見出し画像

イスラエルとイランの国交の歴史まとめ

【イスラエルとイランの国交の歴史】

今日はイスラエルとイランの国交の歴史を解説するで。

イスラエルとイランの歴史は複雑なんや。
現状はイランはイスラエルともアメリカともガチで仲が悪いが、実は昔はイスラエルとイラン、そしてイランとアメリカはとっても仲が良かったんやで。信じられんやろ。

ほな、イスラエルとイランのややこしい関係について、ちょっと詳しく話したるわな。歴史の授業みたいになるけど、我慢して聞いてや。


  1. 仲良し時代(1948年〜1979年)

実はな、昔々の話やけど、イランとイスラエルは仲良しさんやったんや。
イランはアメリカとも仲良しやった。びっくりやろ? 
1948年にイスラエルって国ができた時も、イランはアジアで最初にイスラエルを認めた国の一つやったんやで。
なんで仲良かったかっていうと、お互い周りの国とあんまり仲良うなかったからな。

イスラエルはアラブの国々に囲まれてて、ようケンカしてたんや。
前にパレスチナ問題解説の記事でも書いたけど、1948年にパレスチナ人(イスラム教)たちが住んでたところに突然ユダヤ人(ユダヤ教)がイスラエルって国を作ったもんやから、そりゃイスラエルは周辺アラブ諸国に嫌われてたんや。

まあユダヤ人も今から1900年くらい前の紀元前ギリギリくらいにはそこに住んでたんやけど、その後ローマ軍に攻め込まれて国が滅びたり、今のイスラエルの地域がイスラム教支配下になったりして、帰る国がなくなって世界に散り散りバラバラになってたんや。
その後もユダヤ教をなんとか伝え続けた彼らは、1900年かけて自分らの国を取り戻したのが1948年のイスラエル建国やな。

1900年間の間にイスラム教の人らもたくさん住み着いてたし、そこにいたパレスチナ人(イスラム教)たちは突然住む場所を奪われたみたいな感じになってしまったわけや。
お陰様で、第四次中東戦争まで4回もイスラエルは周辺のアラブ系国家(イスラム教諸国)と戦争ばっかしてたしな。

イランはイスラム教国家だが、1948年のイスラエル建国当時、他のイスラム教の国々(アラブの国々)とはちゃう考え方を持ってたから、ちょっと仲間外れみたいな感じやった。
イランが他のイスラム教の国と違う点、それは「シーア派」が国教となっとる事やねん。
一般的なイスラム教徒の多くは「スンニ派」やけどな、イランはシーア派が主流や。今でもそうや。
世界のイスラム教徒の90%くらいがスンニ派、シーア派は10%くらいや。

日本の仏教でも浄土真宗とか臨済宗とかいろいろあるけど、まあそういう違いがイスラム教にもあるわけで、細かくいったらその2種の中にもさらに分派がぎょうさんあるんや。今回は省くけどな。
ちなみに浄土真宗は僧侶が坊主頭にせんでもええらしいで。知っとったか?

シーア派の盟主がイラン(シーア派率90%)で次に率が高いのがイラクとイエメンや。
これがシーア派3カ国とか、シーア派三日月地帯とか呼ばれてる。

スンニ派の盟主がサウジ(スンニ派率90%)やけど、正直言うとイラン・イラク・イエメン以外のアラブ諸国はみんなスンニ派や。

ところでアラブ諸国の人たちみてると、日本みたいな極東の国々とか、欧米と比べるとめちゃくちゃ宗教色が強いって思うよな。ナントカ派武装勢力とか多すぎやろって。
イスラム教めちゃくちゃ重視してる国々と人々ばっかやねん。

シーア派とスンニ派は、指導者をどう選ぶかの違いがでかいんやけど、シーア派はムハンマドの血筋があるかどうかを重視してて、スンニ派は血筋関係なくイスラム教に詳しい人を選ぶ違いがあるんよ。

大事な大事なイスラム教でトップを決めるのに、選び方がまるで違うっていうところは、彼らにとってとても重要やし互いを嫌い合う重大なことでもあるんよ。

シーア派でムハンマド血統がある人のことを「イマーム」って呼んでて、特別な能力がある人って思われてる。イマームを国のトップにせなあかんのやけど実際の実務上は、イマームはどこにおるかわからんから、イマームがおらん間は代理の「イスラム教めちゃくちゃ詳しい人」(アヤトラ)が指導者を務めることになってる。
いつかイマームが帰って来ると信じてるわけや。

今イランの最高指導者やってるのはハメネイ師っていう84歳のアヤトラ爺さんや。
その前はホメイニ師っていう人やった。今のイランの政治体制を作った人や。後述で詳しく言及する。
一応イランにも大統領はおるけど、最高指導者の方が立場が上やで。

スンニ派はムハンマドの血筋があるイマームとか全くどうでもええし、イスラム教の教えに詳しい人の中からリーダーを選べばええっていう考えやね。
ちなみに高校の時クラスに今村くんって男がおって、世界史の授業でイマームが出てきたからあだ名がその日から「イマーム」になってたで。イマーム元気にしとるか?

