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愚痴の作法

先日駅に向かって歩いていたら、スピーカーで何かを演説している女性の声が聞こえてきました。どうやら駅の出入口付近で演説している模様。

拡声器を通した声は音割れしてしまって、加えて早口のため何を言っているかわかりませんが、駅に近づくにつれ、次第にスピーチの輪郭がわかるようになってきました。

しかし気になったのは肝心のスピーチ内容ではなく、彼女の喋り方です。

「~~なんだよ、たまんないよね」
「歩いてる人たちさ、聞かないとヤバいよ、ちょっとは聞いて?」
「少し自分の頭で考えてみれば、おかしいって誰でもわかるよね」
「無視?〇〇駅利用する人たちって、リテラシー低いって思われるよ」

不機嫌全開のむっつりフェイスで、通り過ぎる通行人たちに対し、タメ口で文句のオンパレードを投げかけていました。

内容は、とある制度に対する抗議でしたが、私がその時思っていたのは彼女の主張がどうこうより
「とりあえず耳障りだからサッサと聞こえないところまで行きたい」
でした。

なぜ耳障りなのか?
それは彼女の演説が「愚痴と押し付け」だからです。
愚痴を聞かされて気分がよくなる人はいません。

愚痴というのは自己否定の立場からの発言であり、外部からの自己承認を得ようとねだる行為です。だいたい、言っている本人は「切実な訴え」のように錯覚しています。

もし彼女が「多くの人に想いを伝えたい」「多くの人から共感を得たい」という目的で駅前演説をしているのなら、その態度は猛烈にアウトです。
さらに、このテロ行為ともいえる愚痴の無差別爆撃は、「この主張を唱える人達ってこういう人なんだな」という印象を不特定多数に与えてしまいます。

せっかく、街頭で演説をしようという大きな決意を持って実行に移したというのに、すべてが逆効果。

相手に聞いて欲しいと思うのであれば、その相手が気持ちよく聞ける、きちんと耳を傾けられる状態で話す、「聞いてもらおうとする姿勢」を自ら整えるのが鉄則です。
自分の都合だけを一方的に、攻撃的な口調でペラペラしゃべってくる人の話を、真摯に聞いてくれる人なんて、まずいないでしょう。

もしどうしても愚痴りたくなった場合は、
「愚痴になっちゃうけど、聞いてもらってもいいかな」
と相手に許可をとって承諾を得ること。
そして、聞いてもらったら
「愚痴を聞いてくれてありがとう」
と、時間とエネルギーを割いてもらったことに対し御礼を言うこと。
更に言うなら、
「おかげでスッキリした」「〇〇のように考えてみるよ」
と、自分の変化を効果を伝えてみると、なお良しかと思います。

これができないと周囲から人はどんどんいなくなっていくんじゃないかな。

まじめ。
おわり。

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