私の音楽活動について

 読者のみなさま、本日は告知となりますのでこの時点でブラウザバックしていただいてもかまいません。
 このnoteと同じように以下のチャンネルでyoutube上で自作の曲をアップロードしてます。

https://www.youtube.com/channel/UCu2ZoSy-JRO-8wLxO1wkKBA

ドラム以外はすべて自分の手で演奏しておりますので感想など聞かせていただければとてもうれしいです。
 また、現在誰かとセッションをしたり音楽の話をすることに飢えておりますので、ディスコードなど、辞めたくなったら辞めやすい環境でなにかイベントを行いたいと思っております。
 興味のある方がいらっしゃいましたらお声がけいただくと嬉しいです。


以下、私の音楽遍歴です。
 音楽に初めて興味をもったのは小学三年生のころでした、父が珍しくドライブに行こう、と僕を連れ出しました。そのころ、父と母はよく揉めていて、もしかしたら離婚しようとしていて、その話をするために僕を連れ出したのかもしれません。
 伊豆半島の山道を、父の青いジムニーで走っていました。助手席の僕はただ山道を眺めるだけで、特に会話をしようという気はありませんでした。
 そのとき、父は困ったのか、苦し紛れにある曲を流しました。
 筋肉少女帯の曲でした。

”日本印度化計画”

 「俺にカレーを食わせろ。燃える辛さが、俺を灰(ハイ)にするぜ。」
いままで、音楽の授業でクラシックや、愛と友情を唄う合唱しか聞いたことのなかった私には、その歌詞とやかましいギターサウンドに鼓膜を撃ち抜かれました。
 
これはなんですか?

 意味がわからなかった。世の中には愛や平和など、歌にして届けるべきものがあるだろうに、いや、これもカレーに対する愛なのかもしれない。でもどうしてだろう、曲の最後に、
 「ハヤシもうまいぞぉ~」
 ハヤシってハヤシライスか?あの、日本発祥のデミグラスソースを使った煮込み料理の!?
 日本を印度にしてしまえ、お前たちは最初にそう叫んだじゃないか。最後の最後に志を放棄して、ハヤシもうまいだなんて…

 父が僕に聞きました。
「お父さんとお母さんが別々に暮らすとして、どっちについていく?」
 僕は迷いませんでした。だってロックを知ったから。

「一人で生きるからお金頂戴。」

~次回に続けようと思えば続く~


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