さて、話を戻すけど、イスラエルは建国の経緯で周りのアラブ諸国から嫌われてた。
イランは、宗教派閥の関係もあって当時他のアラブ諸国から嫌われてたわけやな。

さらに、イスラエルはもともと米国にたくさんユダヤ人がおって、さらに彼らが政治力・経済力があって発言力が強かったのもあって(今でも)米国とのつながりが強かった。今も強い。
一方でイランには当時親米の国王のパフラヴィー国王ってのがおったんやけど、ソ連がじわじわと中東に攻め込んできてて、イランもソ連にいじめられててなんとかしたかったんや。

パフラヴィー国王はアメリカと仲良くすることでソ連を撃退できると考えて、アメリカと仲良くしたんやアメリカもソ連嫌ってたしWin-Winやな。アメリカは中東での覇権を拡大したいと思ってたし、パフラヴィー国王を絶賛支援したで。
で、イスラエルとイランは仲良くしたんや。敵の敵は仲間、仲間の仲間は仲間理論やな。

だから1950−1970年代は、イランはイスラエルに石油を輸出してたし、武器も共同で開発してた。
アメリカもイランを支援してて、F14戦闘機とかB747旅客機をイランに売ってたんやで。
1970年代当時のF14戦闘機って、軍事機密てんこもりの最新鋭の最強戦闘機やからな。
今で言うステルス戦闘機F22とかF35を輸出するような関係やで。信じられんやろ。

ちなみにこの時にアメリカから買ったF14戦闘機はまだイランでは使われてる。アメリカ軍は古いからもう引退させたけどな。
映画「トップガンマーヴェリック」で、マーヴェリックがルースターと敵国基地に乗り込んでいって、なぜか敵国の格納庫においてあって年代物のF14戦闘機に乗って帰って来るっていうシーンあったやろ。
あれは映画のための無理やり設定ではなくて、現実にあるイランそのまんまやで。

このパフラヴィー国王政権のもとで、イランは凄く自由でアメリカみたいになっていった。
女性が肌を見せてもよかったし、ヒジャブ(イスラム教の国が女性が着てる体とか顔隠すやつ)を禁止したりもしてた。
ムスリム以外にも選挙権を与えようとして叩かれたりもしてた。
石油を日本とかにもバンバン輸出して、石油で稼ぎながら世俗化・近代化をするっていう政策を進めてたんや。
日本を参考にして経済発展したいっていう思想やで。政教分離もしようしてたんや。


  1. イラン革命で一変:決定的な絶交

1973年におきたオイルショック(原油価格の一斉引き上げ)後に、原油価格は段々と安定を見せていく。国内には貧富の差が激しく拡大していくんや。国王への不満が募っていくんやな。
政教分離を進めたとはいえもともとイスラム教シーア派の国民ばっかなわけで、反国王的な意見を持つ宗教的なリーダーが支持されるようになっていく。
その宗教的リーダーがホメイニ師っていうおっさんや。
鬱陶しいから、パフラヴィー国王はホメイニ師を弾圧して、ホメイニ師は海外に亡命してたんや。最後はパリにおったで。

パリにおってもホメイニ師は打倒国王を、遠く離れたイランの国民や宗教関係者に煽り続けたんや。
1979年に政権が揺らいだパフラヴィー国王は海外に逃亡するんやが、それと同時にホメイニ師がパリからイランに帰国し最高指導者になった。映画みたいやな。

現在の国王を追い出すんやから、当然反米・反イスラエルになるで。
新しい最高指導者ホメイニ師はイスラムの教えをめっちゃ大事にしてて、イスラエルを認めんって言い出したんや。
なんでかっていうと、イスラエルがある場所は元々パレスチナって国やったんやけど、イスラエルができてパレスチナの人らがお家を追われたからな。
せやから、イランはパレスチナの味方について、イスラエルとケンカするようになったんや。ここでイスラエルとの蜜月の関係は終わりや。


  1. アメリカとの関係悪化:ややこしさが倍増

1979年のイラン革命時、イランの学生らがアメリカ大使館を占拠して、52人のアメリカ人を人質にとった事件が発生したんや。
解決まで444日もかかった。
この時にアメリカはイランと国交断絶して、その時から敵対関係が始まった。

