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茨城県近代美術館「速水御舟展」② 御舟の魅力について、など

 水戸の茨城県近代美術館で開催中の日本画家・速水御舟の回顧展について。先日①として、展覧会中おすすめしたい作品を取り上げてみました。今回は②、展覧会を通して改めて感じたことなどを取り留めもなく書いていきます……と思っていたら仕事で忙殺&遅筆によって日が空いてしまいました。日本絵画の展覧会は会期が短い。たくさんの人に観てもらえていることを願うばかりです。

個人的新発見?

 「放任主義」ともいわれる松本楓湖主催の安雅堂画塾で修業をした速水御舟。必然的にというか、塾生たちは自主的に研究会を作り、屋外写生にいそしみます。御舟も晩年まで常に写生を作品制作の基礎としていたそうです。
 そのため御舟の描く作品には、当時日本画檀でも主流のひとつであった歴史画や山水画(実景を描いた「風景画」ではなく)はほぼありません。そんななか、あまり多くはない「物語性」のようなものを感じさせる作品がこちら。

《短夜》1915年、茂原市立美術館

 今まで観たことがなかったか、もしくは印象に残っていなかったのですが今回見入ってしまった作品のひとつ。当時多用していた大きめの点描で画面を覆い夜を暗示するなか、中央に刷かれた金泥が効果的で、家屋と人物をやさしく浮かび上がらせます。その後の御舟作品にはあまりない抒情性を持っていて、また好きな作品が増えたなあという感じ。
 その後の作品からはあまりそれを感じさせませんが、御舟という画家はもともと身近な自然の美しさに素直に感じ入るような人だと私は思っています。《京の舞妓》などの細密描写に傾倒するまえの作品は知名度こそ劣るものの、そんな彼の素朴な人間性が率直に表れているように見えます。彼自身が後年語るように、そこで主観に偏りすぎたのを無理やりに押し込めて絵作りをしていったのが大正半ば以降の作品でしょう。

御舟の芸術観を形成した周辺

 御舟の画業において重要な、画風の革新とモチーフの徹底した写生。そこに少なからず影響を与えたのは以下のような周囲のことばだったようです。

日本画なんて恁麼こんなに固まつてしまつたんでは仕方がありゃアしない。兎に角破壊するんだナ。出来上つてしまつたものは、どうしても一度打ち砕さなくちや駄目だ。そすと誰れかゞ又建設するだらう。僕は壊すから、君達建設してくれ給へ。

神崎憲一「不取敢の記」『塔影』11巻5号

君の絵は理想化することが強く、君は絵を作りすぎる。桜に花を咲かす。爛漫とした趣のみを君は描かうとする。が実在はもつときたなくて垢がある。爛漫の梅にも虫食もあればやにもあらう。

速水御舟「苦難時代を語る」『美術新論』6巻10号

 上は御舟の兄弟子だった今村紫紅のことば。御舟ら弟弟子たちと作った「赤曜会せきようかい」という研究会でこのように語っていたそうです。赤曜会のメンバーにとって、時流に阿らず大胆な作風を試していく紫紅はカリスマ的存在。紫紅の作風は積極的に取り入れられました。
 御舟も同じく、本展の出品作にしても、《宮津》の波の描き方は紫紅の《熱国の巻》のそれとよく似ています。(余談ですが、《熱国の巻》は3/17からの東京国立近代美術館「重要文化財の秘密」展に出るようです!興味ある方はぜひ。)
 しかしその後、紫紅の突然の死で赤曜会は自然解散。御舟は身近な目標を失ったことで、作風の転換に着手していきます。紫紅の「破壊と建設」の精神を守り、その紫紅をも超えようという精神。御舟が紫紅から得たのは技法よりもむしろこの姿勢だったのでしょう。御舟は生涯を賭してこのことばをストイックに実践していくのです。

