ボールペン字を習いたい話
さて、自己紹介でも書いているようにわたしは飽き性である。
何かを思いついて、始める前にまず調べる。調べ尽くす。
そうして、満を持して始めるとだいたい速攻で飽きる。
人生において、これを繰り返し繰り返しここまで来た。
好奇心が旺盛で衝動性が強いため、今までに本当に様々なことに挑戦し、そして飽きてきた。
人生が一本の道だとして、わたしの場合、振り返ればあちらこちらにやりかけの趣味の残骸が転がっている。
おとなになってからでも、革細工、レザー製品、自動車、自転車、編み物、椅子、パン作り、着物、フルート、発酵食品、水耕栽培、英語学習etc…。
ぱっと今思いつくだけでこれだけある。
いや、マステ、万年筆、ガラスペンとか文房具ブームもあった。
それからミニマリスト、シンプルな暮らし、長く使えるお道具たちについて、ひたすら調べてたときもあったな。
とにかく膨大だ。
興味を持つと、その分野のことが徹底的に知りたくなり、買い物であればその中でもっとも自分にふさわしいものを選びたくなる。
もともとネットを使った調べ物が得意なこともあって、まず最初に情報収集をする。
その分野についてほどよく知識を得たところで、いざやり始めると挫折する。
そんなことの繰り返しだ。
でも、いいこともある。
過去に齧った趣味が多いと、いろいろな人と話が広がるのだ。
相手の得意な分野について、こちらにわずかに知識があれば、質問や合いの手を入れることで、きっと相手が喋りやすくなる。
そうするとインプットした過去の知識が生きて、面白い話が聞けて、とても良い。
それから、少しでも手を付けておいた知識が、未来で自分を助けてくれることもある。
手芸の類がまさにそうで、いざ作りたいものができたときに基礎知識からはじめていると、苦戦する羽目になる。
実際、過去になぜかひたすら毛糸バッグを編んでいたことが、現在の趣味である宝塚のバッグ装飾に活用できたりもした。
さて、わたしのコンプレックスのひとつが字がとてつもなく汚いことだ。
原因はいくつかある。わかってる。
まず怠惰なこと。
それから絵がかけない、つまり目で見たものをを脳内で処理して似た形でインプットすることが苦手なこと。
シンプルに文字を書くときの姿勢やペンの持ち方がおかしいこと。
線がまっすぐ引けないこと。
なにより自分の中で影響が大きかったと思っていることが、中学受験をしたことだ。
(中学受験については、そのうちもしかしたら書くかもしれない)
早くから中学受験向けの塾へ入り、ひたすら問題を解いてきた。
特に国語なんかの文章で回答するタイプの問題が出た時、頭の中に浮かんだことを取りこぼすことなく解答用紙にぶつけるには、字の綺麗さなんて構ってられなかった。
もちろん、読めない字を書けば減点される。
しかし、字の綺麗さは採点基準にない。
ならばと、思考の速度に追いつくために素早く、なおかつぎりぎり読める字を書くスキルだけが伸びてしまった。
その癖が未だ消えないのだ。
中受のための4年間で身についた癖が、この歳になっても消せずにいる。
三つ子の魂百までとはよくぞいったものだと思う。
いや、これも全て言い訳だ。
未成年のうちならともかく、成人して、原因がわかっていても直せないのは自分の怠惰だ。
社会に出てから、困ったことも恥ずかしかったことも何度もある。
もっと字が綺麗だったら、何度そう思ったかわからない。
今までにも何度か美文字を目指すための行動は起こした。
ペン字の本を買ったり。数ページで挫折したけど。
ペンでなぞる写経の本を買ったり。やりもしなかったけど。
一度、半年ほどだがカルチャースクールのペン字講座を受講したこともある。
これでほんの少し字の書き方のコツがわかり、僅かにましな字が書けるようになった。
でも、依然としてどこに出しても恥ずかしい悪筆だ。
線がまっすぐの引けない、角度を揃えられない、間を均等に空けれない、全体の空間を捉えて書けない。
なにより思考の速度で書こうとする癖が治ってない。
それでも、字を書く機会も減り、頑張るための大きな動機がなくて悪筆問題は一度思考の隅に追いやられることになった。
転機が訪れたのはつい最近、宝塚のとある方のファンになったこと。
宝塚では、この令和の世においても、お手紙文化が脈々と受け継がれている。
ファンレターはメールでは出せなくて郵送オンリーだし、ファン同士でも封筒に宛書したり、お礼のメモを渡したり、なにかと自筆で書くことが求められる。
舞台の上に立つあの方の素敵さを、めいっぱいの言葉に変えて、お礼とともにあの方に直接伝えたい!!
生まれて初めてファンレターというものを書いた。
そして絶望した。
内容が稚拙。
まあ、これはしょうがない。
あの方の輝きを言葉に変えようというのが土台無理な話だ。
凡人は凡人らしく、せめて不快にしたり、負担になるようなことがないように、弁えて文章をひねり出すしかない。
でも、字が汚いのは違う。
これは自分の怠惰が招いた自分の問題だ。
それでなくとも乱文なのに、乱筆なのはよくない。
すきな人にこんな文字を読んでいただくのは忍びない。
そうして人生3度目のペン字への挑戦が幕を開けるのだ。
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