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今日も、ジェンダーは、行方不明。

 (World Wide Webの何処か居るかも知れない、私に似たスパイダーへ)

 先に言っておきますが、これは松本と言う一つのサンプル。
 ちゃんとしたジェンダー問題について知りたい場合はNATIONAL GEOGRAPHIC 2017年1月号『ジェンダー革命』とか読んだら良いと思う。

 さて、まずは基本を押さえておくと、松本の体は生物学的には女性に区分される。そこは間違い無いし、問題無い。XXY症候群とかでもないし、多分女性ホルモンにも異常はないと思う。で、次にジェンダーと呼ばれる社会的
・文化的に作られた性別って言われると、これがちょっと色々自信無い…。

 取り敢えずこの辺の問題で松本が知る限り一番古い話としては、今は無きと言うか、現在は大阪市立科学館である大阪市立電気科学館に幼少の頃親父に連れられて要った時の事。多分4~5歳だと思うんだけど、折角の都会へのお出掛けって事で、ワンピースを着て行ったらしいのだが、売店のおばさんに男の子に間違えられたらしい。母が「スカート履いてると言うのに男の子に間違えられるって!」と少々ご立腹で話していたのを何となく覚えている。

 幼稚園&小学校の時は、まあ時代も大らかだったし「子供だから」ってな括り方されてるのであまり自分に対するジェンダーについて気にする事ってあまりなかった気がする。

 で、問題は中学時代。まず、入学式で詰んだ。気持ち良い程、詰んだ。
 生物学的に女性なので女子用の制服を着用して登校したら、同じ小学校の男子連中から「キモイ」だの「オトコオンナ」だのの罵倒を頂きましたっ。まあ小学生の時殆どスカート履かなかったしねぇ。
 にしても、校則守って登校して初日がこれですか。ええ、勿論片っ端から殴り倒しましたよ。お育ちがよろしくないものでw まあ、相手も言うたら悪いが、育ちは良くないし。そして、ここで折れなかったから生き残ったんだろうなぁ、と思ったり。
 そんなこんなで中学・高校時代は制服以外で女装する事は殆ど無かった。お陰でご近所では松本家の子供は男女双子説(制服着てる女子と私服の男子)と言う愉快な説が流れておったそうな。
 男装女装について言っておくと、ボーイッシュな格好がしたいとか言う訳では無く、日本人サイズで言うと女性用サイズじゃ着られるものが殆ど無く上は体のラインの出難いメンズのシャツ、下は大体はジーンズ専門店で購入してた。参考までに記しておくと、量販店でリクルートスーツ買った時は、上のサイズは17号、下のサイズは15号。婦人服の場合大体9~13号は簡単に手に入るイメージ。
 服についてもう1点知人によくする話なんだけど、日本で「大きなサイズの婦人服」を探すと、背が高くて細い人用か、背が低くて太い用の二者択一で、松本みたいに縦にも横にもでかい人用の服となると皆無だったりする。もう、本当にマイノリティ面倒くせぇ…。まぁ、お金さえ有ればどうとでもなるんだろうけど、そこまで服に金掛ける余裕ねぇや…。
 で、結局婦人服を手に入れるのが面倒で必然的に男装するに至る訳だ。

 そして残念な事に住んでた所がなかなか田舎だったもんで中学から高校に上がっても3分の1は顔触れが変わらずな上にお育ちの(以下略)だったもんでキモイ目障り死ねは日常的に言われ続けた。ま、言って来るのは大半、男。だから、松本基本的に男は嫌い。
 その反動から来る制服の無し・自分の過去を知らない人ばかり・学びたい事ばかり勉強出来る大学、さいこー♪ お金有ったら一生大学生でありたいと今でも思ってる(笑)。

