リセットボタン
ぼくが生まれたのは、ちょうど第二次ベビーブームの頂点。なので、小さい頃には、住んでいた同じ団地にも同い年や歳の近い子どもがたくさんいました。
その中でも、周りには女の子の方が多く、自然と女の子と遊ぶ事が多かったように記憶してます。
小学校に上がると、男のともだちも増えてよく遊ぶようになりましたが、ぼくから誘って遊ぶということはあまりなかったように思います。
夏休みのような長期の休みになると、自分から遊びに誘う事がなかったので、みんながいそうな公園や学校へ行ってみるのですが、誰もいなくて一人で時間を潰して家へ帰ると言うことが多くありました。
今から思うと、その頃から自分から誘って断られた時に、淋しい思いをすることを自然と避けていたのかなと思います。
思春期を迎え、好きな女の子ができたとしても、告白なんてことは全くできませんでした。断られること、拒絶されることをとても恐れていたんでしょう。ともだちとしての関係まで壊れてしまうことも考えると、波風立てず現状維持が一番いいと思っていました。
そんなぼくでも、きちんとお付き合いした女の人はいた。片思いだった人もいた。だいたい、そのような人は学校や職場などで知り合った人で、一緒に過ごしていくうちにだんだんと惹かれていくという感じで好きになっていった。引っ越したり転職したりで、そのままお別れになってしまう人もいれば、連絡をとり続けてしばらく付き合いが続くこともあった。それは、彼女であったり、同性異性のクラスメートや同僚でも同じで、時間が経つうちに自然と連絡を取らなくなり、関係も自然消滅していくことになる。
繋がりを「リセット」する癖があるんだと、ある時分かった。相手の中でぼくの存在が薄くなっていくことが、とても辛いので、そうなる前に自分から繋がりを「リセット」してしまえば、辛い思いも多少は緩和される。そう思って過ごしてきた。
拒絶敏感不快症(RSD:Rejection Sensitive Dysphoria)。
誰かに嫌われていると思うと、たとえ自分の思い過ごしであっても、とても辛く落ち込んでしまう。できれば、その人とは顔を合わせたくない。同じ場所に居たくない。嫌な表情をされるのが怖いから。自分の存在を無視されると、自分が存在すること自体を否定されると感じてしまうから。
それが職場であればその会社を辞めてしまう。SNSであればアカウントを削除してしまう。そのコミュニティには近づかないようにしてしまう。
そうやって逃げることしかできないし、逃げ続けてきた。
変えたいと思っていっても変えられな自分がいる。
「ポチッ!」
リセットボタンを押してしまう自分が、イヤでイヤで仕方ない。