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じぶんのゆめについて

この記事では自己紹介、それから「じぶんのゆめ」を書きます。

頑張ってかきますので、

よかったら読んでください。3700文字くらいあります。



まず私の生い立ちですが、

田舎で生まれ育ち、

17歳までそこでずっと育ちました。

18歳から大阪の大学へ進学して、

(1年留年したので)5年間そこで勉強

5年間勉強の内訳↓

お酒の勉強:50%、

ダンスの勉強:25%、

学問:2%、

仲間とバカなことするのが楽しいということ:23%

)しました。

都会へのあこがれをずっと持っていたので、

「都会はやっぱりすごい、なんでもあるんだなあ、やっぱ都会が最高だな。」

と本気で思っていました。

しかし、5年間、いや、産まれてからずーーっと、

危機感なく(めっちゃいい奥さんと結婚するという目標以外)

何にも未来のことは考えずに

大学卒業と共に自分の家系がしている会社へなーんにも考えず、

自分の意思を持たず、

口だけは「めっちゃやる気あります!」って言いながら、

入社しました。


もちろん、その当時は本当にやる気があったと思いますが、

いま振り返ってみると、

夜中ずっと飲みまくって朝8時に大阪からお家へ帰ってきて、

8時30分に出社していたことを思うと、それは本当に「やる気」

だったのかなとも思います。


仕事をなめていたし、

どうせ最低でも役員になるんだし、

とかも、口では言ってなかったけど、

考えていたとおもいます。


「自分はどーせめっちゃできるようになるやろ」

って考えてました。



さて、時が流れて29歳になり入社して7年が経ちました。



ふと考えました。



(・・・あれ、僕なにしてるんだっけ)

(・・・あれ、僕なにができるんだっけ)

(・・・なんで入ったんだっけ)


びっくりしました。

手元には何もない状態です。

目的も。自分の指針も。

7年間ずっと仕事してきたのに、

人に話を伝えるのもうまくなってないし、

文章もへたくそだし、

人に話を合わすのはめっちゃうまくなってたけど、

込み入った歴史の話とか、政治の話とか、全くできないし、


唯一知っているのは、友達とお酒を飲むことの楽しさのみ。


人の目ばかり気にして生きてきたなあと。


「もし、身の回りのもの(会社や家族)とのつながりがすべてなくなってしまったら、僕は何が残るんだろうか。。


ここで、やっと気が付きました。

自分の意志で生きていないなあっていう事を。

イキって、何もできないのに「自分はできる!すげえやつ!」と常に考えて、

難しいことは全て無視してきたので、この時何もできないことにきづいたんです。


脳のシワつるっつるです。


この時点から本気でこのままじゃやばい!と思って、

自己啓発ユーチューブ(まこなり社長など)を見まくりました(時々息抜きにジャルジャル)。


いろいろ思考した結果、


「コードが書けて、システムが作れる人材」になってみたい、

簡単ではないけど、自分の力だけでこれから生きていけるんではないか、

などと考え、29歳12月から独学でプログラミングを独学で勉強し始めました。


もう一つ、

大きく考えていたのが、

家系でやっている仕事を辞めて、転職するという事です。


このままもし家系の会社で役員になっても、

やりたいことができないなら、

おそらくそれはただ他軸(他人の軸)で生きているだけ
自分の人生なのに他人の軸で生きていても全く幸せではない


と結論付けて、めっちゃ怖かったけど、

IT企業への就職に向けて、プログラミングの勉強を始めたと同時に、

転職活動もし始めました。


おそらくウェブで送った書類審査の数は300くらいだと思います。

実際書類審査を通ったのは10社くらいだったかなと、、


まじでしんどかったですけど、この時期に自分で初めて

「自分の意志で生きてる!」

って思えました。


さて、時は流れて3月になり、苦労の末、

IT企業の営業に1社合格することができました。

この時はワクワクが止まらなくってその時の面談してくださった社長の顔も、

その時の自分の気持ちも鮮明に覚えています。



新幹線で、面接場所だった東京から帰ってきて、

まず、会社を辞める段取りを準備をし始めました。


辞めるまでのタスクとして

□もっと喋り方を勉強する

□東京で住む場所を決める

□できるだけたくさんITの知識をつけておく

...などとふわっと考えて取り組もうと思いましたが、

そんなことより、まずはお世話になった自分の会社を辞めると決断したことを

会社トップ、並びに自分の親へ伝えなければなりません。

(勝手に辞めればいいかなとも一瞬思いましたが、それは人として筋が通らないと結論づけました。)