《宮津》(1915年)、個人蔵

 下のことばは、御舟の親友でライバルとも称される小茂田おもだ青樹せいじゅからかけられたもの。御舟はこのことばを「一代の教訓」としたそうです。「もっと細部を…」という意識に駆られた細密描写の時代はこれをやりすぎなくらい徹底した結果でしょう。対象を理想化せずに向き合い描ききるという意識を持ち続けたことが、抒情性を打ち消した分御舟の画面にある独特に迫力のようなものに表れています。本展の第2章に展示されている結婚祝への返礼として描かれた小品への気合の入れようがすごい。(これも余談ですが、こんな批評をしている青樹は御舟よりももっと自然に対する素直な感動が画面に表れていると思います。でもそれが青樹の魅力。)

 孤高の天才のような印象を持たれそうな御舟ではありますが、その画風は周囲にいた優れた仲間たちとの切磋琢磨が磨いていった部分があることがわかります。近代の画家というのはこういうやり取りが残っていて、意気盛んで才能に溢れた画家たちが日夜絵画に向き合い、侃侃諤諤芸術論を交わしていたと考えると、羨ましいというか、横でそれを眺めてみたい気持ちにかられます。

《茶碗と果実》(1921年)、東京国立近代美術館

古典との関係

 「実在するものは美でもなく醜でもない、唯真実のみだ」という信念のもとに描ききった御舟の花鳥画は、美しさよりもちょっとした怖さを感じさせるほどの実在感があります。今回《菊花図》なども観て改めて感じたのは、御舟のこうした花鳥画は江戸琳派の絵師、鈴木其一きいつと似通う部分があるなということ。このこと自体は2016年山種美術館での御舟展の図録で、東京大学東洋文化研究所の板倉聖哲教授が指摘していることです。言われてみると其一の御舟の透徹した、ある種冷めた視線で自然を捉えて平面的な画面を構成する花鳥画は似通ったものがあるように思います。
 近代日本画家の、尾形光琳をはじめとした琳派への接近は、先輩画家である菱田春草も言及しているところです。その中でも、写実的な花鳥の描写と平面的な画面構成という融合を優れた作品に昇華した春草は酒井抱一ほういつと、御舟は其一に通じる部分があると個人的に考えています。
 もしかして私が見落としているだけかもしれないですが、この辺の江戸琳派と近代日本画の親和性について比較して深めたような展覧会とか、どこかでやってくれないかなぁと密かに思っています。

御舟が目指したもの

 御舟は雑誌への寄稿などを通し、自らの目指す芸術を語っているのですが、難解です。彼の画論や芸術観といったものは①にも引用した『絵画の真生命―速水御舟画論―』に所収され、まとめて読むことができます。
 大雑把にまとめて言えば、日本画の伝統というものは技法の上にあるものではない。時代ごとに技法は異なっても、芸術の本質には変化はなく、名画といわれるものはその本質を、その時代の様相に合わせて描きだしたものである、といった主張です。つまり、どれだけ古画に倣って筆法だけ真似ても真の芸術は生み出せない、伝統の精神を自分たちの時代と融合させて描ければ当代の傑作が生みだせるはずだということ。この「伝統」「精神」といったものが非常にあいまいで、おそらく語る本人もはっきりと掴めたものではなかったでしょう。そして、重文指定された傑作を生んだにもかかわらず、おそらく体現できたと納得する前に彼は死没しています。
 「美は相対的なもので、そこにあるのは真実のみ」として、モチーフと真摯に対峙することで「真実」(それが「芸術の本質」につながると考えていたのでしょうか)を掴もうと終生写生を続けた御舟ですが、彼のことばを借りれば、目の前にある生物や花鳥ではなく、少なくとも自分の生きる時代を写しとらねば結局は過去の反復をしているに過ぎないともいえます。彼が晩年になって、それまでおそらくはあえて避けてきた人間をモチーフとして研究したのは必然の流れだったのでしょう。個人的には《花ノ傍》はその意味では自分の時代を描き出した名作であったと思います。そして結局は彼の逝去で未完となった、当代の女性を複数人集めた屏風作品の大作《婦女群像》、これが完成に達していれば、御舟は風俗画においても一流の名を得ていたかもしれません。
 この展示を企画した茨城県近代美術館の尾﨑正明館長の講演も拝聴しましたが、「あれだけ画風が変わっていても、どれも御舟の作品だとわかるものがある」ということを言われていたのが印象的でした。彼の理想は未達だったとしても、それを目指すための軌跡は今も画面に残っています。

