曖昧の余裕、空想の余地が贅沢だから

なんでもすぐに、はっきりさせたがるのは人の本性なのでしょうか。

抽象的な絵を見てこれは何を表しているの?

何を描いているかわからないから、この絵は理解できない。

何を表現したいのかわからない、あの表現はどういう意味なの?


という言葉をよく聞く。

さらには、先日読んでいた美術手帖の中には多くの人がアートの表面的な部分のみでしか受け止められなくなっている、という言葉があった。

表現の自由展を受けての言葉だった。

実際のものをいかにリアリティに表現できるかというのが、

アートの素晴らしさを表す指標ではないでしょう。

分かり易ければわかりやすいほどいいのか。

私の思うアートの何が素晴らしさ。

作者の熱量、感情、考え、経験、知性、パーソナリティ、信仰

アートを通して、見て聞いて読んで触れて、その人のことを知っていく、

想像していく。

たとえそれが伝えたいものと違っていてもいい、

自分の解釈を通して、自分の中でその人の作品を完成させる。


私は美術の教育をほとんど受けたことがない。

小学生の頃近所の絵画教室に少し通った程度で、

絵はさほど上手くない。

大学の専攻もビジネスだ。


けれど物心ついた頃から、心に残る作品というのはいくつかあった。

公民館の階段のそばにあった銅像、

学校の校長室の隣にあった絵、

ジョルジュブラックのヴァイオリン、

産婦人科のロゴマーク、

アーヴィングペンの唇の上に止まる蜂。


なんとなくこういったものをいつも目に留めて、隅々食い入るよう見ていた。

好きな作品を見ている時間は恍惚的で、

何を表しているか考えている時間は永遠に伸びていく静かで心地いい空間だった。

ちなみに産婦人科のロゴマークは、中学生になった頃くらいにこれはマリア様だということに気がついた。


だからさ、アートってもっと自由でいいじゃないか。

もちろん文脈とか、市場での価値とかが大事っていうのはひとまず置いといて、

もっとアートを享受するハードルが下がればいいと思う。

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