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【若者駆動型社会へ】自己紹介 vol.7 吉田賢

初めまして、東京大学2年の吉田賢と申します。今回は私の簡単な自己紹介と普段考えていることを書いてみたいと思います。

自己紹介 

  • 宮城県仙台市出身(20)

  • 東京大学工学部システム創成学科Cコース2年

  • TEDxUTokyo実行委員会 に所属。北米発のプレゼンテーションイベントであるTEDを東大で年2回開催し、組織内ではPartner(渉外局)及びBranding(広報局)で活動。

  • 東大発の教育支援NPO法人FOS にて東大支部長を担当。年間約60校の全国の中高と東大キャンパスツアーや模擬授業体験を企画・実施。また、不登校支援やプログラミング教室、地方自治体の教育支援案件などを実施。

  • 東京大学Diligent に所属。今年6月に東大OBOGと現役東大生の大規模交流会を本郷キャンパスで実施すべく、企画等を担当。

  • SusHi Tech Tokyo 2024 の運営(学生コアメンバー)として、学生主体のセッションの企画・運営及びオフィシャルサイドイベントの企画・運営

  • 2022年12月にアロマテラピー検定1級を取得

私が普段考えていること

フランスの画家ポール・ゴーギャンの絵画に「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というものがあります。私は中学2年の時に初めてこの絵画を見て、非常に感動した記憶があります。


ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 (1897)

これだけ人類が高度な文明を築き、あらゆる叡智を結集させたとしても、自らの出自すら確かではない。さらに言えば、自分が一体何者なのか、どんな性質を持った物体なのかすら知らない。どこまで行っても、人類はあまりに無知である、その無力さを痛感した瞬間でした。

しかし、考えてみるとそれは至極当たり前の話であるということにすぐ気づきます。仮に人類が全世界の現象や知識を漏れなく記述できた時、それは世界の終焉を意味するでしょう。かつて理論物理学の発展が原子爆弾製造に転用された歴史があるように、一度得た知識は瞬く間に一部の人間によって悪用され、短期的な私欲を満たすために使われてしまいます。

世界はある種の「あいまいさ」を有しているが故に、その存在が保証されているとも言えます。

人類が「学ぶ」意味はどこにあるのか

「あいまいさ」を残したこの世界に対して、我々人類ができる唯一のことは、「世の中の真実と思われること」を限りなく多く、正確に記述することです。これが所謂「学び」です。人類は「真実と思われること」を追求し、うまく利用しながらこれまで繁栄してきました。「真実と思われること」への漸近的アプローチは、我々に残された唯一の仕事なのです。

考えてみれば、世の中に存在するあらゆる学問は、皆すべからく「人類とは何か」という問いに迫る一種のアプローチだとも考えられます。例えば、医学はわかりやすい例です。医学の研究によって、人体とは何か・人体の性質を記述することで、問いに正面から挑んでいます。ロボットの研究開発も好例です。ロボットという擬似的な人体を作り出し、その細かな挙動を人間に似せていくことで、逆に人間の真の姿に対するインサイトを得ることができる。

人間の「学ぶ」意味は、究極的に言えば、かのゴーギャンが言った「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いへの解を導くことに他ならないのです。

つまりお前は何がしたいんだ

それっぽいことをつらつらと書いてしまった感がありますが、結局のところ、僕が自分のわずか100年ほどのちっぽけな人生をかけて取り組みたい問いは、「私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか」ということです。

専攻の選択、受験、就職活動など、人生の重要局面では「私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか」という問いに皆誰しもぶち当たります。履歴書を書いたり、自分の夢を語るのは、そう言った問いの出力にあたります。

いろんな場所でいろんな人と出会い、いろんな経験を重ねていく中で、自分の一生を捧げて、「私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか」という問いに暫定解を得ることが私の夢です。

若者駆動型社会の実現へ

私の夢を実現するために、達成したい小目標が「若者駆動型社会の実現」です。(あまりこのようなくくり方は好きではありませんが、あえて言うと)「Z世代」と呼ばれる人々は、やや特殊な性格を帯びていて、中には旧来の枠組みにとらわれない自由なアイデアを持つ方も多いと感じます。デジタルネイティブの我々は、あらゆる情報に簡単にアクセスできて、今まで一生かけても出会えなかった人や情報もほんの数秒で知り得てしまうという特異な状況に置かれていると言えます。

そういったアイデアを世の中に解き放った時、社会はどのような反応を示すのか。

若者は資金面や経験値では弱いことは確かであるが、もし仮に資金やノウハウ量などの諸条件を与えたら、社会はどんな反応をするのか。

(我々Japan X Collegeの掲げる問いでもある、)「お金に表すことのできない価値を若者が解き放つと、社会はどうなるだろうか。」

この問いを考えるために、私は「何者でもない、アイデアしか持たない若者が様々な大人の協力を得て、社会に変化を起こす」取り組みをどんどん行っていきたい!と考えています。実際、私が冒頭に述べた学生団体・NPOでの活動は、まさに「何者でもない、アイデアしか持たない若者が様々な大人の協力を得て、社会に変化を起こす」取り組みに他なりません。

自分が若者と大人の架け橋となり、若者の計り知れない価値を社会に提供していく。いわば「若者駆動型社会」の実現に向けて、これからも活動していきたいと思っています。よろしくお願いします!!



本記事はJapanXCollegeの吉田賢が執筆いたしました。
JXCは変動する社会の中で何が大切なのかを探し求めます。
note記事をまとめた本を出版する予定です。ただ本を出版するだけではなく、手にとって共感した読者が執筆側にまわり、価値を広めることや、ネクストアクションに実際に貢献できるようなエコシステムにしていく計画です。
メンバー参加申請やお問合せはこちら:japanxcollege@gmail.com
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