったかよく覚えていないほどあっという間にステージは終わってしまった。
あれ程の感覚は、あれから音楽では感じたことはない。
実は次の日も立ち見で行ったのだけど、もうあの衝撃は味わえなかった。
あれからブルーノートが移転してからも(ちゃんとこけら落とし公演も見に行った。当時の彼女と。今でも大切な人だ)、もうかなりの回数通っていると思うけど(使った額を考えるとなかなかな気持ちになる)まだあの日の感覚を求めている。
でも、一緒に行った人と、あの場所でいろんな話をするのはとても楽しい。
また再開したらすぐ行こう。
もう壁際にもたれかかることはないけれど。