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⚖ 6年+本人訴訟【14】~意外だった,森剛裁判官の「被告は破綻」発言(その2)

第3回口頭弁論期日,法廷で,森剛裁判官は,私に,聞きました。
「原告は,この先も,代理人をつける予定はないですか
 
私は,提起前からそれなりに弁護士探しをしていたにもかかわらず,容易に見つからず,やむなく本人訴訟している旨を説明しました。
 
すると,森剛裁判官は,「わかりました」と言い,
次の期日から,準備弁論手続となったのです。
 
上記の裁判官の質問を,私は,その後,各地の地裁での(多分に,100回以上の)傍聴で,見聞きしました。
 
私の現段階での印象として,
金銭問題,賃貸借問題等,比較的シンプルな案件でもない限り,
裁判所は,基本的に,「本人訴訟」を好まないようです。
 
だからこそ,担当裁判官は,「本人訴訟」の当事者に対し,
「法律の専門家ではない」「裁判に不慣れ」等の弱点を痛感させるような言動を行うことが多い
ように思います。
 
少なくも,森剛裁判官の,当初の指揮態様は,そうでした。
私は,「針の筵」に座して睨まれた,カエルであるかのように感じ続けていました。
 
極めつけは,令和3年4月に,被告の訃報を受けた際のことです。
「取り下げを検討して」と(書記官を介して)言われたのです。
 
その際,私は,強い反発をおぼえました。
まるで憲法に保障された,「裁判を受ける権利」を不当に侵害されているかのように感じたからです。
そして,最高裁判所に電話をかけ,不服を訴えました。
 
すると,最高裁の職員は,「裁判官の独立が保障されているので」とし,
その点を追及する術はない旨を断言しました。
そこで,私はただフンバリ続けるしかない,と覚悟したのです。
 
その頃,私は,「除籍ではなく,自主的退校だった」との被告主張を受け,東京都をはじめとする関係機関に,保有個人情報や公文書の開示請求中で,何らかの新証拠が期待されている時でもありました(※↑ 冒頭の画像)。
 
他方,同学校と東京都に対して関連文書を提示するよう,文書提出命令申立も行っている最中でした。
 
そのため,「取下げません」とほぼ即答したのです。

真に「命」をかけて

学校でアカハラを受け,相談しても対応されず,
さらに年次の判定で不当判定を受けることが想定された頃,
私は,何度か,
「学校の上から飛び降りれば,警察が動いて,真相解明してくれるはず」と,8階建て校舎の屋上に駆け上がろうする自分を,必死で抑制したことがあります。

本当に,もうどうなってもいいから,
この訳のわからない苦しみから脱したい,
けれど,何があって,どうしてこんな目に遭っているのか,
せめて親しい人だけでも,真相を知ってほしい,
と思ったのです。
 
「除籍で退校」となった後には,
「訳がわからない自分がおかしいのだ」
「この世に生きる価値がない存在なのだ」
と,改めて自死をのぞみました。
 
それでも,人生で初めて,心療内科を受診し,睡眠導入剤の助けをかりて眠りを取り戻すうち,体力と気力が回復し,
「訳を知らないでは,死にきれない」と確信したのです。

「たかだかそんなコトで,大げさな」
と思うかもしれませんが,
私はそう感じていたのです。否定されても困ります。
 
だからこそ,私は,命ある限り,山を押し続ける,と決意したのです。
正直,当初は,サポートの手を差し伸べてくれていた家族や友人でも,
一人・・・また一人・・・と,そばから離れ,
2年が経過した頃からは,実質的には誰一人,関心を示さない状態となってしまいました。

まるで,「無意味なコト」と言わんばかりの冷やかさで,
その状態を直視することは,新たな試練でした。
「裁判」することのリスクだ,感じています。

辛い現実です。

上記のような経緯があっただけに,「被告は破綻」の意味は,
私にとって絶大でした。
「生きててよかった」と,何年かぶりに腹の底から息を吐いた気がしました。

ところが――◆

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