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信頼出来ない社会

人類にとって未知の領域の問題で、専門家の間でも意見が割れていることがある。何も確かな事がわからない時、自分の命が危ないから、死にたくないから、苦しみたくない、と何かに縋りたくなる気持ちはわかる。

未知の?(2年も経てばもう未知でもないだろうが)感染症で高齢者や慢性疾患患者がバタバタと亡くなっていったが、私も五十路を過ぎ、持病もあるからハイリスクなはずだ。でもこの2年、風邪一つ引いてない。普通に生活し、人とも会ってきた。

初めから怖くはなかった。人はいずれ死ぬ。死ぬ時なるべく苦しみたくないな、とは思うが、死ぬのを拒否するのはナンセンスだ。

それよりも、自分が生き残るために重症化リスクがほぼない若者、子どもにまで副反応のリスクを追わせたり、自分の、有限な時間をただ怖い怖いと篭もる方が嫌だった。好きなように動き、それで死んだらもうそれは運命だ。ただ高齢者には会わないよう努めたし、そもそも死ぬのが怖い高齢者は外に出ない方がいい。

人は必ずいつか死ぬ。明日かもしれないし何十年後かもしれない。何かに縛られたり、他者を犠牲にしたり、子どもたちに不自由を強いる人生なんて、私はいらない。

私はもう充分に生きてきた。未来のある子どもたちがなるべく長く、楽しく、笑顔で過ごして欲しい。今の生活様式は何か間違ってる。

人類も動物も自然もVirusも平等に地球上に生きているはず。人類だけが生き残るべきだとか、偉いなんて驕りの何ものでもない。


と、私は思う。私はね。

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