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実は、中学生の頃のわたしには登校しぶりがありました。

新年度に弱かった

小学校に入学した時から新しい環境に弱く、新年度が始まって2週間くらい経つと、体調を崩していました。小1の時は3週間くらいずっと休んでいた記憶がありますが、学年が上がるにつれて、学校を休む日数も減ってきましたが、不調な身体をおして登校していたことを覚えています。
体調不良で休んでも、気持ちが休まらないのです。休んだことで遅れが出てしまうという気持ちが強かったからです。耳が聞こえないので、授業についていくことに必死で、1日でも休むとわからなくなってしまうという恐怖がありました。

そんなわたしですから、中学校に入学してからも体調が悪くても、必死で学校には通っていました。でも、心が折れたのは、原因不明による聴力低下。補聴器をしてもきこえないという状態が続き、補聴器をしてわずかな音を拾って生活しているわたしにとって、全く聞こえないというのは絶望的でした。「体調不良なのに、無理をして登校をしているから、聴力低下は『休みなさい』という意味だよ」と言われても休めませんでした。

「無理」だと思ったある日

どんなに体調が悪くても休むことを自分に許すことができなかったわたしが学校に行くのはしんどいと思った出来事がありました。
聴力低下で周囲の音が全く聞こえず、周囲の動きにも鈍感になっていたので、部活のメンバーに声をかけられても気づかなかったことがありました。それを「無視した」と勘違いされ、逆に無視をされるようなことが続きました。部活の先生の指示もわからず、先生からも「話を聞いていない」とみなされてしまいました。

それでも、「きこえないのは今に始まったことではない」と言い聞かせていているうちに、聴力は少しずつ戻りつつあったのですが、きつい状態が1年くらい続いたある時、ふと「もうダメかも」と思ったのです。

両親の反応

思い切って両親に伝えたものの、両親からの言葉は「頑張りなさい。今ここで休んだらあなたの負けだよ。きこえないんだから、負けないように頑張らないといけないの!」でした。加えて、中学校が自宅の前にあったので、休んでもやっぱり自分が後悔するだろうなという気持ちもあり、自分に発破をかけながら学校に通い続けました。
中学校のことは封印したくなるほど、のちに高校大学に進学しても思い出せない状態でした。

次男からのSOSで思い出す

次男が「もう無理」と言ったときに「あぁ、次男は限界なんだ!」と自分の経験がよみがえってきました。次男の気持ちが痛いほどわかったので、休ませなきゃ!!!と思いました。その一方で、わたしはそれでも学校に通い続けていたので、「休ませていいのかなぁ…」という葛藤もありました。

もしかしたら、休んでいる次男が羨ましかったのかもしれません。

わたしは、中学時代に学校を休みたかったのだろうか…と、振り返ってみました。休めていたらどうなっていたのかわからないですが、これまでの自分の経験上、「休んでしまったこと」への罪悪感で気が休まらなかったのではないかと思います。だからこそ、両親が心を鬼にして背中を押してくれたことはよかったのかもしれないとも思えてくるのです。

仮に、1日でも2日でも…1週間ほど休んだら、その後は吹っ切れて、封印することなくそれなりに中学生活を楽しむことができたのだろうか。そんな気持ちが芽生えることもあります。しばらく休んだ後に、学校に行く勇気ってかなり必要なのではないかなという気持ちもします。

揺れ続けるわたし

結局、どれが正しいのかはわかりませんが、学校に行かなくなって10ヶ月経つ次男を見ると、長く休みすぎて学校に戻りづらくなっているのではないだろうかという気持ちもふっと湧き出てきます。

不登校のお子さんがいた方に話を聞くと、年単位で不登校だったけれど、その期間があったからこそ「そろそろ行こう」と思える時が来るんだよとのこと。その話を聞くと希望が持てますが、我が子はどうなんだろう…という気持ちになってしまうのも事実です。

相談できる相手がいることに救われているけれど、葛藤はずっと続きます。なるべく話題として触れないようにする生活が自分の感情を揺さぶらなくて済むことをひしひしと感じていますが、背けているのではないかと思ってしまう自分もいます。

色々な考えが頭の中をめぐってめぐって堂々巡りの繰り返しですが、わたしの気持ちはさておき、次男に限らず子どもたちそれぞれが元気にそれぞれの場で過ごせればいいんだろうなと言い聞かせる日々。

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