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中央大学大学時代をふりかえる(4)

どうも。MOCCHYです。
 
今年は社会人になって一番チャレンジが多い年にしています。
 
自己投資と称して新しい資格の修得。
 
NOTE&YOUTUBEなどの発信活動。
 
そして、ケガで休部していたアメリカンフットボールへの復帰。
 
どれも自分からやっていますが、

「つづけたもん勝ち」の精神で残りも3か月駆け抜けます。

YouTubeみたい方は↓からどうぞ♪

さて、そのアメフトの試合で大阪まで遠征して、大敗しました。
数字を見ても、内容をみてもぼろ負け。

はっきり言ってチームの雰囲気はよくないですよね。

でも、ここからだと思うんです!
 
ミーティングでディフェンスコーディネーターも言ってましたが、

「他責にするんじゃなくて、自責」でゼロからしっかり取り組もうと。。。
 
そんなミーティング時間を過ごしながら、
 
僕をネガティブボーイからポジティブボーイに変えてくれた、中央大学のディフェンスコーディネーターの話を思い出す。
 
「オフェンスが点とれないんなら、ディフェンスが0点に抑えて、ディフェンスで点とって勝てばいいじゃん」
 
プレーコールうんぬんの話になった時、

「そういうんじゃないんだよね。プレーコールで勝とうする時点で、負けスタート。プレーコールじゃなくて、気持ち。まずは自分のパートをやり切って、トイ面に勝つ」
 
「心の瞬発力!普段から言いたい思ったことを言えないやつが、大事な時に、好きな人に気持ち伝えられるわけがない。そんなやつにチャンスはつかめない。普段から思ったら伝える、やりたいと思ったらやる、勝ちたいなら、勝つための行動しよう」
 
と言ってたなと
 
当時の記憶が甦ってきます。

 
とういうことで 中央大学時代を振り返る(3)2年生秋編 スタート!
 

~夏前~


 
絶賛ネガティブキャンペーン中だった僕は、何かとチームの決まりや練習内容にブーブー言っていた。
 
「頑張る姿をみせることがダサい」みたいなしょうもない精神で

本当は一生懸命やっているのに、できなかった時の保険をはっていただけ。
 
しかしながら、スーパーアスリートでもない僕はただただ練習した。
 
今思えばもっと時間を有効活用出来たかなと反省しつつ、

ただ努力の方向は間違ってなかったはずと自分を受け入れる。

DBにコンバートした後は、スーパーアスリートO竹さんに弟子入りして、タックル、ヒット、アフター全部を真似して一緒にやった。

このあたりから僕のタックルやプレースタイルは確立され始めた。


夏合宿


中央大学の夏合宿は

午前中がフィジカル、ポジション別などのスキル練習、午後がスクリメージやキッキングだった。
 
虚弱体質な僕は(体重は75キロ、脂肪率は14%前後、スクワットは150キロ、ベンチプレスは100キロに到達しないぐらい)ケガ知らずだったので、すべての練習に参加。
 
そして、まだまだ昭和気質の強かった当時の中央大学アメフト部。
 
「お前、2年になって調子に乗っっちゃてんの?。。。やんないの?さみしいね」とヘッドコーチ(恩師の一人)に聞かれた僕は
 
「やります!」と。(決してやらされてない(笑)

乗せられやすい僕はウォームアップのアジリティというものをみんなの倍やった。
 
ポジション別で6列あるので、1列目と4列目に参加みたいな感じで、ウォームアップの時点でみんな二倍走る。

10ヤードのところを20ヤード駆け抜ける。

それに加えて
 
当時のディフェンスコーディネーター(Sさん)に
 
「どうやったら足が強くなりますか?」
 
「ん?これを毎日3セット!」
*これとはスクワットボトムキープ
 
素直な僕は次の日から毎日60秒3セット。最終的には90秒を3セット、毎日やった。
 
そんなことしてるうちに暑い夏が終わり、秋のシーズンが始まった。
 

 2011年秋リーグ


2011年のリーグは
法政大学、中央大学、慶応義塾大学、立教大学、東京大学、一橋大学、神奈川大学、拓殖大学と同じだった。
 
拓殖大学にはえげつないアスリートのQBが居たのでしっかり準備。
 
東京大学には前年に足をすくわれたので入念に準備。
 
立教大学は、、、覚えてない。

唯一覚えているのは、僕がタックルしたとき、相手の足元へいったため、相手が一回転して、会場がざわついたくらい。
だが、ビデオなきいまそれを証明するものはない。

 
シーズンが進みにつれて僕の出場機会は減っていく。それもそうか、相手も強くなってるし、、、
 
最終戦の法政大学戦には前半のみ出場。
 
最大見せ場は、QB(クオーターバック)が走った時に、タックルをかまして、ボールをファンブルさせたこと。

結果としてQBみずからボールを確保したので、特にビックプレーでもなにもなったが、

記憶の中のベストプレー。

ちなみに師匠のO竹氏はG前でインターしてたし、
DBユニットは合計3つのボールを持ってきた。
 
しかしながら、G前ボールオン6ヤードを決めきれずに、
試合には13-6ぐらいで負けた。

6勝1敗 関東1部Bブロック2位という結果でシーズンは終了。

大好きな2個上の先輩達とのシーズンは嵐のように過ぎ去った。

僕は

いきのいい2年生

いい意味で自分のことだけを考えて、のびのびプレーしていた。

シーズン後


新チームが始まり、

新キャプテンDさんと僕と堀内(同期)と3人でミーティングをした。

ネガティブキャンペーン中の僕はいろいろな面からチームの取り組みなどを批判しまくった。

Dさん「で、もっちーはスターターでもないし、何してたの?」

「あ、、、、」

堀内 「持田は本当に口だけで何もしてないんだよなぁ(笑)」

初めて自分の他人からの評価を聞いて衝撃を受けた。

「俺ってそう思われてるのか。。。口だけやん。。」

ちーん。


以上、ネガティブMOCCHY少年が現実に気づいた2年生秋シーズンでした。





 
 

 
 
 
 
 
お前、なんにもしてなくね? 持田は口だけなんだよなぁ


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