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不登校のキモチ

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不登校になるまで&不登校になってからの歩みや兄弟の関わり方を母目線で描いています。
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不登校次男いざ面談に臨むものの…

★前回までの記事はこちら 面談に行くと決めて、私と一緒に中学校に行った次男。 職員玄関から入り、担任の先生がいらっしゃるのを待っていたのですが、他の先生がいらっしゃり、「前の生徒の面談がまだ終わっていないようです…」とのことでした。 やむを得ず、玄関の横で待機することになってしまうのですが、ここでまたわたしはハラハラしてきます。 「いつまで待つの?」と言い出したらどうしよう… 「帰る」って言ったらどうしよう… 人目のつくところで待っていて、大丈夫かな… 色々なことが頭の中

面談って僕も行かなきゃダメなの?

★前回の記事はこちら 野球部の見学に行った次男でしたが、その後は野球部の練習予定表をもらったものの実際に行くことはありませんでした。部活があるときと母の私が付き添える時間帯が合わなかったという背景もあり、彼の気持ちが温かい内に背中を押すことができませんでした。 部活見学から2週間経過した頃が12月の初旬。冬の三者面談の時期でした。中学校に入学してからの三者面談に次男は出席できず、先生と私の二者面談だったのですが、今回も懲りずに1週間前から予定を伝えて、「○○日は面談なんだ

不登校次男「部活はいつやっているか聞いてくれる?」

兄から『中学校の部活を見に行ってみたら?』と助言を受けた次男。しばらくしてから、『部活はいつやっているのかな?毎日なのかな?聞いてくれる?』と私にお願いしてきました。 「今なんて言った?」 正直、心の中でびっくりしたわたしですが、その言葉は飲み込み、 『先生に聞いてみるね』と伝えました。 次男が野球に興味を持っていることは以前から先生との面談でお伝えしていたので、野球部の見学に行ってみたいことを先生にご連絡を入れたところ、早速日程合わせをしてくださいました。 「セッティン

不登校次男『高校に行ったら野球を始めたいかも…』

小6の夏休み明け、2・3日登校した後に登校することをやめた次男。そこからさまざまなことがありましたが、2024年4月で中3になりました。今もまだ学校に戻っていませんが、ここ半年の間で少しずつ変化がありました。 野球を始めたいかも… 自宅で過ごすようになって、前々から時折見ていた野球をよく見るようになったようです。(昼間わたしは仕事に出ているので、次男がどんなことをしているのかは把握しきれていません)食事の時に野球選手の情報を教えてくれることが多々あり、次男が持っている野球

点つなぎから思うこと

次男が不登校になってから、丸2年経過しました。とうとう3年目突入です。 この2年であったことを書き留めておきたいなと思いますが、それはまたの機会にまとめてみたいです。 正直なところ、明るい不登校児だと思っています。彼は色々な葛藤を乗り越えて今に至っているはずなので、彼の本当の気持ちはわからないですが、はたから見守っているわたし(親)の感覚です。 板書が苦手だった次男 ところで、次男は板書が苦手でした。ワーキングメモリが少なかったため、一度に覚えて書くということ、書いた後

「できるけど疲れる」という言葉に出会って

先日、ツイッターで目にしたコメント。 今まで言葉にできないモヤモヤから視界が開けたような内容でした。 https://twitter.com/tep_kikuchi/status/1564931206910984192?t=aVBZJDvaTQozTfNVtYSmxQ&s=19 その言葉を目にしたとき… 次男に当てははまるケースだと思いました。 問題なくできることも多々ある中で、頑張ってもできないということも彼の中ではあったと思います。 例えば、板書を時間内に終えること

登校しぶりだったわたし

★今までの記事はこちら 実は、中学生の頃のわたしには登校しぶりがありました。 新年度に弱かった 小学校に入学した時から新しい環境に弱く、新年度が始まって2週間くらい経つと、体調を崩していました。小1の時は3週間くらいずっと休んでいた記憶がありますが、学年が上がるにつれて、学校を休む日数も減ってきましたが、不調な身体をおして登校していたことを覚えています。 体調不良で休んでも、気持ちが休まらないのです。休んだことで遅れが出てしまうという気持ちが強かったからです。耳が聞こえ

1人で抱え込む必要はない…

★今までの記事はこちら 小学校に入学した時から、母子分離不安があった次男。 2歳上の長男もいましたが、1年生の9月まで毎日学校まで三男同伴で送っていく生活でした。 三男の癇癪がひどくなり、さらに4人目妊娠発覚が重なり、徒歩5分の学校までの送迎すら厳しく兄との登校に切り替えてもらいました。次男も三男の癇癪がひどい状態を見ていたので、送っていけないことを伝えたときは、強い拒否はなく受け入れてくれたように感じました。 そこからは兄と登校、三男が入学してからは三男を連れて登校し

近くで見てきたからこその葛藤(四男編)

★今までの記事はこちら… 次男に懐いている四男。 小学生を送り出してから保育園に四男を送っていく生活スタイルだったので、学校に必死で送り出そうとしているわたしの姿も家を出て数歩で戻ってきて布団に入ってしまったり学校の門の前で立ち止まってしまっている次男の姿もすべて見てきた四男。 彼がどんなことを感じていたのか、本当のところはわかりません。 当時の四男は保育園が楽しくて喜んで登園していたものの「今日も寝ているね。ママはお仕事行くの?」「大丈夫かな?」と4歳なりに気にして

涙のワケ(長男編)

★★今までの記事はこちら 当時中学2年だった長男は、次男より先に登校して夕方遅くに帰宅するという生活をしていたので、次男が長く休んでいることを知ったのは3週間くらい経った頃でしょうか。 部活がお休みで早く帰宅した時に、次男が家にいることには気づいていました。時々休むことがあることを知っていた長男は、最初はさほど気にしていなかったようですが、(気にしていたかもしれませんが、敢えて触れなかったのかもしれません)3週間くらい経過した頃に、「もしかして、ずっと学校に行っていないの

1人での登校は嫌だ‼︎(三男編)

次男と毎朝登校していた三男は次男が登校しなくなってから、1人で行くことになりました。 登校しなくなった頃は次男も腹痛や頭痛を訴えて布団に戻ってしまうくらいだったので、三男も具合が悪いんだなと納得したのですが、2週間くらい経過した頃です。 「まだ具合悪いの?長いね。最近は寝ていないよね?」と三男が疑問を持つようになりました。学校でも先生に次男のことばかり話すようになり、とうとう「僕も行きたくない」と言い始めました。 それでも登校して行ったのですが、不満そう。先生が「心の病

6年分の頑張りが限界に?!

バトルの日々が懐かしくなるくらい三男が本当に落ち着いてきたのが夏休み前でした。夏休みの宿題も本人に合わせた内容だったので、放課後デイで取り組んでこれるようになり、わたし自身も時間のやりくりが楽になりました。 夏休み明け早々、コロナのために1日おきの分散登校のためイレギュラーなスタートとなり、予定の変更が苦手な三男の方を気にしていたのですが、6年生だった次男が登校時になると不調を訴えるように。 数日(と言っても分散登校なので、実質1週間)お休みが続いた後に校門まで行ったものの