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「小林古径と速水御舟」展(山種美術館)を観て

 山種美術館にて開催中の「小林古径 生誕140年記念 小林古径と速水御舟」を観た。副題は「画壇を揺るがした二人の天才」。
 好きな画家は誰か?と聞かれたらこの2人だけ名前が出てくる私にとっては、この展示は見逃すことはできない。(ヘッダーは小林古径《弥勒》(部分)(1933年)、山種美術館。)

小林古径と速水御舟

 どちらも高名な日本画家であるのだが、なぜ古径と御舟が特集されたのか?というと、実はこの2人、11歳という歳の差がありながら互いを尊敬しあういわば親友のような間柄だったからである。
 御舟の兄弟子であった今村紫紅を介して出会った2人は、お互いの作品や制作にかける姿勢に感銘を受け終生切磋琢磨していた。(全くの余談だが、小林古径はなぜかさん付けで呼びたくなる。古径さん。)

2人の作品を並べて観る贅沢

 この展示では2人の作品がおおむね交互に配置されている。旅行にも一緒に出かけるような親しさではあったが、決して画風が似通ってはいない。写生を根幹としつつ鮮やかに画風を変化させていった御舟に対し、古径さんも表現の変遷はあるものの、その作品の多くには美しい線描がある。
 会場後半の方に並んで展示されていた2人の《鶴》などは続けて観ると面白い。御舟の方は輪郭を線で強調せずモノクロームの画面で羽毛の立体感を表出しようと試み、古径さんは肥痩のない線描を用い、簡潔で静謐ながら確かな存在感を出している。

 あくまで素人の感想なのだが、御舟の作品はたとえ色紙大の商品であっても、作品に対する執念のようなものを感じる。揺るぎない実感と、ときに生々しいほどの迫力を持っている。対して古径さんの作品は、水を打ったかのような静かで独特の雰囲気がある。繊細でもありながら揺るぎない線描が、周りの空気まで澄ませてしまうかのようだ。極めて高い技術で単純化されたものには独特の美しさがあると思うが、これは古代エジプト美術なんかにも通じる部分があるのではないだろうか。私はそんな古径さんの作品がとても好きなのである。

個人的ハイライト

 見どころの多い本展だが、個人的に好きな作品を何点かピックアップしてみる。
 まず御舟から、翠苔緑芝すいたいりょくし。御舟の屏風絵といえば重要文化財の《名樹散椿めいじゅちりつばき》の方が有名だが、個人的にはこちらの方が好き。俵屋宗達などを意識下であろう芝や苔の形態や、あえてひび割れを生じさせた紫陽花の表現、工夫が随所に感じられる。いつ観ても新鮮な驚きを感じさせてくれる。
 次に、《桔梗》。古径も模写をしたという作品で、草や葉には彩色を施し、花弁を墨で描いている。湿潤な水墨で描かれた桔梗には瑞々しさと涼やかさがある。
 最後に、言わずもがなではあるが重要文化財の《炎舞》。茨城県美術館の「速水御舟展」、東京国立近代美術館の「重要文化財の秘密」展では出品されていなかったので、「観たかったのに…」と思っていた方はこの機会にぜひ。山種美術館には《炎舞》を展示するための小展示室があり、最高の状態で堪能できる。

 続いて古径さんの極楽井ごくらくのい。女性たちの装束が華やかながら、画面が清潔な上品さで満ちている。盟友の安田靫彦は、「古径芸術はこの作品で八分通り出来上がった」と評したらしい。残念ながら展示替えで後期には出ないが、代わりに出湯いでゆという作品が出る。こちらもモチーフは違うものの素晴らしい代表作。
 娘をモデルにした《琴》には、ひとつひとつのモチーフの謹直な描写だけでなく、娘への優しい愛情が見て取れる。油絵のような写実性はないが、古径さんの描く人物には不思議と生命感がある。
 そして、一押しが「安珍清姫伝説」を基にした8点1組の《清姫》という作品。もとはかなりドロドロした愛憎劇なのだが、古径が描くとこんなにも儚げに、静かな憂いを帯びた作品になるのか……と感じさせる。重要文化財になっている村上華岳の《日高河清姫図》をはじめ、悲劇性や清姫の苛烈さが強調されることが多いようだが、古径さんの選んだ表現は無二のものだと思う。ぜひ実物を会場で多くの人に観ていただきたい。


古径と御舟の関係

 お互いの創作に対する姿勢に共感をし、歳が離れていながら尊敬し合っていたという2人。御舟は晩年、創作に専念するために伊豆の山に籠る計画をしていたが、そのとき義兄に「小林さんのような心構えのできた人ならどんなところにいてもいいだろうが……」ということを語っていたというし、古径さん(と安田靫彦)は普段他人の作品の箱書(作家の真筆として箱に題などを記すこと)はしないところ、「速水くんの作品をじっくり観られるから」と御舟の作品については引き受けたという。
 
 また、個人的に好きな2人のエピソード。御舟が徹底した細密描写に没頭し、「悪写実」と酷評された《京の舞妓》を制作した際、再興院展の創設メンバーにして審査員の横山大観が激怒し、御舟を除名するとまで言い出した。それを思いとどまらせたのは靫彦の「御舟を除名すると古径もいなくなりますよ」という言葉だったらしい。御舟がまだ若い頃から2人のあいだに信頼関係があったことを窺わせてくれる。

 11歳も年少だった御舟が早逝した一方、古径は戦後も活躍し、東京美術学校(東京藝術大学)で後進の指導にもあたった。晩年にはパーキンソン病も患いながらの制作だったという。
 身近にパーキンソン病持ちの人がいる私はこの病気を多少知っているが、迷いのない線描を追求した画家の手が、随意に動かせず震えるようになったときの絶望は想像を絶するものだっただろう。それでも古径さんは震える手で、「修行僧のような」とも評された態度で制作を続けたそうである。

 2人の近代日本画の巨匠を味わえる展覧会、会期は7月半ばまで。
 図版が全然ない文字ばかりの記事になってしまったが、こちらで取り上げた作品の画像は山種美術館のウェブサイトやSNSでも紹介をされている。ここまで読んでくれた方がそちらをチェックして、もし足を運んでいただけたり、この2人の画家に興味を持ってくれたら嬉しい限りである。


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