周辺国では「イランでシーア派宗教指導者が国王を倒したぞ、ウチにもこのイスラム教運動が広がったらワシら国王の立場やばいやんけ」って恐怖が広がったわけやな。

そこで恐怖やなと思いつつもチャンスやと思ったのはお隣イラクで、シーア派が多いとはいえお隣イランが国内が革命で混乱してるやろってことで、油田もほしいし攻め込んだわけや。
これがイラク・イラン戦争や。

ちなみにこの時のイラクのリーダーがサダム・フセインなんやけど、イランが革命で一気に反米化したのを嫌ってたアメリカは、イラクを支援してるんや。
我々の世代やと、アメリカはサダム・フセインを極悪人って思ってるし実際殺してる記憶しかないよな。
でも、この時代はアメリカはサダム・フセインを支援してたんやで。

イラク軍はイランをボッコボコにするんやけど、イラン軍には断交前に買ってた最新鋭のF14戦闘機もあったし、イランはなんとか味方になってくれた国々のおかげで耐えきるんや。
シーア派系が政権を持ってたシリア、カダフィ大佐率いるリビア、反米国家の北朝鮮なんかがイランの味方になった。あと中国はイラン革命後はめちゃくちゃ武器供給したで。
今思うと、シリア、リビア、北朝鮮、中国ってアメリカと敵対してる国よな。

よくニュースでイランと北朝鮮が核開発でうんたらかんたら、とか武器の輸出入でうんたらかんたら、ってニュースを見るけど、この時にイランと北朝鮮はめっちゃ仲良しになってるんや。国の存亡がかかったときにイランを北朝鮮が助けてくれたんやからな。
シリアも2011年から長らく内乱してるけど、イランは当時助けてくれたのもあって、いまもシリア政権(いまのアサド政権)を応援してるんやで。
イランは中国とも相変わらず仲良しやで。

3.核問題が発生してややこしく

さらにさらにややこしいんが、核問題や。
イランは原子力発電のために、ウランを濃縮してるんやけど、アメリカとかイスラエルは「それって核兵器作るためちゃうの?」って疑ってるんや。

原子力発電には低濃縮ウランで十分なんやが、イランは20%くらいの濃度の高濃縮ウランを作ろうとしてたんや。核爆弾を作るにはもっと高濃度で90%くらいの濃度が必要やから20%のでは作れんけども、アメリカとイスラエルは疑ったわけやな。

中東の地図を見るとわかるけど、中東には明確な核保有国はないんや。
イスラエルは「核兵器?知らへんで?」って言ってるけど正直言うと持ってるんや。
そこにイランが核兵器を持ったとなると、中東の軍事パワーバランスが一気に変わってしまうわけで、イスラエルもアメリカも困るわけやな。

アメリカは「核兵器を持つなんて許されない!」って大騒ぎしてイランに経済制裁していじめまくるわけやが、アメリカもダブルスタンダードで、オイルマネーに関係がないパキスタンとか北朝鮮の核開発は完全スルーやからな。ひどいもんやで。

核開発はその後多国間協議で一定の合意に至りIAEAの査察を受け入れて、「核開発は止まってるで」とIAEAお墨付き報告書も出たりもしてたんやが、その後も核開発疑惑問題は継続し、トランプ政権のときに「イランが合意に違反してる!」とアメリカやイスラエルが騒いで、今は合意はないようなものになってる。

その後、イランの核開発施設が破壊されたり、科学者が暗殺されたり、イランの軍司令官が暗殺されたりとか、アメリカ・イスラエル vs イランの戦いはずっと続いてるんや。


  1. イランと日本・欧州・ロシア・中国との関係

イランは日本との結びつきは強い。
日本は石油資源がないので中東に依存しているが、日本の原油輸入の15%がイランが占める。
アメリカがいかに「日本もイランと絶交しろ」と言ってきても、石油資源がないので日本はイランと付かず離れずの関係を継続しとる。安倍ちゃんも前にハメネイ師と面会してたで。

敗戦国で、石油権益を全然持ってなかった日本は、イランがアメリカと断交したのを好機に、アザデガン油田っていうイランの巨大油田の権益を75%もゲットしたが、その後アメリカの圧力で権益を手放して、10%の権益に下げられてる。

イランは反米だが欧州と完全に敵対しているわけではなく、イランとは貿易はある国もある。
EUはイランに経済制裁は課してるけど、EU諸国でも一様な対応ではなく、イギリスドイツフランスはイランと敵対してるけど、イタリアとかスペインとは交流も結構あるしな。

ロシアはソ連時代は南下政策でイランに嫌われてたし、アメリカと手を組んでいたときはソ連をなんとか押し返したいからってのがあったが、今や反米国家のイランは、現在は核開発や武器の輸出入でもロシアとイランの結びつきは強い。

中国も石油を必要としてるし、反米の国家は中国にとっては付け入るチャンスではあるので、イランと中国も関係は深い。イラク・イラン戦争のときから軍事物資とか支援してもらってるしな。


