藤原竜也さんという「役者」
2004年大河ドラマ「新選組!」がきっかけ
ちょうど20年前です。既にこの時から大河ドラマのキャストクレジットは近藤勇役に香取慎吾さんに次いで2番目が、一番隊隊長沖田総司 藤原竜也、でした。
(歴史ファンの方々は同じことを思っていたと思いますが、本来新選組の序列であれば、副長の土方歳三(山本耕史さん)の名前が2番目に来るはず)
つまり20歳そこそこで既に大俳優さんであったわけです。
それまでの映像などでの”沖田総司像”を吹き飛ばすような、”闇墜ち”していく総司を大河ドラマで演じてくれた藤原竜也さんの大ファンになったのはココからです。
”大ファン”になったものの、映像の竜也さんで満足していたので竜也さんの舞台に足を運ぶようになったのはここ数年です。思い出してみると初生竜也さんは「プラトーノフ」でした。
で、この舞台で雷に打たれたかというと・・・・そうでも無く笑。やはり、「デスノート」の夜神月役、「るろうに剣心伝説の最期編」の志々雄真実役が大大大好きだったのですが、ある日、CSかなにかで再放送されていた
『世界ウルルン滞在記 Vol.5 藤原竜也』で雷に打たれました。
別れの日になぜ藤原竜也は「分からない。本当にこれが最後かもしれない」と言ったのか
当時、竜也さん17歳。
ネパールの家族と別れた後、制作ディレクターの方が「なぜもう戻らない、最後かもしれないって言ったの?(可哀そうじゃないの)」と問うと、
竜也さん「あんな純粋な人たちにお愛想でまた来るねなんて言ったらきっと本気でずっと待ってると思う。その方がよっぽど可哀そうじゃないのか?だから俺はそんなお愛想は言わない」
と、きっぱり。
これで私は雷に打たれたわけです。2001年の17歳が言う言葉じゃないですよ。相手の立場と想いを今だけでは無く未来まで見越して自身の発言に責任を持つ。恐れ入りました。
そして私はホイホイFCにも入会し、その後竜也さんの舞台は必ず観劇し今に至ってます。
正直者で居ることはとても勇気が要ること
それは発言に責任を持つ、とも言えます。また自身を大きく見せることもしないし矮小化することもしない、とも言えます。
私は超能力者でも無いし藤原竜也さんのホンネは分かるわけはないのですが、発信する言葉や舞台の上の竜也さんのお芝居に”ウソ”や”偽”が無いと感じています。
プロ流で中村勘九郎さんが、竜也さんのことを
「内臓をベロッと見せるような芝居をする」と称していましたが本当にこの言葉のまま。
ただ単に”芝居が上手い”だけでは無く、竜也さんも人間ですから作品によってはちょっと迷いが見える時もあります。(と、私は感じた作品もある)ただそんな迷いも”ベロッと見せる”正直さがある。そこが一番凄いな、と思う点です。
隠したいじゃないですか、ほんとは。なんかちょっと今日はアレだな、みたいな時取り繕いたい。それが人間。だけど藤原竜也という人は取り繕わないのです。
そのまま一生懸命精一杯出来ることを見せる。
「中村仲蔵」の初日の外郎売もそうだった
最前列だったので目の前で仲蔵の外郎売を見続けました。
顔を真っ赤にし、目は血走り、汗も唾も吹き出させながら、必死で喋り続ける外郎売。あの姿があの日の精一杯の藤原竜也さんの外郎売でした。
取り繕わない
上手くやろうとしない
隠さない
全部観客に見せる、ベロッと
誰にも出来ない芝居でした。
こんな芝居が生きている間に見られる幸せを提供してくれる藤原竜也さん。最高です
人はなぜ芝居を観に劇場に足を運ぶのか?
それは人が人を観たいからなのではないか?と私は思います
作品の中の、役者の中の、「人間」を観たいから
どんな作品でも藤原竜也という役者=人間を観せてくれる。
そんな唯一無二の役者さんです
私には褒めるところしか思いつかない藤原竜也さんですが
1つだけお願いがあるとすればこれからもずっと舞台に立ち続けていただきたいな、ということです
映像の竜也さんも素晴らしいけれど、やっぱり竜也さんの舞台を観た後はどんな作品でもなぜか「ちゃんと生きよう」と思えます。なぜかはわからないのですが
正直な芝居は、観終わった後の清々しさが格別です。そしてまたそれを味わいたくなる
今年は中村仲蔵の後にまたハリー・ポッターとして赤坂のハリポタ劇場に登場されますが、その後の今年後半もぜひ舞台に立っている藤原竜也さんが観たいです。
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