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茨城県近代美術館「速水御舟展」① おすすめしたい作品など

 先日、水戸市の茨城県近代美術館で開催している「速水御舟展」を観覧してきました。
 早逝の天才として近代日本美術史上で高い評価をされている速水御舟(1894-1935)ですが、プレスリリースでも謳われているように、東京以外で大規模な回顧展が開かれるのは15年ぶりだそうです。

 実は私にとって、速水御舟は一番好きな画家です。
 この展覧会についても昨年からずっと楽しみにしていました。

《炎舞》(1925年)、山種美術館

 御舟といえば《炎舞えんぶ》のイメージが強いかと思います(私も何度か、御舟の名前を出した際「あの炎と蛾の絵の人ね!」と言われたことがあります。)。この《炎舞》と《名樹散椿めいじゅちりつばき》の2点の重要文化財を含め、多くの名品が東京の山種美術館に所蔵されているのですが、本展では残念ながら山種の所蔵品は出ていません……。
 代名詞的作品はないことになりますが、それでも御舟の作品世界を味わうには素晴らしい内容になっています。

 さて、御舟作品の魅力とは何なのか。
 一番は、本展でも強調されているのですが、享年40という短い生涯で何度も画風の革新に挑み、その各時期で優れた作品を残していることです。
 彼の残した言葉がそれを如実に物語っています。

 梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで満足してしまふ。そこで腰を据えてしまふ者が多い。
 登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。

「速水御舟語録」『絵画の真生命―速水御舟画論―』山種美術館編、中央公論美術出版

 この記事では①として、本展で観られるものから私がおすすめしたい作品を数点ピックアップしていきたいと思います。(見返すとチラシに載っているものと被ってしまい独自目線とかは出せていないですが、見どころとしては間違いない!ということでよしとします(笑)。)

修行と研鑽を積んで

 はじめは、画塾での修行の日々と、若くして画壇に頭角を現していく時期。ちなみに御舟はもともとの本名を蒔田栄一といい、のちに母方の祖母の養子となり速水性を名乗ります。

《小春》(1910年)、桑山美術館

 最初期の作品です。彼は「速水御舟」を名乗る以前に、師匠の松本楓湖から与えられた「禾湖かこ」、自ら改めた「浩然こうねん」の画号を短期間使っています。こちらは数少ない「蒔田禾湖」時代のもの。
 楓湖の開いていた「安雅堂画塾」では、古画の粉本(写し)をひたすら模写させられていたそうで、そこで鍛え上げられた筆法が若干15歳にして現れています。この作品、模糊とした背景の色合いといい、あどけない表情の子どもといい、横山大観の《無我》を連想させます。というか、念頭に置いていただろうと私は思っています。古画学習と同時代の先輩画家への私淑が活かされた作品です。
 これ以降の作品と比べて、あえて言うなら「御舟っぽくない」感じですが、かえって初々しさがあります。

 

《夏の丹波路》(1915年)、埼玉県立近代美術館

画塾の先輩から「絵を描くなら本当に見て、本当に工夫しなければ」という言葉に感銘を受け、御舟は仲間と屋外写生に励むようになります。そんな彼らが強烈な影響を受けたのが、安画堂画塾の筆頭格だった今村紫紅しこう(1880-1916)(この人も早逝です。全く惜しい……)。「僕は凝り固まった日本画を壊す」と言い鮮烈な作品を残した紫紅の作風に影響をモロに受けていた頃の作品です。
 旅先で写生した風景をもとに、縦長の画面と大き目の点描(点苔法)を大胆に用いて木々や色の濃淡を示しています。中国山水画を現代風にアレンジした作風で、紫紅が編み出した「新南画」と呼ばれた傾向の作品です。新たな表現への意欲と鮮やかな情感が新鮮です。

偉大な兄弟子を乗り越えて

《洛北修学院村》(1917年)、滋賀県立美術館

 こちら、私がとても好きな作品です。といっても実見するのはおそらく7年ぶり、やっと観ることができた……という感じです。
 紫紅が1916年に急逝すると、ともに活動していた仲間たちは自然散り散りになって独自に制作をすることになります。御舟は紫紅の「破壊と建設」の精神を引き継ぎ、紫紅からの影響をも超えるべく、京都に移り住み修行をします。この作品はそれまでの新南画と、この後に来る細密描写の時期のはざまにあります。
 比叡山を望む農村の夕暮れを描いた本作品。本人曰く「群青中毒にかかった」というほど多用された群青が極めて美しい抒情性を画面に与えています。構図はそれまでの風景がと似通うのですが、違っているのは木々や家屋を描く細かい描線。寄ってみると少し狂気的なほどの描きこみがなされています。新南画のある種朴訥とした表現を乗り越えようという意識が既に現れている力作です。知名度はさほど高くないのかもしれませんが、本展中の白眉のひとつとして推したい作品、上記の御舟のことばを借りればひとつの「梯子の頂上」といえるでしょう。
 またこの作品、もし会場に足を運ばれたら、寄って細部を見るだけでなく、数メートル離れたところから観てください。日没後、まもなく暗闇にのまれようという静かな農村風景を見下ろす感覚に浸れます。個人的に御舟作品に対して「美しい」という感想を持つものは多くないのですが、そういった意味でもこれは特異な作品です。

