次々に現れる医療技術との向き合い方を考える④~~「科学技術」における「信頼神話」の維持
下記の続き。
先述したように、医師、特に臨床医はサイエンスやテクノロジーの外部に存在するものである。一方で、これらを社会に提供する立場でもある。いわば仲介役にような役割を担っている。
だからこそ、「医療技術」以前に、現代の「科学」そして「科学技術」の姿、について知らねばならない。
ページ数のみ示している引用は、以下の名著からである。()内や太字強調は引用者による。
1、科学の変容
我々部外者が何となくイメージしてしまう科学は、未だに「アカデミズム科学」なのではないだろうか?
確かに20世紀前半までは、科学は「アカデミズム科学」であった。
しかし、徐々に「科学」と「技術」が融合し始める。そして科学は否応なく社会へ開かれ、社会との結びつきが極めて強くなっていく。
20世紀後半になると科学は「産業化科学」が主体となる。
(ちなみに、プロジェクト達成型の産業化科学の原型を作ったのはマンハッタン計画だった、という。)
ラベッツにによると、産業化科学において科学者は次の3つに分化するという。
①上司の管理下で働く雇用者
②わずかな補助金の継続で食いつなぐ、資金機関から委託を受けた個々の研究者
③資金機関との契約に基づいて大規模な研究を組織する部署や機構を管理する請負人
加えて、学術雑誌のレフェリーや資金機関の顧問などである。
そして、③については「科学者」ではなく「科学企業家」と呼ぶのがふさわしい、と言っている。
つまり、「アカデミズム科学」と現在の「産業化科学」は全く別物と考えたなければならないのだ。
村上陽一郎は、これを「好奇心駆動型(curiosity-driven)」の科学から「使命指向型(missioun-oriented)」の科学への転換と言っている。後者について、金森修の著書より引用する。
外部からの要請に対する「使命指向型」である以上、
しかし、だからと言ってこれらの要請に無条件に応えることが許容されてはならない。
ところが、この重要な観点は軽視され続ける。
2,「信頼神話」だけが維持され続ける
科学技術の研究開発は、産業発展における重要性が増し、国家の命運を左右するレベルにまでなった。そのような状況では、進歩主義者にとって「シビリアン・コントロールの観点」などは甚だ愚鈍なものと映ることは想像に難くない。
やがて科学技術に対する3つの神話が形成されるに至った。それは「価値中立神話」「安全神話」「信頼神話」だという。
まず、「価値中立神話」。道具は使いようなんだから、うまく使ったら大丈夫でしょ、という楽観論だ。
次に「安全神話」。
これは先端的な科学技術に潜むリスクを隠ぺいするか、少なくとも過少に見積もることで形作るものだ。
仮に事故が起こったとしても、そのリスクは極めて小さく現実的には無視できる、とする。
そのうえで、価値中立神話と結びつき、諸刃の剣の「善」に基づいた利用を推進することこそが人類の福祉に貢献する、というのだ。
最後の「信頼神話」は読んで字の如く。
「私らにはよくわからん。まあ偉い大学を出て、難しい研究をしている、頭のよさそうな専門家に任しとけば大丈夫だろう。」「テレビとか新聞に見たことあるし、なんかいい人そうだし。」と、何となく信用するアレだ。原発事故や狂牛病問題などで、何度も崩壊の危機に直面しながら、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を利用して毎回崩壊を免れてきた。
実は「価値中立神話」と「安全神話」はとっくの昔に崩壊している。日本においては2011年の原発事故において完全に崩壊したはずだった。いや、それ以前に度々起こる公害問題や薬害問題により、20世紀中には崩壊していたはずだ。
ただ、この崩壊は見えにくいので、我々の多くは「崩壊していること」に度々直面し、その度に一時的に注目しながら、いつの間にか忘れてしまうようだ。我々の日常は、望む望まないに関わらず、科学技術から多くの恩恵を受けており、その中で「神話崩壊」という「負の側面」が覆い隠されてしまうからだろう。
とすれば、進歩主義者としては如何に「信頼神話」を維持するか、にのみ注意を払っていればいい、という事になる。
しかし、「信頼神話」さえも原発事故で崩壊しかけていたらしい。
平成24年度版の科学技術白書によると
しかし、この3年のコロナ対策禍の惨状を振り返えると(そして、何となく原発が再稼働され始めている現状も含めて)、「信頼神話」はこの10年強の間に完全に復活しているように見える。そして、「価値中立神話」「安全神話」の崩壊については、全く関心が払われていない。
これは一体何どういうことなんだろう???
根拠があろうがなかろうが、「何となく信頼される」状況を作り出せば、「信頼神話」は維持され、結果的に「科学のシビリアン・コントロール」の観点が重視されることがない。これは科学者にとっては誠に都合がいい状況である。
この「何となく信頼される」状況の形成に、メディアや科学ジャーナリズムが与えた影響は無視できないと思う。
(続く)
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