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9.11 Memorial

昨日は9.11のメモリアルだった。何年経ってもこの日だけはニューヨークに住む人たちには決して忘れられない日になっている。この日の出来事は、私たちの心に相当大きなものを刻み込む事になった。

それは、ある意味では日本で戦争や災害を実際に経験した人たちの気持ちにも似た部分があるかもしれない。

9.11当日、私はNYにいた。

朝テレビを見ると、”The World center was collapsed"(ワールドトレードセンターが倒壊した)と言っていて、一瞬え?何を言ってるの?と耳を疑った。テレビでは、ビルの周りがすごい煙になっている状況が映し出されていた。

その日は雲一つない青空の晴れの日で、一瞬私の頭は現実と非現実の間を彷徨った。そして、朝、外にでると、14th ストリート から下のエリアの空気がダストで真っ白になっていた。(マンハッタンは南から北に斜めに向かう縦長の島になっていて、ワールドトレードセンターは、ダウンタウンの南の端の川沿いにあった。そして、その少し北側にはチャイナタウンがあり、その上にはSohoがある。Sohoと言うのは、South of Houstonの略で、このハウストンストリートという横に走る大きな道から順番にストリートの数字が北に行くにつれて一個づつ上がっていく。つまり14th ストリートというのはハウストンストリートから数えて北に上がって行った14番目のストリートにあたるダウンタウンだ。)

これは一体何?街のみんなも騒めいていた。とにかくとてつもない事が起こったらしい。。私はワールドトレードセンターで働いている知り合いもいたので、急いで消息を確かめたのだけれど、その日はたまたま仕事が休みだったと言う事で、ほっと胸を撫で下ろした。よく行く医師もそのビルの中にいたのだけれども、日本人はみんな何とか非常階段で逃げたらしく、被害者がいると言う報道はなかった。

ワールドトレードセンターの近くの病院のエマージェンシーで働いている友人に後から様子を聞いたところ、やはり、みんな相当パニクっていて大変な事になっていたらしい。

とにかく、何が起こったかを理解して以降、みんなが衝撃から立ち直れず暗黒の中にい続けた数日後に、当時の市長であったジュリアーニ氏が言った言葉は今でも忘れられない。ジュリアーニ市長は、今こそみんなの気持ちがこれ以上暗くならないよう、レストランに行って会食したりして出来るだけ楽しい時間を過ごせと言った。そうやって乗り切って行こうと言うのがその時の市長の提案だった。

日本人から見たら、一見ふざけた提案のように思えるかもしれないけど、本当に大変な時だからこそ、暗い事ばかり考えて堂々巡りをしていたら普通には生きてはいけない、という本質に基づいた彼の前向きな発言は、むしろ私たちを勇気付けた。

そんな訳で、この事件は確実に私たちの意識を変え、この日を境に、みんなが平和である事の大切さを本気で考え始めたように思う。だからかもしれないけど、それ以降NYの治安はどんどん良くなって行った。その2年後にも夏に大規模な停電が二日間起こった時があったりしたのだけれども、その時も信号が全くない状態になっても事故一つ起こらなかったし、強盗や略奪もなかった。そうやって911以降、長い年月をかけてみんなで頑張って保ち続けてきた治安の良さが、今回の暴動で一気に崩れ去ってしまった。

人により80年代後半の街が一番恐かった時期を思い起こさせると言っている人さえもいる。

ただ、今のNYの治安は荒れまくっているけれども、この日だけは、911の日のことだけは、本当にみんなに忘れないで欲しい。あの日にみんなが見たもの、そして感じた事がこの街を作ってきた。だからもう一回やり直そう。

クオモ州知事もコロナの感染ピークの時に言っていた。NYはあの911さえみんなで乗り切って来た街だ。だから、みんなそれを忘れてはいけないと。だからこそ、クオモ氏がいつもNYのみんなにこう呼びかけ続けている。

NEW YORK is TOUGH, SMART, UNITED, DISCIPLINED, and LOVING.

NEW YORKに住むみんなは、タフでスマートで、団結和合していて、鍛錬されていて、そして愛がある。そんな街がニューヨークだからと。

今年の911の祈りがどうか空に届きますよう。








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