  1. イエメンのフーシ派とかイラクの武装勢力への攻撃

イスラエルが今回イランと報復合戦になる前に、イエメンの武装組織フーシ派がイスラエルの船を拿捕したりしてたっていうニュースあったよな。
ヤマザキ春のパン祭りのお皿がこの春、フーシ派のせいでパン祭りに間に合わんかったっていう事件があった。
あの皿はフランスから日本に輸入してるんやけど、スエズ運河を通ってイエメン沖を通ってインド洋通って日本に船で運ばれてるんや。

イエメンの武装組織フーシ派は親イラン組織で、イランとつながりが深い。
今日のワイの記事の最初の方でシーア派スンニ派ってあったけど、イエメンはイランと同じでシーア派割合が多い国で、宗教的にもイランと近いわけや。だから味方がおるってことやね。
この近辺の宗教的背景が、ワシらのパン祭りにも影響するんやで。勉強したほうがええで。

今回のイスラエルとイランの報復合戦の最中に、なぜかイスラエルからイラクとシリアにも攻撃があったっていう報道があったよな。
イラクもシーア派が結構多いってさっき書いたけど、攻撃されたのはイスラム教シーア派民兵組織「人民動員隊(PMF)」っていう団体で、シーア派、つまりイランの味方の組織ってわけや。

今回の報復合戦の直前に、シリアにあったイラン大使館がイスラエルに爆撃されてイラン革命防衛隊の司令官が殺されたわけやが、ほら、シリアはイランの味方で、イランもイラクイラン戦争の経緯もあって今もシリアのアサド政権を支援してるって書いたやろ?
シリアも当然イスラエルと仲悪いし、反イスラエルの勢力がたくさんおるんやで。
長い年月をかけてこのあたりもつながってるんやで。

っていうか大使館を爆撃するって、国際ルール的にどうなん?って思うけど、どうなんやろか。

5. イランと他のアラブ諸国の関係

もともとフーシ派とスンニ派で対立があったのに加えて、最近はイスラエルが親米アラブ諸国と国交を回復していったりしてることも、イランやハマス(パレスチナ)の焦りにつながってるで。
イスラエルは歴史的・宗教的背景周辺アラブ諸国からガチ嫌いされてたけど、UAE(アラブ首長国連邦)と国交回復もしたし、最近はサウジアラビアと国交正常化交渉もしてるで。
周辺アラブ国が、まさかイスラエルと国交正常化しようとしてるなんて、ハマスからしてもイランからしてもとんでもなく気になるところやで。
だってマジで孤立化するし、特にハマスからしたら「ワシら一人ぼっちになるんやないの」って感じやしな。


  1. イランとイスラエルの直接戦闘はあるのか

ちなみにイランとイスラエルが仲が悪いとはいえ、直接戦争になったことはないんやで。
地図で見てみるとわかるけど、イスラエルとイランって、隣同士ではないんよ。っていうかそれなりに遠い。
イスラエルとイランはヨルダン、シリア、イラクとかを通過しないと行けないわけで、互いに陸戦になることもない。
よって勝手にお隣の国々の上をドローンとかミサイルを飛ばして攻撃するだけにとどまってるんや。
イスラエルはガザ対応で大変やし、イランも戦争してる余裕たっぷりの経済大国ってわけでもないし、互いにこいつらうぜえしねと思いながらも、全面的な戦争をするつもりもないで。
イスラエルは極右支持者がおって政権が成り立ってるし、イランも宗教的な狂信的信者がおるからそいつらに建前上「あいつらに報復したで!」って言わんと国民が収まらんわけやし、しぶしぶ深刻な打撃にならん範囲でやってる感はあるな。
ただ、エスカレートしないかどうかを世界が注視してるし、イエメンの勢力とかも巻き込んだ状態やから、ペルシャ湾の石油だけではなく、紅海の欧州とアジアのスエズ運河の重要輸送ルートも影響を受けとる。


  1. まとめ

ここまで読んで、宗教的、歴史的な経緯もあって、イスラエルとイラン、あとアメリカがどうやって敵対関係に至ってきたかわかったと思う。そして周辺国の影響も。
さらに、最近の核開発問題が中東へのパワーバランスに影響が大きすぎるゆえに、イスラエルもアメリカもピリピリしてるのがわかったと思う。
日本はアメリカ側の国であるが、幸運にも中東と戦争をしたことはないわけで、宗教的にも敵対関係にはない。
たとえ日本が親米国家だとしても、ワイはあまり片方に肩入れしすぎるべきではないと思ってるで。

もしここまで読んで記事が気に入ったらフォローしてな。
普段はどうでもいいこと書いてるけどたまにまとめ記事を書く。
毎月、おすすめふるさと納税商品情報とかお得情報も流してるで。
ほな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?