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メタファーの続き



溺れる赤ん坊のメタファーには続きがあった!(注:フィクションです)と、思いつきで書き連ねるのでお目汚しだとは思いますがお付き合いください。

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旅人が旅の途中に川を通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見した。彼は急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し岸に戻った。そして安心して立ち去ろうしたが、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いで彼はその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。そのうち彼は、目の前で溺れている赤ん坊を助け出すことに忙しくなり、川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と川に投げ込んでいることには、まったく気づかない。

と、ここまではウェインエルウッドの溺れる赤ん坊のメタファーです。

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実は上流で赤ん坊を川へ放り込んでいるのは一人の男だけではなかった。男女問わず何人もの大人たちが赤ん坊を川へ放り込んでいて、それを目撃した他の大人たちは黙って見逃していたのだ。

赤ん坊を助けると同時に何故こんな事が起きてしまうのかを検証する事が必要なのだが、下流の大人たちは自分たちの生活だけで精一杯で検証や告発に時間が割けない。



そんな中、下流では赤ん坊のためのシェルターが彼方此方で立ち始める。川に流されたかわいそうな赤ん坊をケアするためだ。そこでは大人たちが傷付いた赤ん坊の手当てをしている。だが大人たちは下流でゆとりのない生活をしながら運営していくのが困難だ。

"赤ん坊の尊厳を守りたい"

この慈善活動に寄付をしてくれる者を募り、赤ん坊の尊厳を守るための啓発運動が必要だと言ったのは、上流に住む富む者たちだった。寄付も運動もとてもありがたい、と下流の大人たちは嬉々とする。

赤ん坊が流されて以来、何十年にも渡り慈善活動の為の実績を積み上げ、多くの赤ん坊を救い、世に送り出してきた老舗のシェルターも存在するほどになった。点在するシェルターの大人たちは老舗の傘下に入って活動をする者たちが多く、もはや赤ん坊のケアが使命となり、そもそも川に赤ん坊が流されているのは何故かという事には言及しなくなった。その慈善活動を支える寄付はその問題の上流からのものなのに皆忖度して口を閉ざしている。



ある日老舗のシェルターの中でもトップクラスに成長した所で、赤ん坊数人がシェルター内で連日暴力を振るわれるという事件が起きる。赤ん坊は信頼していた大人たちから暴力を振るわれただけでなく、それを口止めされていた。彼らは2度被害に遭ったのだ。1度目は川で、2度目はシェルターで。

事件がわかった後、すぐに謝罪や再発防止を努める事はせず、なかったことにしたかったシェルターのリーダーたちは内輪で火消しに講じた。事件やリーダーたちの対応の不誠実さを後に知ることになっても口を閉ざす傍観者の大人たち…赤ん坊は3度目の被害に遭う。

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それから20年近く経ち、大人になった被害者の赤ん坊の1人がもう我慢の限界だと声を上げた。暴力事件がやっと公になったのだ。だが加害シェルターが事件を認めたものの、さっさと事をおさめようと'.昔のことだから、大半は善き事をやっているのだから、'と誤魔化し、矮小化し、シラを切る加害シェルターと関係する者たち。

この事件は、かなり複雑化していた。赤ん坊が暴力に晒される危険性はどのシェルターにもあった。だがそれ以上にその後の対応の杜撰さが問題なのだが、それを理解出来たのは一握りの大人たちだけだった。そんな勇気ある少数派たちは何年も声を上げ続けたが、世間からは理解されず、むしろ権力化した加害シェルターに忖度するシェルター信者、加害シェルター関係者たちから攻撃を受けて疲弊してしまう。赤ん坊の尊厳を護る権威が赤ん坊の尊厳を踏みにじるという事が黙殺されたのだ。

実はそのシェルターで働く者や赤ん坊を護る仕事を生業としている者たちの中には川に放り込まれ、シェルターによって命拾いした元赤ん坊たちがいるのだ。自分たちが救われたシェルターは彼らの確固たるアイデンティティとなっていた。

暴力を振るった加害者はどうなったのか、また再発防止や何故こんな事が起きたのか等を検証する第三者組織の中には加害シェルターと関係の深い者たちを起用。当然、検証はなされないまま有耶無耶にされる。


また巷ではシェルターで働く者たちの待遇改善のための支援団体が立ち上がる。労働者の待遇改善は、川やシェルターでの被害に遭う子どもたちを救う事に繋がり、巡り巡って子どもたちの安心安全を守るために必要なのだと。

ただその支援団体のリーダーは加害団体の関係者や事件を知ってか知らずか敢えてシェルターの何が問題なのかには言及しない。そこにまつわる人間たちの関係性が乱れ、運動がうまくいかなくなることを恐れているのか。

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赤ん坊が川で溺れる原因が何なのか、上流で赤ん坊を放り込んでいる問題を知っても誰も言及する事なく、"赤ん坊を助けよう!"と運動を繰り広げる事に意味があるのだろうか。

赤ん坊が流される事に目を背け、溺れる赤ん坊を助ける事が生業となり、もはや川に赤ん坊が流れてくるのを待っているかの如くシェルター活動をする者。
助けた赤ん坊に非情にも暴力を振る者。
これは問題だ!と加害側ではなく赤ん坊の研究をする者。
擁護する元赤ん坊たち。


上流で赤ん坊を流す者、それを平気で眺める者、下流に手を差し伸べ生業とする者、よくこの構造がわからない、と思考停止する者、傷付いた赤ん坊が更なる被害を受けても、そんなことぐらい…と軽視する者。

私たちが望む世界とは?それは人それぞれだろう。一度立ち止まって自分自身に問いたい。


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