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現実と非現実のはざまで

先日新しい場所に行く機会があって、歩くには少し遠かったので久々に自転車を使った。
その時に通った道が緑道のような感じで、その日は6月になってやっと来た、今年初めての20度越えの夏みたいな天気だった。イギリスらしからぬ青空と夏らしい風の中、自転車で走る緑道。
その風景が、私の実家の近くに本当に似ていて。
自分が今年も、育った町で、いつも通りの夏を迎えようとしているんじゃないかと錯覚した。

海外にいるとき、ときどきこういう錯覚する瞬間がある。
カンボジアのバスの中で転寝して目覚めたら、周りがトヨタの車ばかりだった時、たまたま見ていた映画の中の俳優が、昔の恋人と同じ目をした時。
フラッシュバックのように、一瞬で別の場所や時間に強く引き戻されて、自分がどこにいて何をしているのか、何が現実なのか分からなくなる。

こういうことがあるとすごく頭が混乱するのだけど、別にその場所が恋しいというわけではない。ただ、その場所や経験が、今も自分の中に確かに存在してるんだな、と思う。
実際自分の記憶の中ではいろいろな場所や時の記憶が全部フュージョンされて、全くランダムに思い返し、そのたびに形を変えていっているんだと思う。だから私の中ではいろんな場所や過去のいろんな時の出来事が全部メランジュされていて、でもそれは全部現実として存在している。

ただこれは完全に私の中だけに存在しているもので、外から見た私は、今日2023年6月18日、東イングランドで生活している私しか存在しない。
誰かのことをどんなに理解しようと思っても、その人が見ている記憶の断片の集大成を見ることはできない。
それがなんか、人間て不思議だなと思う。

(2023年6月)

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