My Credo (わたしの履歴書)②

リッツカールトンホテルは、今日でこそ「クレド」や「ゴールドスタンダート」をマネジメントに積極的に取り入れることで有名ですが、2004年の当社創業の当時は経営、人事に携わる一部のビジネスマンにしか認知されていない状態でした。

当然ながら私も「クレド」という存在は知っていても、その存在意義を深く考えることもなく「理念をカードに示したもの」程度の理解でした。

それは2002年だったと覚えていますが、私は独立前に勤務していたコンサルティングファーム(日本経営合理化協会 JMCA)で研修、講演の企画なども担当。ホテルや研修会場で、年間何十回もそれらの運営に立ち会い、高い演出効果、講師や参加者のスムーズな参加意識の向上など図り参加者に有意義な時間を過ごしてもらう対策を講じるのは手慣れたものでした。

その日、ある有名な講師の講演会を行うために大阪リッツカールトン会議ルームを利用することになりました。年間何十回も講演会や研修を企画し、その運営に慣れ「プロ」を自覚している私でしたので、開始前にいつも通りホテルのスタッフに向かいデスクの配置や講演台の位置など指示し始めました。

ところが一人のホテルスタッフが、そんな指示をだしている私の所に歩を進めて来て、次のように告げて来るのです。「吉田さん、講師の立たれる位置はもっとこちらの方が参加者にとっては都合がいいと思います」「参加者の導線は休憩や退出のことを考えるとレイアウトを変更すべきです」「休憩時のアナウンスや演出は、こうしましょう」…云云と。

これまでの経験で、このような指示を私に出すホテルスタッフなど皆無でしたので、わたしはビックリして、このホテルマンは何を言っているのか俄かに受け入れ難く唖然とした覚えがあります。

講演会終了後

それでも彼の提案をほぼ受け入れた私は講演会が終わって、自分のプロフェッショナルと感じていた価値観が見事に打ち砕かれ、たかがデスクレイアウトでも演出や効率に大きな発揮することをまざまざと見せつけらたことに気づいたのでした。

それほど完成度の高い講演会になったのです。高名な講師は「良い会場というだけでなく、何だか講義がしやすかった」とまで告げられ会場を後にされました。

私に提案をしたそのスタッフ、ネームプレートには「高橋」と書かれていたそのスタッフに軽い嫉妬と敗北感すら感じて、私は参加者がいなくなった会場で彼に御礼と「ところで、何故あなたはこのような指示が出せるのか?そこまで面倒な役割は、あなた達ホテルスタッフには求められていないでは?」と半ば詰(なじ)るように問いかけました。

すると、高橋氏は胸のポケットからカードを出して「私達にはコレがあるのです」と見せてくれたのがクレドカードでした。私が現物を初めて見た瞬間であり、まさに”雷が落ちた”という表現がピッタリの全身に電流が走った瞬間でした。

その瞬間に私は、前号で書いた”多くの経営者が課題としている”自ら考えて動く従業員、しかも顧客の価値を高めることを愉しんでさえいる従業員を作るマネジメントツールが「クレド」であることを瞬時に理解し、このクレドを学び社会に広める決心をしたのです。2002年のことでした。




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