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女が恋を始めるときは考え事が多い

20代半ばの女が恋愛を始めようとすると、色々と考えてしまう。もちろん男が全く考えていないとは言わない。

それでも、私が幻の赤ちゃんを抱いて就活をしてしまったように、恋愛する時にもその存在を常に感じているのは確かだ。

結婚願望の有無でチェックリストは意外と左右されない

  • 女癖は悪くないか

  • 周りの友達との関係性はどうか

  • 対等な立場で話し合いができそうか

  • 金銭感覚にズレはないか

  • 結婚や子どもに対する価値観は同じか

  • モラハラ気質ではないか

考えてみると枚挙にいとまがないが、結婚・子どもに関してはやはり生物学的リミットがある女性は、特に意識する部分だと思う。

今のところ、私は今すぐに結婚したいわけでもないし、今すぐに子どもが欲しいわけでもない。でも40歳になったときの自分が若いうちにどちらも実現しなかったことを悔やまないかと言われたら、全く自信がない。

そうなると、28歳時点で結婚の予定がなかったら将来の自分への保険として卵子凍結はしておこうと思う。それに誰かと付き合うなら、結婚しても大丈夫そうな人と付き合おうと思う。

結婚願望に明確なスタンスを持っていない限り、多くの人は一応結婚しても大丈夫なように…となるのではないか。知らんけど。

人間と仕事を天秤にかける、非人道的思考

ここまでは良い。変数が出てきたときが厄介なのだ。

さて、もしお付き合いをする人に転勤がありそうだったら。私は今の仕事を転勤がないことを理由に選んでいるため、仕事に軍配が上がってしまう。

もし結婚したら単身赴任/別居になると思うし、一時的なものでなく永続的な転勤が続くならそもそも別居婚になるのかもしれない。どんなに相手のことが好きだったとしても、私は東京に生きている。私自身の仕事のステータスが変わらない限り、着いていけない。

大好きな相手と一緒にいることを選んでこれまで自分が築いてきた人生を諦めるか、大好きな相手を諦めてこれまで自分が築いてきた人生を選ぶか。

人間と仕事を天秤にかける行為、あまりに非人道的だと思うのは私だけだろうか。

私と仕事、どっちが大事なの?

この思考プロセス、「私と仕事、どっちが大事なの?」という、かの有名な選べない案件と同じことを言っている気がしてならない。

どっちも大事なのはもちろんだが、多分私は仕事なんだと思う。というか、仕事というよりも「私」という個人の人格の維持が何よりも大事である。

「〇〇の妻」「〇〇のお母さん」ではなく、個人としての「私」。「〇〇の妻」であるから「私」の仕事が奪われる、という状況は死んでも耐えられない。

でも、これを悩まないといけないこと自体、おかしくないか。そもそも「結婚しよう」という話が出てから考えるべき案件で、スタート時点から考えるのは流石に女ならではだと思う。

子どもを本当に産むのであれば、生物学的リミットを考えると、無駄な恋愛をしている暇はほとんどない。

さて、これから私たち女はどう恋愛し、どう生きていくべきだろうか。

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