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英語を勉強する意味が分からない日本人学生

英語を勉強する意味


カナダの大都会トロントの地下鉄の乗り換え地点でるブロア・ヤング駅は東京の高田馬場駅に似ています。

いろんな人が行き交う駅の近くにその大きな図書館

カフェと隣接しているその図書館は、入るとコーヒーの香り

ラウンジには噴水と池、階数が多いので二台のエレベーターが用意されていて、この図書館がどれだけ広いかが分かります。

そして

そこには、日本の図書館では比べ物にならないほどの、一生をかけても読みきれそうにない本達が各階に飾られています。

英語が読めるということは、そういう事だと、私はカナダの大きな図書館を見て感じました。

“日本語を使って暮らしているのは日本人だけなんだ”と。

「私は日本人だもの!」と言い張る日本人Mちゃんと、この立派な図書館に訪れた時、彼女は図書館の棚に陳列られている本の多さにとても驚いていました。

「日本語で書かれた本と日本語に和訳されている本しか読めない自分にゾッとした」

と彼女が私の感じたことを言語化してくれました。

確かに、日本語で得られる情報量はとても限られています。けれども、日本にいるとなかなか実感しにくいですよね。

情報量と堅く言っても、難しい論文や難しい書物の事だけのことではありません。料理、美容、ライフスタイル、インテリア、歴史、など様々な分野のことにも当てはまります。

英語ができないということはどんなに好きな分野のものがあっても和訳されていなければ、そこで情報が途絶えてしまうということです。

多くの情報は他国から発信されていることを海外にいると思い知らされました。

学生の頃の私に言いたいこと

英語の教科書を開いて、ただ英語を勉強するのはやめて、海外の歴史や、ドラマ、映画、本、美容雑誌、コラムなどを英語で読んで自分の興味のあることで英語と向き合って欲しいです。
そうすると英語の授業が、テストのために勉強しないといけない時間ではなく、やりたいことに必要だから勉強できる時間になり、もっと意味のある時間になると思います。

日常的に使わない言語を勉強するほど、退屈なものはありませんでしたから。


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