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わたしが日本語教師になるまで #1

2024年4月吉日、晴れて講師デビュー、記念すべき最初の一週間を終えました!!
検定の勉強を始めてからでいうと、ちょうど2年です。良いタイミングなので、足跡を振り返っておきたいと思います。

▼ ざっとこんな流れで、時間軸を遡っていきます!

#1:前職を辞めてから学校選び、採用まで ←いまここ
#2:検定受検からボラ参加、講師を目指すと決めるまで
#3:それまでのキャリアと、検定の勉強を始めたきっかけ
#4:日本語教育専攻が選択肢にあった、10代の頃のこと


勤めていた会社を、ゆるやかに辞める

わたしは昨年(2023年)の12月まで、一般企業で会社員をしていました。12月末で辞めたのは、4月勤務開始をターゲットに、1〜3月は学校選びと選考準備に専念しようと思ったからです。検定合格のみで養成講座を受けておらず、模擬授業はもちろん、教案も書いたことがありませんでした。

未経験から専任を受ける度胸はなく、非常勤一択なのですが、本当に正直な話、非常勤でフル稼働しても会社員時代の年収の半分にもならないのが現実です。兼業必至なので、その慣らし期間も兼ねた3ヶ月間でした。

兼業先のひとつは、12月まで働いていた会社との業務委託契約。わりとふつうに元社員が業務委託で働いている部署なので、すんなり話がまとまり、今も引き続き仕事をさせてもらっています。副業禁止の制約がある正社員の立場だけを辞め、日本語教師のほうを本業に、会社の仕事のほうを副業にしたわけです。

元社員だからといって高待遇でもないですが、慣れ親しんだ環境で、わかっている業務を、裁量を持って任せてもらえるメリットは大きい。もうひとつ全く別のところから新しく紹介いただいた仕事もお受けしましたが、残念ながらこちらは上手く立ち上げられませんでした。元の会社から仕事をもらうのは、リスクヘッジの良い選択だったと思います。

告示校には適応できないと思った

1月時点では、登録日本語教員経過措置のE-2ルートを考えていたので、告示校の中で合いそうなところを探し、最低1年間働くつもりでした。1月下旬頃から合同説明会に出て4〜5校ほど話を聞きましたが、実際に話を聞くにしたがい、「この方向性では無理かも」と思うようになりました。

国内の一般的な日本語学校は、ビジネスの世界で長らく働いてから職種未経験で入るには、正直難しい環境だと感じました。結論だけ言うと、新人に裁量の幅がなさすぎることが一番かなと思います。もし20代の初々しいメンタリティだったら、ぜひ受けてみたいと思った学校はいくつかありました。

登録日本語教員よりも大切なこと

そこで改めて考えました。経過措置は5年間あるわけで、令和10年度までのどこかのタイミングで告示校勤務1年間を満たせばよく、別に最初から告示校に入らなくてもいいんじゃないのと。

それに、いま制度外の学校が今後認定対象になる可能性は大いにあるわけで、差し当たり第一には、自分に合った環境で経験値を積む。職種未経験のラベルを剥がし、日本語教師として何かしらの強みをつくる。プライオリティをここだけに絞って、告示校以外の求人を見直しました。

そして3校エントリーした結果、一番早く選考が進んだのが4月からの勤務校です。グローバルの語学学校の日本拠点で、CEFRベースのカリキュラム、教科書は「まるごと」。一見すると英語力が必要そうですが、よく条件を読むと日常会話レベルで良かった。英語苦手民なので、ハードルが大幅に下がりました。

希望が叶う場所が、ちゃんと見つかった

短期留学生に特化しており、日本語学校であると同時に、旅行・観光サービスの側面も兼ね備えている。企業の性格を強く持った組織だというところ、そして「負をなくす」仕事よりも、喜びをさらに大きくする仕事のほうにやりがいを感じる、自分の性格にも合っていると思いました。

「日本語教師」という職種が未経験なのは変え難い事実ですが、20年近い社会人経験、培ってきた考え方や価値観をリセットして再インストールするのは結構しんどいというか、おそらくどこかで無理が起こる。模擬授業さえしっかり準備すれば選考には通るでしょうけど、持続可能じゃないなと思う。

かくして、内定をいただいてから2ヶ月ほど経ちました。その間にも「これまでの人生は、どこをとっても今につながっているなあ」と感じる場面が何度もありました。学校を選ぶプロセスで、自分自身のコアの部分が明瞭になり、それが満たせることで、明日も良いクラスにしたい、明後日も、来週もと、ポジティブな循環ができていく実感があります。

というわけで、これまでの人生が今にどうつながったのか、時間を遡りながら続けます。

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