《鍋島の皿に柘榴》(1921年)、個人蔵

 本展のメインビジュアルになっている作品です。御舟は新南画では優先をされなかったモチーフの細部への観察と描写を取り戻すべく、極端な細密描写に挑みます(やりすぎて《京の舞妓》という作品では横山大観を激怒させたというエピソードも。)。
 ここでは、日本画の画材でまるで油絵のような質感の表出を試みています。柘榴の実のつややかさや磁器の持つ硬質な冷たい色合いが驚くほどに描き出されています。モチーフを理想化することなく見たままを忠実に描き切ろうと腐心したこの作品、小品ながら目を奪われるほどの存在感があります。
 結婚祝いへの返礼として描いた小品がこれと一緒に並べられていますが、どれも手を抜くことなくストイックにモチーフと向かい合っていることが見て取れ、見ごたえがあります。

《菊花図》(1921年)個人蔵、個人蔵

 金地の屏風に鮮やかな菊の花をリズミカルに描いています。日本美術好きの方は尾形光琳の《燕子花図屏風》がピンと思い浮かぶのではないでしょうか。御舟も琳派の作品を当然意識してのものだと思われます。
 全く違うのは花の描き方。近くに寄ると、菊は異常にリアルな描き方です。今回感じたのは、ヨーロッパの植物図譜(ボタニカルアート)のように描いた花を金屏風に貼りつけたみたいだな……ということ。日本の伝統にあるフラットな画面に屹立する写実的な草花という、非常に不思議な画面です。
 古画の手法を現代の自分のやり方で翻案しようという、唯一無二といえる作品で、ここにも常人の域を超えた気迫と集中力のようなものを感じられます。これ以降ここまでの濃密な写実は現れないことから、ここでも御舟はひとつ梯子の頂上に登ったといえる気がします。
(どうでもいいのですが上の2作品を描いたときの御舟は今の私と同じ年齢……比べてもしょうがないのですが脱帽することしかできません。)

画境を切り拓き続ける

《花ノ傍》(1932年)、株式会社歌舞伎座

 主観をベースにした新南画、徹底して客観を追求した細密描写を経て、御舟は大正末頃から、写実と日本絵画の伝統である平面性やモチーフの単純化の融合をするようになります。そしてこの時期に《炎舞》や《名樹散椿》などが生まれるのですが、長くなりすぎるので(既に冗長になっていますが)少し飛ばします。
 ともかく、既に画談でも確固とした地位を築いていた御舟はその後、それまで長らく描いてこなかった人物を主題とした作品に遂に挑みます。自分で人体描写のための研究会を開き、洋画家にも教えを乞うていたようです。
 その成果として生まれたのがこの作品。洋風のしつらえがされた室内に、洋犬と親戚をモデルとした若い女性が描かれます。明るい画面と適度に単純化された同時代の風俗を選んだモチーフが、とても爽やかな印象を与えてくれます。この作品は美術館の壁面にかけられたバナーにも用いられていました。
 この作品に似た雰囲気のものは他にないのですが、つくづく御舟という画家の振幅の大きさを感じました。この作品の持つ明快さ、清新さは見事だと思います。

《蝶に戯れる猫》(1934年)、公益財団法人二階堂美術館

 晩年の作品です。御舟は亡くなる間際、それまで写生に基づいてモチーフと対峙しなければ描けなかったのが、空想でも描けるようになった、という趣旨の言葉を残しています。あるいはこれもその一部なのかもしれません。デフォルメされた可愛らしい猫とそれを取り巻くように配された昼顔、という画面は装飾的です。
 この作品の鑑識をして箱書きをしたのは、御舟が終生敬愛した先輩画家の小林古径こけい(1883-1957)とのこと。私はなんとなくこの作品の猫が、古径が描いた猫(山種美術館所蔵)に似ているような……という妄想をしています。
 若いときからひたすらにモチーフと向き合い写生に徹してきた御舟が、晩年になって感得したひとつの境地がこの作品に見られるような気がしています。彼が戦後まで生きていればどんな作品が遺ったのでしょうか……。

 ここまで、何点かと作品をピックアップして展覧会の内容と御舟の画業の一端に触れてみました。当たり前ながらこの記事では御舟の魅力は全く言い尽くせていませんが、少しはその太く短い活動を紹介できていたら幸いです。
 茨城県近代美術館の「速水御舟展」は3/26まで。期間は短いです。これほど多くの作品が集まる機会は少ないと思いますので、可能であれば多くの方々の眼に触れて、新たな御舟ファン・日本画ファンが増えてくれれば嬉しいです。
 この後展覧会の感想だけでなく私が御舟を好きな理由も改めて②として書ければいいなあとも思います……。

おまけ

 水戸市のこの時期といえば、偕楽園の梅まつりです。
 偕楽園までは美術館から20~30分ほどで行けるので、千波湖をぐるっと半周してそちらも行ってきました。
 まだ2月末でまだ咲いていない株も多くありましたが、様々な品種を楽しめました。どこかで見聞きした気がするのですが、梅は満開より蕾が残っている時期の方が美しいとか(印象に残っているのですが出展が全く思い出せず。)。御舟展に行かれた方はこちらもぜひ。
 ちなみに御舟展は冒頭に梅を描いた作品が展示されていますが、これも茨城ならではで粋です。

 簡潔にまとめきれず長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
 ②としてまたあれこれ書いてみましたので、よろしければそちらも読んでいただけますと嬉しいです。

ひときわ鮮やかだった八重寒紅
花弁にうっすら黄色味を帯びた品種「月影」 いい名前


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