【自分の色とは】 自己紹介 vol.4 Yoyo 2024/1/5
初めまして、Yoyoと申します。年が明けましたね。今年もよろしくお願いします。
今回は私の簡単な自己紹介をさせていただきます。
簡単な経歴
0-5(歳) パキスタン, 6-10 アメリカ、12-18 北海道(寮生活)、18- 東京(寮生活) とちょっと変わったバックグラウンドを持ってます。まだ人生の中で海外で過ごした時間の方が長いです。現在は、東京の国際寮で過ごし、留学生をはじめとする様々な方と楽しく生活させてもらっています。
趣味
趣味は写真です。人生における瞬間を切り取り、ずっと残せるのが好きだからです。よく写真を見返して、その時の気持ちを思い出します
場の雰囲気を楽しむのも好きで、上京してからはおしゃれな建物やカフェによく遊びに行ってます。一人でよく行くので、一緒に楽しめる友達も早く作りたいです笑
また、アニメもよく見るのですが、人生で見た作品の中で一番好きな作品は進撃の巨人です。この後の章で紹介する、”当たり前なんてない”ということを教えてくれる、見かけによらないディープすぎる名作です。
私の哲学
大学入学後、自由になった反面できることが増えすぎて、まずは自分が何をしたいのかを考えなければならなくなりました。そこで、自分が最も幸せを感じる瞬間をずっと(半年くらい)考えていた結果、自分は感謝される時が一番嬉しい、ということがわかりました。感謝にも色々あると思うのですが、自分は広く浅くよりも、狭く深く感謝されたいです。
多くの人から慕われて有名になることより、自分がいなければ解決されなかったごく僅かな人からの、深い感謝の方が自分には響きます。
"当たり前"なんてない
0-5でパキスタン、6-10でアメリカの現地で過ごしたことを冒頭で述べさせていただいたと思うのですが、私はイスラム圏で人生最初の価値観(当たり前だと思うこと)を形成しました。想像に難くないと思いますが、周りの環境の当たり前が自分の当たり前になります。主食はナン、断食もメッカへの礼拝も身近なものでした。
そしてその”当たり前”を持った状態で、今度はアメリカの現地校へいきなり飛び込み、全く異なる価値観に触れました。フォークとナイフで食べる(↔︎手で食べるのは下劣)との風習、毎朝教室にある星条旗に向かっての国歌斉唱(↔︎メッカへの礼拝)、アメリカこそが正義であり世界の中心(↔︎同時多発テロのイメージよりイスラム圏はテロリスト集団だと決めつける人々)、などなど。小一の自分には大きすぎる衝撃の連続で、その新しい価値観を時間と共に受け入れていくと同時に、それまでに自分の中にあった価値観が崩れていきました。
普遍的だと思いがちな”当たり前”も、ただその地域、時代、周りにいる人によって形成された価値観に過ぎないんだ、と感じるようになりました。自分ではコントロールが中々できない“環境”によって、色に染められていくんだと。(余談なんですが、自分は博物館などで昔の手紙や写真などを見ることが好きです。理由は、資料を通して時空を超えて当時の当たり前を感じることができ、今の当たり前を相対的に客観視できるからです)
そして自分は何か一つの軸、思想、慣習を信じる、ということができなくなってしまいました。どこかに変に偏ってしまうのでは、と恐れたからです。
しかし、中学の頃くらいから、たとえそれが真実ではないとしても、何かを絶対的に正しいと信じ込めている人(どの宗教信者の方でも、思想家の方でも、信念がある人でも)の方が、幸せそうだし意思決定も速く、何かといいことが多いのでは、と自分に問うようになりました。
自分は何かを考えるときに、(当たり前を信じたくないので)前提条件から考え直してしまったり、君は何がしたいの? と聞かれた時に、心の底からこれがしたいと思えるものが特にない状態になっていました。ぷかぷかしてしまっており、何色にも染まってないのが逆に不安になりました。中高時代、自分の中での最大の悩みでした。
そして、今ではこの悩みは解決されました。
自分の色とは
結論として、二つあります。
①まず、何かの軸、思想にとらわれないで ぷかぷかしているのも実は一つの色だということです。これは、周りの価値観が異なる方と関わる中で気づきました。自分みたいな見方ができる人は、何かにだけ染まっていないからこそ、偏った見方をすることも少ないと思いますし、価値観の違う相手に共感することができます。
偏りに関してですが、まだ意思などを持っていない頃に、その”環境”にいたから抱くようになった価値観、色に染まっているだけよりも、
ある程度知識や経験をつけた、けれどもまだ染まりきれてない今の状態の方が、より落ち着いて物事を見れ、表面的なものごとや価値観に流されにくいと思います。
共感に関しては、同一の価値観で動くコミュニティの中にいると気づくのが難しく恩恵を享受しずらいですが、文化の違う異国の方や、日本でも世代が違かったり生きている世界、価値観の違う方と関わる時に本領を発揮すると思います。
たとえば、集団の中で意思決定をするとき、その決定で必ず喜ぶ人と嫌な思いをする人がいると思いますが、見過ごしがちなネガティブに思う側にも共感できることで、そのケアなどに働きかけることができたり、結果的に意思決定を円滑に進めることができたりします。
役に立つ場面は価値観の異なる人々と関わるようになれば多々あります。そして、これはとても大切な力です。
②もう一つ。色に染まってないと思っていた自分は、周りから見ると 実は既に色に染まっており、それに自分で気づけていなかっただけ、ということです。
メタ認知(自分の感じている、考えていることを客観的に把握すること)ができていませんでした。
メタ認知は、
1.どういう時にどう感じるか、自分に問い続けること
2.そして他者と関わること
を通してだんだん紐解いていけると思います。
自分の場合だと、親友との対話の中で「どういう時に自分は一番幸せを感じるか」という感情ベースの問いを通じて、自分の価値観の一部を見つけることができました。他にも、どういう時に一番驚くか、悲しいかなどたくさんあります。
他者との関わりでいうと、心の許せる仲間との議論、家族や恋人との生活など、ある程度同質の人との関わりの深さ、そして異文化や異世代などで、価値観の異なる人とは関わりの多さが大切だと感じています。一見些細にみえるこのような行為全てが、自分を客観視し、色に気づくためには重要です。
そして、その一貫として自分は様々な価値観に晒されるためにこのJapan x College のメンバーに加わりました。自分は提供者でありながら、受容者(参加者)でもあるわけです。これからも、経験や知識を元に考え、実際に行動して自分の中の価値観を紐解いていきたいと思います。
読者の皆さんも意識的に、自分のことを感情ベースで見つめ直してみたり、他者との深い関わりを通し、自分の色を客観視、ないし発見してみてはいかがでしょうか?(Xをはじめとするsnsや所属コミュニティでは、ある程度自分と同じ思想の持ち主ばかりで、触れる考えが偏ってしまいますよね。広義で他者との関わりに含まれますが、本屋さんなどは、様々な思想や価値観が文字となって集まっており、普段訪れないコーナーに立ち寄る、という行為をもって普段触れない考えに触れることができるので、これもおすすめです。)noteでも新しい価値観にたくさん触れることができると思います。
こんな長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いします!
本記事はJapanXCollegeのYoyoが執筆いたしました。
JXCは変動する社会の中で何が大切なのかを探し求めます。
note記事をまとめた本を出版する予定です。ただ本を出版するだけではなく、手にとって共感した読者が執筆側にまわり、価値を広めることや、ネクストアクションに実際に貢献できるようなエコシステムにしていく計画です。
メンバー参加申請やお問合せはこちら:japanxcollege@gmail.com
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