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仕事は自分を夢中にさせて満足させるもの?

著者Allie Beth Stuckeyはアメリカ人で、政治や時事ネタなどをクリスチャンの視点から評価する保守的なコメンテーターなどを務めています。

彼女がアメリカのメディアに出てくるまでには、紆余曲折あり、自分が信じていたものを崩されるものでした。

彼女は子供のころから両親の影響もあり、ビジネス本やモチベーションセミナーなどが身近でした。両親の影響もあり、彼女もいつか自身も起業家になってのビジネスを成功させると自然と思うようになりました。

そして、彼女は大学の卒業式で卒業生代表として、スピーチをまかされます。そこで彼女は「これを私のこれからの人生でしたい。」と思います。


その目標をむねに、彼女は卒業後、地元を離れ、新しい町でPRの仕事に就くのです。

彼女は「これは私にぴったりの仕事で数週間で慣れる。私の得意分野だから。」と思っていましたが、皆さんが経験するように、彼女はそこで多くの挫折、失敗を経験し、上司を落胆させるのでした。

「こんなはずではなかった。私はこの道で生きる。私は絶対に成功するの。そうきめたのに。」とAllieは落ち込みます。


彼女は気づくのです。

私は自分のタイミングでほしいもの手に入れる十分な資格のある存在で、成功を収めて、仕事で私は満足をえられると思い込んでいた。だって自分の人生だもん。でも、それは違う。たとえ自分の得意分野だっととしても、成功する資格があるわけではない。


世の中の自己啓発や自己肯定感を発信するSNSやブロガーたちはこう言います。

「人生で達成感を得るには、仕事に夢中になりそれに満足することだ。そのためには、自分が情熱をもてて、それに意味を見いだせて、収入を得られるものを見つけなければならない。」

「あなたはあなたの欲しいものを手に入れる価値がある存在なのよ!」

これはAllieが子どものときの影響を受けたビジネス本や、モチベーションセミナーと同じことを言っていることに気づきます。

つまり、この自己啓発や自己肯定感を上げるための発信をする人たちの投稿や本も、一時的に私たちの気持ちを励ましてくれます。が、現実に直面すると、自分を落ち込ませる原因になりかねないのです。そして、また彼らの発信に励まされたり、彼らの本を買い、現実に直面。おかしいこんなはずではない。

このループにはまり、私たちは満たされることはないのです。


Allieは続けます。「色々挫折を繰り返してきた。今でこそ、こうやって人前で自分の意見を話し、幸運にも自分の本まで執筆できている。今、私がしていることは自分が今までほしいと思っていたもの。すごく、光栄に思うし、感謝の気持ちでいっぱいなの。でも、まだ、私は満たされないの。この国のことで悩まされたり、この公の場に出るキャリアは価値があるのかとか、私たちのこの時代を特徴づけているような愚かさにものすごくがっかりさせられるの。」

聖書ではこうあります。

5主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。創世記2:15
17神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
18お前に対して
土は茨とあざみを生えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。
19お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」創世記3:17~19 


ここから言えるのは、人間は仕事をする運命にあるが、成功の保証はないのです。そして、人間は何かを生産するように造られており、給料のある仕事でも、ボランティアでも専業主婦(夫)であっても、自分の強みや才能、知識を世の中にささげるようになっています

各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。2コリントの信徒への手紙9:7

ここからわかるのは喜んで与える人でなければならないということです。そういう人を神は愛してくれます。


仕事は神様の栄光と私たちの幸福のために存在します。

神様は私たちの夢の仕事が成功すること、私たちが目標に到達するとは約束していません、その代わり 神様は私たちに神様に従うことそして私たちがいるどんな分野でも、喜びをもって与え、働くことを命じているのです。

それはもしかしたら、自分の夢の仕事かもしれませんし、そうでないかもしれません。

どちらにしても、私たちが務めているどんな役目も神様の栄光を称えるという目標を達成することができるというのは私たちに平安をもたらします。



なるほどーーーーーーーー!

私もクリスチャンではありますが、こんな風に考えたことはなかったです。

むしろ、神様に願えば時間はかかるけれども、自分にはできなくても、神様なら何でも叶えてくれるのではという考えの方が強く、そちらの方が希望を持てていました。しかし、最近の日本も英語圏の説教も教会のメンバーを増やすために、献金を増やすために、間違った説教をしていることもあると知ったので、それに私は影響されていたのかもしれません。


何をするにしても、それが有給・無給どちらにしても、役目をとおして、働かなければならない、喜びをもって与えなせればならない、そういう人を神様は愛してくれる。仕事や私自身が私を満たすわけではないと気づかされました。


皆さんにとって仕事とはなんでしょう?





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