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空気

個人的に輪の空気が好きで、その中に嫌いがある話です。

何故なら、輪を通す事で個人が望んだとしても、
決してなし得ないだろうと思える皆と重なる望みを実現するから。
そのプロセスでの壁にも物怖じしない突貫力を生み出す。
皆と意識を共有する事で一個人では重かった腰も軽くなり、
踏み込む事が出来ずいた領域まで連れて行ってくれる。
それは超楽しいし、感謝し合える環境になる。

ただ、

輪の中で生まれた連帯感は時に、
一個人が保有する皆と被らない考え方や外の視点を否定する場合がある。
矢面に立つ者の後ろに続く者達の共感力が強い程、助長し個人の自立した意識ですら無意識に輪の空気から生まれた筋で価値観のメリットを優先し、現在のその人ら大半の歩みには触れないデメリットなら目を瞑れてしまうからなのかな。

その輪全体を魅力的と大切にし、先々においても盛り上げたいなら、
輪全体を多角的に見た良し悪しの認識、共有は必要だと思うが皆、

「考え過ぎだよ、悪い面は見ずポジティブに行こうよ!」
「現状、輪は盛り上がってるし楽しいじゃないか」

うーん、俺の頭がおかしいのか、そうじゃないと考えてしまうんだよね。
ポジティブな良い面は皆んなで伸ばしていこう!
本当にその通りだと思うし、極力良いムードだって壊したくない。
けど、悪しの部分を言及をしない事は解決・改善をする事へ極端に控えめでネガティブにも思えてしまう。
皆それなりの年齢だ。それがいずれ不文律になって尾を引いてしまう事は少なからず一度位は皆、経験して味わっているんじゃないか?

それを起因に良くない局面が来てしまった場合、
輪を引っ張ってきた矢面に立つ者だけに責任を背負わせてしまう気がするし、
今の内の対策であれば負荷は少なく済むと自分は何度か投げかけてきたつもりだ。
ただ、こちらが信用出来ないのか、傷付けない様にとの優しさや気遣いからなのかイエスノー、是非を問う話をすれば毎度、受け流され濁される。(※1)
その苛立ちから余計な愚痴や文句を言ってしまう自分の落ち度は確かにあった。
そこについては自分もしっかり反省しなければならない。
建設的な話が出来ると信頼して言っていた事は逆から見れば信頼出来ない自己都合の取るに足らない発言と疎まれていた様子。さらに愚痴を間接的に聴き、悪い心象を与えただろう。輪の中の他者へフラットに耳を傾けさせる程、必要とされる人間ではなかった。輪の中の一人だと思い込んだ自分は俯瞰的に見れば自信過剰で分を
弁えない奴といったとこだろう。愚痴を吐かず耐える事が出来なかった結果、信頼を失い蚊帳の外になってしまった自分の落ち度である。

それでも恩恵を貰うことだけが増え、
こちらが差し出すもの、支える部分が限定的というのも腑に落ち無かった。

今後、その点においては主体性を持たず、
いつでも相手の本心に耳を傾けれる余地だけは残していよう。
ただ、自分はそういったコミュニティーへ帰属出来ない人間だと自覚し、虎の威を借りる様な真似はせず、求められた時には応える様、心がける。

少し悲しいがその場で受け入れられる範囲の自分で楽しもうと思う。
それが他者にとっては害のない自分で居られる手段であり方便なのかも。



※1 私個人に心の不調があった為。
開示する事を躊躇ってはいたが皆の気遣いから、分かっていた方が心配・迷惑にならないとのことで輪の中の人間へは開示していたが、その分、こちらが何を言っても傷付けない様にとの配慮や発言自体が症状悪化の一部と認識され、"ハレモノ"としてまともに取り合って貰えていなかった可能性。




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