教育商材と教育そのものの関係、のようなもの
私自身もそうでしたが、自分が選手だったときに指導を受けた監督、コーチの精神論に反発するかのように論理化や合理化に重きを置くところからキャリアをスタートする若き指導者が高い割合で存在します。
国内外問わず勉強熱心な指導者ほどこの傾向にあります。
これ自体はあるべき姿で、ゆえに資格コースに通ったり勉強会に参加したり書籍や映像から様々な情報を入手したりと、彼らはそのインプットに勤しむわけですが、指導者自身が学ぶソースが“答”を用意された便利なものであると、そのソースを基に指導される場合、選手側には良くない影響を与える恐れがあります。
それそのものが悪いのではなく、その扱いを勉強家の指導者たちが間違えやすいということです。
人は知らないものを知りたがる生き物です。
そして新しいことを知るとき、学ぶとき、できるだけ整理された状態でそれらを受け取りたいものです。
情報がわかりやすかったり物事が整理できていると脳が喜ぶからです。
スポーツにおいて特定の成功例をただの偶発的な一喜にしないために再現可能な体系化を目指すのは指導者にとってはごく自然なことです。
そのためには指導される側の選手たちにとってわかりやすいキャッチ―なフレーズや専門用語を用いて指導者が言語化することも自然な流れです。
選手の脳も整理されますし、私自身も便宜上、レーンやゾーンや三角形、ダイヤモンドといった単語を使いながら指導にあたっています。
がしかし、この伝え方を間違えると、選手(の脳)にウケのいい単語や図だけが印象に残りやすくなるので、その指導は彼らにとって暗記型のインプットになり、それらの原理原則を理解することができなくなることがあります。
理屈がわかりづらくなるということです。
練習でやったときと同じ状況ならその特定のプレーはできるのに、少し角度や距離が変わるだけでもうそのプレーができなくなる、という成果(結果)を指導者の方なら皆さん一度は経験されているのではないでしょうか。
例えばピッチを縦に分割して同じレーンにポジショニングする選手の人数を約束事で決めるのであれば、その前に「なぜ?」や「ボールホルダーとの角度の条件は?」「距離の条件は?」など細かい理屈も説明する必要があります。
論理的思考を癖づけさせるためです。
私の場合例えば「三角形を作る」ことを選手に意識づけさせたいとき、その言葉のまま「順三角形を作れ」や「逆三角形を作れ」と指導する前に
「後ろ向きでボールを受けた選手が前に振り向けない状況のとき、見えている側(後ろ)にパスコースがあると助かるよね。そのパスコースがボールを出した選手へのリターン一択だと相手もケアしやすいからできればもう一つは欲しいよね。じゃあ順三角形を作りたいよね」
や同様に
「バックパスをもらったときなど前を向いている選手にとっては前にパスコースが複数欲しいよね。じゃあ逆三角形かそれ以上のパスコースを作る必要がるよね」
といった超理屈を説明します。
「ダイヤモンド」や「排出口」などを説明するときも同様です。
数学で例えるなら、公式そのものを暗記させるのではなく、その公式が出来上がるまでの経緯を説明するようなものです。
(超理屈の大切さの解説はこちら)
世の中の売れる情報商材や教育商材などのコンテンツは当然学ぶ側(購入する側)の満足度を上げるために、再現可能な形にするための言語化、体系化をしています。
当たり前のことです。
問題は購入者個人の学習のための語学やプログラミングの勉強と違って、指導者が学ぶことの多くはそれを他者に伝えるという“その先”があるということです。
しかしながら、その方法論や言葉だけを真似て、原理原則を理解しないがために独自の育成メソッドや戦術を作れない指導者が残念ながら一定の割合でいます。
選手たちが暗記型になってしまっている原因には、指導者自身が深い理屈を整理していないことが可能性としてあるということです。
誤解を恐れずに言えば、いわゆる上積みの部分だけをすくい取ってしまっているということです。
そしてこのタイプの指導者は合理化を好むことと因果があるのか、たいていはピッチ外での教育指導が欠けます。
時間、礼儀、整理整頓、身だしなみなどといったものへの教育的な取り組みです。
「(勝負の)神は細部に宿る」という有名な文言はサッカーに限らず、いやスポーツに限らず様々な現場で使われており、「我慢強い」日本的体育会系によく合っているように聞こえて論理派の指導者からしばしば揶揄や敬遠の対象になりますが、実はこの手の教育やこれらに基づくルール化は海外にもあります。
例えば私が選手時代に過ごしたブラジルでは、日本のユースよりも年代的には上のカテゴリー、ジュニオール(18~20歳)まではプライベートでもピアスは禁止というルールが多くのチームでありました。
こちらは有名かもしれませんが、イングランドのプレミアリーグではユースカテゴリーまではスパイクの色は黒以外禁止というチームが複数あります。
こういった話を私は選手にも伝えています。
以前の記事(こちら)にも書きましたが、強いチームを作りたいのであれば、“素晴らしい”練習メニューや戦術を考えるより、選手自身を成長しやすい性格に変える方が効果的です。
そしてそのために構築すべきメソッドや約束事はピッチ内の活動に対するものではなくピッチ外のものになります。
つまり日常生活の習慣化からアプローチをするということです。
これは実にまどろっこしく根気のいる作業に映りますが、“時間のかかる”この作業、いわば間接努力であるこの作業も長い目で見れば“素晴らしい”練習メニューや戦術を創造して選手にやらせるより結果的には時間対効果が優れたものになります。
例えばグランド整備や部室の掃除を徹底することはなぜ大切か。
服装を正すことがなぜ重要なのか。
グランドをきちんと整備することでイレギュラーバウンドや怪我を減らせる、身なりや部室をきれいにすることで気分がよくなる、という一元的な利益だけを求めているわけではありません。
それら決め事を徹底することの習慣づけによって「やろうと思えば達成できるのに達成していないこと」「頭の良さや身体能力関係なしに、その気になればできるのにできていないこと」に対してイライラする神経質な人間を作ろうとしているわけです。
念のため断っておきますが完璧主義者を作りたいわけではありません。
この「イライラ」はモチベーションと呼ばれるものです。
選手に最善主義者になってほしいと望んでいるのです。
神様が宿るであろう細部とはこういうところではないでしょうか。
もちろん人の脳というものは整理を好む、よって選手たちの脳も整理させてあげたい。
というわけで論理化、合理化、体系化やそのための勉強も必要です。
かつて抽象度が高かった、丹田や肝(はら)という言葉などを使った身体動作や意識の指導、解説が最近では解剖学からの観点で論理的に説かれるようになっているところを見ると、時に精神論に聞こえがちな日常生活の習慣化というメソッドも、キャッチ―な言葉を用いた言語化や体系化も可能なのにただ単に手をつけていないだけ、という可能性は大いにあります。
そして選手を成長させるのに最も大切なのは、更に抽象度の高い「情熱」だとか「愛情」だとかいったものだったりもします。
もしこれらが自分には備わっている(と思っている)のに、例えばシーズン途中での選手の退団率が高い、など、その情熱や愛情が選手に伝わっていないと感じるのであれば、指導者が情熱をこめて学ぶべきポイントは、戦術や育成メソッドではなくて、心理学や話し方、伝え方の方にあるのかもしれません。
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