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ワクチンは万能ではないし、副作用でいのちを失う子どももいます。新型コロナウイルスワクチンが待望されているなかで。


効果や安全性に議論がある新型コロナウイルスワクチン。しかし、待望論の前に、立ち止まることが許されない空気があります。

予防という名のもとに、また多くの人の命と健康を守るために犠牲になった人をご存知でしょうか。ワクチンが残酷なのは、大人がそれを選択したという事実が残ることです。そして、少数者の悲劇として忘れ去られることです。

ワクチンの恩恵を受ける多くの人や、推奨する人は、ワクチン被害についてもっと目を向けるべきではないでしょうか。

さらに、ワクチン接種が親の責任なら、その中身について少しはわかっていなくはなりません。食や水には慎重により安全なものを与えたいと親の多くは思います。ワクチンと子どもの将来の健康について考えるヒントになる本をご紹介します。

「日本のワクチンとワクチン禍」と題した年譜原稿が、編集部の保管本から出てきました。

予防接種禍年譜吉原

この原稿を書いたのは、『ち・お』111号でインタビューに答えていただいた吉原賢二さんです。1962年にインフルエンザワクチンを接種したまだ幼かった次男・充さんは重度障害を負うことになります。化学者でもあった吉原さんは、国内外のワクチン禍の実態把握に乗り出します。

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ご著書は長く多くの方に読み継がれています。

『ち・お』No.111の吉原さんの言葉のほんの一部を転載します。

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「亡くなった充(つとむ)の祭壇です。2000年6月、36歳でこの世を去りましたので、額装の写真は亡くなる10年くらい前、25,6歳のころです。

彼の魂の裏のほうまではわからないけれど、おだやかに過ごしていましたね。深いブルーの油絵は、絵の好きな家内の兄が描いてくれたものです。

充は知能のほうは成長できませんで、学校も行かずに過ごしたのですが、成人の姿にしあげてくれました。(中略)

私どもは、充の笑顔を見て励まされているとなにかにつけ書いてきましたが、彼の悔しさを思うと残念の極みです。彼の生と死、それは親として生涯忘れることはできません。

亡くなって16年の月日が経ち、ふり返れば深い深い悲しみです。しかし、彼にはほんとうにいいものをもらった。思い切っていろいろなことをやらなくてはダメだと、私という人間を改造してくれたのだと思っています。」(『ち・お』No.111/Ⅱ章声なき声に耳を傾ける──終わりのない日々と裁判の経験から)






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