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最初にそこに猿がいたのか

「人間の想像力は無限大だ」と人はよく言うけれど、「想像もつかない」ともこれまた人はよく言うもんで、さて何を書こうかと何も思い浮かばないままテレビを見ていたら恐竜時代の話しが始まって、ふと、ここもずっと昔は土と石ころ以外はなんにも無い地肌丸出しのただの地球だったんだよなぁと思って窓の外を眺めながら何とかその風景を想像してみたけど、今いるこの場所の最初がそんなだったなんて全く想像つかなくて実感が一つも掴めなかった。

最初にそこに猿がいたのか、それとも本当に全ては海から始まって途中で猿が出来上がったのか、そもそも本当に祖先は猿なのか。どうやら猿の祖先が途方もない年月を掛けて少しづつ、本当に少しづつ人間という生き物へ進化して来たことは確かな事実らしいのだけど、あの一列に並んだ猿と人間なんかよりも、神話やオカルトに出てくるような、最初にもうそこに男と女がいて、とか、宇宙をもう一個外側で見ている世界があって、みたいな話しの方がよっぽどしっくり来てしまうのは、初めて人類がとぼけた瞬間だとか、初めて人類が寝過ごした瞬間だとか、初めて人類が忘れた事に気が付いて慌てて家に取りに戻った瞬間だとか、そう言う一つ一つの初めてが誕生した風景がどうにも全く想像つかないからなんだと思う。

子供の頃、友達だか兄妹だかとたまに家の中で隠れんぼをする時があって(決して豪邸ではございません)、そうなるとよくトイレの便器と壁の狭い隙間に体を捻じ込ませて隠れていたのだけど、今見るととてもじゃないけど子供でさえ入って行けるようなスペースじゃなくて、でも実際そこによく隠れていたことは確かで、すっぽり収まっている自分の姿を頑張って想像してみるけど何時まで経ってもやっぱりこれまた全くもって実感が掴めなかった。

例えば「三十年後、車は普通に空を飛んでいます」と言われてその風景を想像して見る。想像は出来るけど「いやいやいや」とその現実味まで掴むことは中々出来ない。それではこれならどうでしょうと「六億年前、ここには何もありませんでした」の風景を想像して見る。こちらはさっきとちょっと違って実際本当に起こった出来事。それでもやっぱり想像は出来るけど「いやいやいや」と現実味までは掴めなくて、なんならまだ見ぬ未来のことよりも何故だかよっぽど掴めない。

無限大の想像力の先に想像もつかなかった世界があって、そう考えると進化とは想像することで、こんな花びらの色になるなんて、とか、こんな毛並みになるなんて、とか、まさか目玉が無くなるなんて、とか、まさかこんな僻地で暮らすことになるなんて、とか、人間だけじゃなくて植物も動物もみんなみんな想像もつかなかった今を生きながら、まだ見ぬ未来を想像して「いやいやいや」と笑って今日を過ごしているのかもしれない。
と、こんなことを書くことになるなんてまさか想像もつかなくて。



#創作大賞2024 #エッセイ部門

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