 と、まぁ、成人するくらい迄を振り返ると、ジェンダーとしては「女性」と言う型にぎゅうぎゅうと詰め込まれてた気がする。校則の所為もあったのかも知れないけど。時代的にも「そんなもん」だった。ただ救いなのは今程ごちゃごちゃ言われても「だから何?」と言える余裕があった気がする。
とは言え言った所で何の意味も無いんだけど、多勢に無勢って感じでも無いかな。
 社会人になって暫くは、就職氷河期の影響もあって、大人しく女性ぶって働く事で精一杯だったな。リクルートスーツも職場の制服もタイトスカートだった。それに対して面倒だったのはストッキングが肌に合わず履けない事だった。若い時はまだ良いが歳を取ると辛い…。
 多分その頃から性同一性障害について広く報道され始めたんじゃなかったかな。その時の松本は、そう言う人が居るのかぁ、何かリボンの騎士みたいだなぁ、くらいに思ってた。ただ、性器変える程って言うのは、体の負担を考えると大変だなぁ、と。この辺の話は後々『医学のあゆみ』の身体的治療についてを読んで、そこまで治療が必要なのかと頭を痛めた…。
 性同一性障害って言うのは大雑把に言ってしまうと、自覚してる性と体の性が異なっている状態。
 松本の場合は生物学的に女性なので、まあ、女性なんだろうと言う認識。
 なので、これも一般的には問題ない。ただ、厄介なのは自分は女性だろうと思っているのに、第三者には女性ではなく男性だと認識される。例として体験談を上げると、公衆トイレで女子トイレに入ると利用者に変質者を見る様な目で見られたり吃驚されたりする事は結構日常茶飯事だし、一度某大型
スーパーで職員に止められた事もある(頼むから話は利用後にして欲しい)。後、某JRの駅の案内所でどこか近くに風呂屋が無いか訊いた時は「サウナはあるけど…、お客さん女性ですよね?」と確認された事もある。その時は真夏でTシャツ姿だったけど男女問わず太っている場合、胸も豊かになるなと後日気付いて笑った。しかし、服装に合わせて女性らしさを出したところで意味は無さげな気もする…。

 と、まぁ、自分の性は見知らぬ人から見ると、自覚している性とは違うと考えると性同一性障害と表裏一体な気がして、どうも他人事とは思えないんだけど、実際どうなんだろう。
 残念ながら、話を訊ける機会はまだ得ない。
 ただ、そう言う感覚のまま今日に至り、ジェンダー問題に関しては同性愛まで含めてチェックはしてるんだけど、自分が自分のジェンダーを未だ理解していない為、全くすっきり出来ない。
 生物的に女性と言う事だけは間違いないので、自分は女性であると考えて生きて行く方が齟齬が少なくて楽で良いんだけど、社会的・文化的な女性と言われるとどうも上手く収まらないなぁ…。うむ。

 参考までに恋愛の事を少しだけ。
 付き合った事があるのは男性。恋に落ちた事があるのは男性。
 ちょっと変な言い方になるけど、プラトニックに好きな相手は女性が多いかな。日本だからっていう独断と偏見で言わせて貰うけど、女性の方が絶対優しいし、一緒に居て安心感あるよね…。
 なお、結婚は一度もしてまへん。これは性的問題ではなく、性格に問題有の為と思われ(笑)。

 そんな、こんなで、今日も松本のジェンダーは行方不明。
 それでも深刻に考えず、のたりくらり、人として自由に生きてる。

 

 追記:両親の育て方に関する事。

 あまり、男だから女だから、って言う育て方はされなかった。
 正直そんな事に構ってられる余裕なかったし。貧乏過ぎて。
 子供の頃の服装でスカートをあまり着なかったのは、野原駆け回る野生児だったので、母が動きやすい服装の方が良かろうとズボンやキュロットの類を選んでたから。小学校の時の髪型は主にマッシュルームカットだったけどそれは母が手入れし易い為だし。
 家事については両親共働きで忙しかったし、父親は家事は全般当たり前に出来る人だったので、男女問わず人間として出来て当たり前だと思ってた。が、世の中こんなに男が家事出来ないとは思ってもみなかった(笑)。変な違和感…。
 後、教育については勉強は出来るなら出来た方が良い、って感じだった。良ければ良いでまぁ良かったねぇ、となるし悪ければ悪いでまぁ進級に支障がなければそれなりでうるさく言われなかったし。一応大学は行ったけど、学歴の為ではなく学びたい事があって進学したので氷河期(第1期?)で地獄を見た…。けど、別にだからと言って両親から進学も就職も特にごちゃごちゃ言われなかったのは、今から振り返るととても恵まれていたのだと知る事になる。お陰で家庭内では伸び伸び自由に育ったなぁ。貧乏だったけど←何回言うねんw

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