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愛とは

 ここ1ヶ月、愛について深く考えているので、文字に起こしてみることにした。
私なりの愛の定義は、その人のいない時にその人のことを想像したり、変だなあと思うところを愛おしいなぁと感じたら愛だと思っている。例えば、パン屋さんに行って、自分が食べたいというよりも「これを買って行ったら喜ぶだろうなぁ」と思いついてしまったらそれは愛。仕事中にふと変なところを思い出して、クスッと笑ってしまったら愛だと思う。

好きという感情は恋でも愛でもあるけれど、急激な感情であったらそれは恋だと思う。愛はもっと奥ゆかしくて、暖かくて、気持ちが満ちる感じがする。

 ハワイアン”マナ”の本を読むと、マナという言葉が愛やエネルギーを指すらしいのだけれど、これはLoveとは少し表現が違っている気がして。なんというか、人から人に向けられたものに限らず、全てのものに向けられたエネルギーという方がしっくり来るかな。けどこのマナ溢れる人間というのは、愛で満ち溢れていて、会うと元気になれる、そんな人を指すんじゃないかと、読んでいて感じる。常に私もマナを持つよう心がけている。関係ないけど、日本語でもマナと変換すると”愛”に変換されるよね、なんでなんだろう、どこからきてるんだろう。不思議だけど言葉ってすごいなあ、言葉の奥ゆかしさにはいつもワクワクさせられる。

 平野啓一郎さんの著書、「私とは何か、個人から分人へ」をもう何年も前に電子書籍で買っていて。途中で止まってずっと読んでいなかったのだけれど、たまたま時間があって開いたら、なんと愛と恋に関するページから始まった。タイムリーすぎて、今これを読むべき時なんだとすんなり受け入れられた。

 そこでね、グッときたことろは”愛とは相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。その人と一緒にいる時の分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う”とある。
 これは様々な分人がいるということを言葉で客観視できる本で、なるほどと思うところがたくさんあるが、すごい。核心をついていて。自分では表現できないけれど、表現されるとそうそうその通り!と納得してしまうのが、本を書いている人たちのすごいところだ。
 つまり、愛とは相手とその関係にある自分も愛おしいこと、なのかな。

 最近結婚した韓国のラッパーが相手について、その人といることで、自分のための選択を恐れずに、日常の幸せを不安なく存分に感じることができると言っていたのも個人的にはハイライト。

 先日友達と電話した時に、”楽しい時を一緒に過ごすのと、辛い時に寄り添ってくれるのって、後者の方が大事かな”と言っていたのも、いい。

つまり愛はいい。人間はいい。いろんなことがあるけれど、人生は愛おしい。

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