リスク管理
メルカリが問題になっている。
Xを見ていると「性善説に頼っているのではないか」という投稿に対して
「リスク管理をユーザーに投げているだけだ」というリプがついていて私はそれに全面的に賛成だと思った。
私は、福祉や支援や「なんかいいことしている系」の団体にいくつか関わったことがあるのだが、そこでまさに同様のことが起きていたからだ。
まあリスク管理ができていない。
いざとなったらの対策をしていない。
そのくせ、それを指摘してくれる厳しい人が出てきたらその人を切ってしまう。受け入れられない。
大きな組織であれば、その辺は抜かりがないはずで
今いるところでは、メンタルサポートも含めて制度が整っていて安心して働ける。小さなことはいろいろあっても。
以前の職場では、王様然としてふるまう管理職がいて、気に入らない職員はどんどん退職させるし、飛ばすし、いつも「あなたはすごいです」と言われていなきゃ気が済まないところがあった。
その施設で停電が起きた時「地震が起きても大丈夫」と豪語していたのに、いざ停電になったら灯りはすぐに消えるし、エレベーターも途中で停まっていた。
「見に行きましょうか」と言ったら、「そんなことせんでええ」と古参の職員に止められた。(結局人が閉じ込められていた)
いざという時の連絡系統もなければ、何をするかもわかっていなかった。
パート事務のわたしにもそれぐらいはわかるんだが・・・(学生時代にリーダー的なことをしていたこともあるし)
ワーワー言いながらなんとかなったけれど、「ここにいては命が危ない」と直感して辞める流れになった。
自分と他者の善性に頼っている人って、本当に弱い。
自分が善意で動けるから、弱者を助けているからという自負が「何かを視えなく」しているのだろうか。
弱者を助けている自分、強い自分、と思ってる人ほど
組織としての危機管理について、まったく無頓着なのかもしれない。
わたしは自分自身が生きづらさを持っているから、安全性は第一であるし、組織が自分にとって安全かどうか、守ってくれる場所かどうかを精査するのにとても敏感である。
ある居場所では、リスク管理を運営側がとてもしっかりしているので
メンバーが増え続けている。
普段はしんどいこともあるのだろうなと思われるメンバーがいきいきとしている。
淡々と場を進め、淡々と終わらせる。
でも、楽しめる仕掛けはちゃんとしてある。
まるで自助グループの発展形だなと思って興味深く参加し、私も楽しませてもらっている。
メンバーの一人が、そのリスク管理に疑問を持ってやめたのだが、その際も、とことん話し合ったと聞いた。
甘えが必要な人には難しい場所ではあるかもしれない。
私は支援者、あなたは支援される人、と区別している場所ほど危ない。
自分を支援者と思ってしまうと、容易に相手に侵入できてしまうし、リスク管理を丸投げしてその人の責任だと言い逃れすることもできてしまう。
メルカリはそうじゃないけど、でも、「こういうプラットフォームを作ったんだし、どう利用しようとあなた方の勝手だよね」みたいな感覚が透けて見えるように思われてるんじゃないか。
リスク管理が徹底している場所の運営の人は、「私が楽しむためにここを作ったから」という意識も徹底していて、その場に来る人に「自分を楽しませてほしい」とは思っていないし、「何か手伝って~」とも思ってない。
その自立性を学んでいる気がする、わたしは。
学校の先生とか、自立しているように見えるけど
教室で生徒に雑務を手伝わせたり、ひいきの生徒や嫌いな生徒を作ってクラスの中で序列を作ったり、ただの王様に過ぎない人もけっこういる。
そして、教育や福祉の関係者ってそういうことを平気でやっちゃう。
自分が先生となれば、他者に何かを手伝わせることや自分の好みを公の場に反映させることが普通だと思うんだろうね。
そういう無意識の権力性にちゃんと気づいて、リスクとしてそこに向き合える人を私はリスペクトしているのであって、
気づけないような人からはちょっと距離を置いたほうがいい。
私の精神安定のためにも。