自分の気持ちと、伝えたいことと、全て自分の口で伝えられるよう準備して、

合格から4日経った後、伝えに行きました。

3時間の話し合いの末、会社の現トップからは何とか、OKを頂けました。

話が終わった時点で夜遅かったですが、

その足で親へ伝えにも行きました。


4日間の話合いの結果、

やめたら「縁を切る。」と伝えられました。


そんなことになるのは嫌で、自分から折れて転職を辞めてしまいました。


表面上は、

親、会社、自分の周りへの迷惑がかかるし、

そこまで言われるのなら断念するしかないという理由ですが、

今思うと、自分が傷つきたくなかっただけだと思います。

これが 本音であり、弱い自分だったなあと。



でも、ここで腐らず(3週間くらいは腐った)、

絶対コードもっと書けるようになって、みかえしてやる、、、

と思い、

4月からプロサーというオンラインプログラミングスクールに入ったりして、

プログラミングの勉強は続けました。


そのスクールを経営しているむらっしゅさんに言われたことで、

今の自分の夢ができました。


「一旦の目標として、企業内起業を目指せばどうでしょうか?」


この言葉で、いままでどうすればいいのかとずっと悩んでいたきもちが吹っ飛びました。


企業内起業


自分が考えたこともなかった言葉です。

起業は、「絶対自分が考えてはいけない何か神聖なもの」と言う感覚でした。

だけど一度考えれば考えるほどワクワクしてきて

楽しくなってきました。


それからは、どうすれば全員が幸せのまま終わるのかを考え続けることにしました。

企業内起業して、

ちゃんと儲けを出して、

グループ全体での売り上げを上昇させると、

会社も幸せ。

家族も幸せ。

やりたいようにしたかった自分も幸せ。

”きぎょう”なんて自分がめざそうなんておこがましいと思ってたし、

できないと思ってたし、

めんどくさそうと思ってたし。


でも、見返してやるって決めてたし、

なにが成功かはわからないけど、

死ぬまでやりたいことやったらもうそれは勝ちなんじゃないかと思っているので、

29年間なにもせず生きてきたので頭空っぽだけど


絶対やる

って思いました。


誰も傷付けず、

家族も守れて、

なにより自分がしたいように生きて、

自分がやりたいことを仕事にもできる。




最高じゃん!




自分だけ幸せになるって結構簡単だと言うこともこの時気づきました。

やりたいことやればいいんですもんね。

だし、たぶん今回の僕の場合、辞めて縁切ってたら、

どこかで自分が不幸せに感じたりするときもあったと思います。



キンコン西野さん、owndays社長の田中さんのどっちもが言ってましたが、

アフリカ?かどっかのことわざで、

「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け。」

っていうことばがあると言うことを言ってました。


まさしくそうだなあと。

辞めたら自分だけで突っ走るから簡単だもんね。

でも、早いだけ。



僕は仲間と遠くへ行きたい。

そう思うようになりました。



勝手に起業してもダメで、それだと、企業内でやる意味がなくなる。

自分の家の会社も大きくして、

家族も守って、

自分と携わってくれるみんなも守って、

自分がやりたいことしつづけて、

この人と仕事がしたいっておもってくれるような人になる。



自分がまだ何も知らない。と言うことをしっかり把握して、

みんなが休んでる間に精一杯勉強して、実績出して、信頼を勝ちとる。

まずはそこからスタートする。



考えるだけで最高。めっちゃ楽しそう。





岡本太郎さん著「自分の中に毒を持て」

の一説に、

人間にとって成功とはいったい何だろう。
結局のところ、自分の夢に向って自分がどれだけ挑(いど)んだか、
努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

ってあるんです。



成就しなかった言い訳ではなく、

本当に死ぬ気で、

誰にも負けない気持ちで、

ずっと貫いた人こそ爽やかでいられると思います。


自分が死ぬとき、

「爽やかだった。」


って思えるように自分を鼓舞して、

死ぬまであがいてやろうと思います。

定年になってもずっと。



このマインドになってから、

都会へ憧れていた自分は今田舎が好きだし、

周りの人が好きだし、

本気でみんなを幸せにしたいって思ってます。



上記の僕の心の動きを察知していただいたのか、

今は自分の努力次第でコードがさわれそうな部署に異動となりました。

なんでも行動ですね!!!



まずはじぶんが影響力が及ぶ部分から、

一歩一歩頑張ります。




最後に、

これは「映画えんとつ町のプペル」のルビッチの言葉なんですが、、、

大好きな言葉なので、これ言って終わります。





誰か見たのかよ、誰も見てないだろう、だったらまだ分かんないじゃないか。






よし、頑張る。

ありがとうございました!

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