 個人的に生意気な欲をふたつほど。
 彼が画塾時代の仲間とともに制作していた若い頃には、東京や横浜の日常を素直に描き出した作品があります。徹底した細密描写と、自身の技法と古典との融合という時代を経て円熟味を増した御舟が、改めて若い頃と同じような目線で自分の周りの情景を描いてみたら、どんな風俗画が生まれていたのか。
 また、どんな小品にも手を抜いて緩めることをしなかった(あるいはできなかった)彼が、例えば小川芋銭うせんや小早川秋聲しゅうせいのように、ふっと肩の力を抜いたような(手抜きという意味ではなく……)伸びやかな画面を作ろうと試みたら、どんな画面が出来上がったか。そんな世界線をも見てみたかったなとこの展覧会を後にして改めて思いました。

 近代日本画に新風を起こし、傑作を生みながら道半ばで早世したといえば、菱田春草―今村紫紅―速水御舟という流れが見えます。春草は紫紅と、そして紫紅は御舟に影響を与えましたが、もしこの3人が長生きして再興院展で競演していたら……私には想像もできませんが、まさに夢のような時代だったでしょう。

会場の雰囲気など

 この「速水御舟展」、想像はしていましたが中高年の方の割合が高く、私と近い年齢層の20~30代の方は多くありませんでした。(リサーチしてないですがテレビ等で取り上げられれば少しは変わるのかな?)どうしても世間で日本画のイメージっていうと、北斎!若冲!によりがちですよね。ほんの数十年前は生活に密接して日本画はあったはずなのですが、数十年後、私たちが中高年になったころ、果たして近代日本画の展示は採算が取れて成立するのか?どんなプロモーションがなされるのか気になります。その頃には近代の作品も徐々に国宝になってきて、そこをアピールポイントにしていくことになるのかな。
 それから、個人的に嬉しかったことは、来館者の人たちが話しているのをほとんど看視さんが止めていなかったこと。もちろん、気になるほどの声量ではなかったのですが、作品の前で感心して感想を言い合う様子は、もっと美術館で許容されてほしいと思うところです。静かに没頭したい方も多くいるのは当たり前なので、難しい問題ではありますが。
 それから常設展の方では、この美術館が持っている中村つねや御舟の先輩・後輩たちの作品も楽しめます。木村武山の杉戸絵が一部屋に集められた展示室などは日本画好きには贅沢な空間です。
 私は距離的なこともありわずかしか訪れたことがないのですが、エントランスの天井が高くて広々した空間とか、すぐそこに千波湖がある環境も含め、茨城県近代美術館は好きです。ゆったりした時間が流れている感じがします。

おまけ

 もしここまで読んでくれた方がいたとしたら、たとえつまらないと思われたとしても大変嬉しいです。語りたいことが色々あって、茨城の展示から逸脱したことも書いてしまいましたが、一部しか書けていないのにかなり長くなってしまいました。文章を書くというのはやっぱり難しいです。
 
 そしてこの展示、山種美術館の作品はなかったわけですが、この夏「【特別展】 小林古径 生誕140周年記念 小林古径と速水御舟―画壇を揺るがした二人の天才―」と題して御舟作品がたくさん出るようです。
 小林古径は御舟と少し年が離れていながらお互い強い信頼関係を持っていた画家。私も大好きで、いつかこの2人展をやって作品を並べてほしいと考えていたのですが、ついに山種が企画してくれました。

 ここまで読んでくれた方はきっと日本画が好きか御舟に興味を持ってくれた方でしょうから、これはぜひ観にいってほしいです。(回し者みたいですが(笑)上記ウェブサイトの「次回の展覧会」で情報が見られます。)
 それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。日本画を、速水御舟を知る一助となっていましたら幸いです。


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