見出し画像

何で手話で話したの?と聞かれたとき

★前回の記事はこちら
「できるけど疲れる」という言葉に出会って|まつもとまつり|note

8月にNHKスタジオで収録をするという貴重な体験をしました。7月末から職場や自宅でも撮影やインタビューを受けており、わたしから話すときは全て手話でした。手話通訳士がわたしの手話を読み取ってくださったので、わたしの話は皆さんに伝わっています。

職場での撮影の時は、職場の人とのやり取りのシーンはわたしも音声でした。普段から音声のみでコミュニケーションをとっているので、普段通りの振る舞いとしてです。

でも、手話で話しているシーン(インタビュー)もあったので、音声もない手話でしゃべっているわたしを見て、職場の人の中には驚いた人もいたかもしれません。

わたし自身、子どものころから両親含め家族とは口話で話して育ちました。手話は大学に入ってから本格的に覚えましたが、リアルタイムで話されている内容がわかること、おしゃべりを気楽に楽しめること(発音や声の大きさを気にする必要がない)、会話には入れることが魅力的でした。もちろん、手話を覚えるまでの間はわからないことも多かったけれど、話の途中で「この手話は何?」「この言葉は手話でどうやるの?」などと質問がしやすかったのは事実。

手話を覚えてからのわたしは、きこえるきこえないに関係なく手話を知っている人とは手話で、手話を知らない人とは口話でコミュニケーションをとるという使い分けをしています。

口話もできるけれど、ずっと口の動きに神経を研ぎ澄ませて話の内容をつかんでいくのは至難の業ですし、年を重ねるにつれて疲労を感じやすくなってきました。

それでも、生活のほとんどを手話を知らない人と過ごしているので、自然と口話でやり取りしてしまうのですが、「できるけれど疲れる」のです。だから、今回、NHKでの撮影や収録では、コミュニケーション手段の希望を聞かれたので、手話を選びました。

でも、テレビを観たきこえる人から言われたのは
「どうして音声で話さなかったの?」でした。

いつも音声で話しているから違和感があったのだと思いますし、
わたしの音声は聞き取れるから気にしなくてもいいんじゃないの?という
考えもあったんだろうと思います。

どうして?と聞かれて、逆になぜそれを聞くの?と思ったのですが、
その時は「手話で話す方が言いたいことをスムーズに言えるから」と、
答えました。

でもモヤモヤが続いており、「できるんだけど疲れる」という言葉に出会ったときに、これだ!!!とスッキリしました。

「ちょっと頑張ればできること」って割とあるのですが、わたしにはそういう「頑張る」ということが『かっこいい』『えらい』という思考の癖があります。それは、きこえる人に近づかないといけないと思っていたから。
本当は疲れるんだけど、頑張ることが当たり前、頑張るのがわたしだと思っていたのです。

でも、それで本来の自分が出せなくなるのであれば、
「ちょっと頑張ればできることにNOと言えるようにする」ことも
大事だなと最近感じています。

口話で話した方が楽だと思うときもあるし、いや今は書きたいと思うときもあれば、手話がわかる人がいるなら手話で話したいと思うときもある。
自分でその時の状況で取捨選択していけたらいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?