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デジタルでもアルバムはエモーショナル

先日、新幹線での移動時間にふと思い立って、スマホのアルバムの整理をした。

私がスマホを持ったのは中学校を卒業するとき。
10年以上の思い出がデータに入っている。

中には今はもう必要じゃない写真(ネットショッピングの注文番号のスクショや学校の課題の内容をメモ代わりに撮影したもの)や連写して同じような写真が何枚もあるもの、ダブって登録されているものがあったので、それらを消してスマホを少しでも軽くしようと思ったのだ。


一番古い写真まで遡って、そこから1枚ずつ見ていく。

高校の頃は友達とふざけてよく写真を撮りあった。今はもう連絡を取り合っていない友達だけど、懐かしくてなんだか消せなかった。

大学のサークルの写真はどれを見ても懐かしい。
初々しい18の私。まだ高校生みたいに見えた。

ごはんの写真が増え始めたのは、多分Instagramを始めた頃。ごはんの写真だけで、誰とどこに行ったか思い出せた。

亡くなったおじいちゃんがまだ存命だったときに一緒に撮ったものも出てきた。じいちゃん、いい笑顔だなあ。

帰省の度に撮りまくる実家の犬の写真は、なぜか1枚も消せなかった。わんこ、まだ元気に生きてるけど。

夫(当時の彼氏)の写真が増えて、付き合い始めたんだなとわかる。当時は些細なことでカメラを向け合っていたから、変な写真ばっかり残っている。背景に写る、私が初めて一人暮らしをした部屋も懐かしい。

大学の卒業式を経て、社会人。
プライベートの写真しか残っていないけれど、自分にとってどんな時期だったかはありありと思い出せた。
この頃は療養休暇もらって実家にいたな。
これは初めて担任した子たちの卒業式にもらった花束。粋なことをしてくれちゃって。

この頃は仕事を辞めていっぱい遊んでいた時期だ。めちゃめちゃディズニーに行っている。楽しかったなぁ。

そして、結婚指輪の写真とフォトウエディングの写真。
結婚したのが随分昔のように感じた。

ここに来てから撮った写真も結構ある。新婚旅行の写真はもちろん、週末にいろんなところに行った記録が全部残っていた。

そして、今日の写真まで戻ってきた。


実体があるわけではないけれど、このスマホには確かに私の10年分の人生が詰まっていた。
私が生きてきた証が詰まっていると言っても過言ではない。

「今、アルバム整理してたんだけど、なんだかとてもエモい。」
新幹線の横に座る夫にささやく。
「デジタルでもアルバムはエモいんだね。」
夫がささやき返してきた。

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