かまいたち 漫才「タイムマシン」

結成年月:2004年5月
ボケ:山内健司(やまうちけんじ)
ツッコミ:濱家隆一(はまいえりゅういち)

概要:もしタイムマシンがあったら何がしたいかがテーマ。一般的な使い方を主張する濱家(ツッコミ)に対して、山内(ボケ)は一風変わった使い方を主張する。話が進むにつれ、風変わりな意見を述べていたはずの山内が話の主導権を握り、最終的に納得をさせられてしまう。


この漫才を初めて見たのは2018年M-1グランプリのファーストラウンド。後半になるにつれて2人のパワーバランスが徐々に変化していく様に驚愕したことを鮮明に覚えている。

かまいたちの漫才では、山内の持つ一見共感できない主張に沿って展開される形のものが多数存在する。それらの中でもこの漫才は、最終的にいわゆる一般的とされる意見がひっくり返される様が実に巧妙で、見ている側にも納得感や、心地良い敗北感というか、不思議な感覚が残る、私の中で特別な漫才。

様々な価値観が認められるべきという論が主張されるようになってきた今の時代においては、自分の意見を一般的なものと捉えていて、他人の主張に対してツッコミという名の否定ができる人間は、一番のボケなのかもしれない。そういう意味では、凝り固まった意見が全否定される時代は寂しい。ボケが否定させる風潮は堅苦しい。

さらに言えば、ツッコミの人間がいなければ、ボケの人間が持つオリジナリティが特別であることが理解しずらい場合もあると思う。一般的(とされる)意見と照らし合わせることで、オリジナリティの持つ価値が強調され、大衆に受け入れられやすくなる。こういったケースは、対話がベースである漫才というカテゴリーにおいて多く見受けられると感じており、私が漫才を好んで見る要因のひとつである。

かまいたちの漫才を見ると、今の時代においても偏った意見を主張し続けるべきだと感じる。結果として濱家は今後ポイントカードを作るためにマイムマシンを使うかもしれない。他者に影響を与えたり受けたりしながら、人間の価値観は柔軟性を帯びると思っている。全人類が無関心を体得した世の中には、少なくともかまいたちのこの漫才が受け入れられることはないだろうし、そんな世界になることを正しいと信じることはできない。この感覚もまた、凝り固まった価値観のひとつなのだろうが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?